UWFインターナショナル、キングダムを経て、1999年、高山は全日本プロレスに入団した。格闘技色の強いUWFと、王道プロレスと呼ばれる全日本では、スタイルが水と油ほど違う。しかし彼はスタイルを超え、“高山善廣のプロレス”を確立した。盟友・小橋建太は、当時の彼をこう分析する。「水と油は混ざるということを証明した選手」――。

「もちろんスタイルは見るからに違います。ですが高山選手は、UWF魂をしっかり持ちつつ、全日本のリングに上がっていた。スタイルに囚われたくないという決意と覚悟を持っていたからこそ、全日本に融合していったんだと思います」

 初めて高山と試合をしたとき、「なかなか面白いじゃないか」と思った。一発一発が重い。とくに蹴りと膝蹴り、そしてエルボー。196cmの長身である高山は技を上から振り下ろすため、想像以上のダメージがある。しかし小橋も負けじと返す。二人の試合はスイングし、ファンから絶大な支持を得た。

 2004年8月、高山は脳梗塞で倒れた。プロスポーツ選手で脳梗塞から復帰した前例はないとされているが、不屈の精神で病気を克服。2006年7月16日、ノア武道館大会にてリング復帰することが決定した。タッグパートナーは小橋建太。しかし試合直前の6月29日、今度は小橋に腎臓がんが見つかり、試合を欠場することになる。

「悔しかったです。脳梗塞という大変な病気から立ち上がってくる高山選手の思いに、応えられなかった。がんになった悔しさ、試合に出られなかった悔しさ、ファンのみんなの期待に応えられなかった悔しさ、僕の代わりに出場してくれた佐々木健介選手への感謝の気持ち。いろいろな感情が入り混じっていました」

 2007年12月2日、小橋はがんを乗り越え、リング復帰する。復帰戦のタッグパートナーは高山善廣。対戦相手は三沢光晴と秋山準。このカードを提案したのは高山だった。「あのときできなかった試合をやりましょう」――。嬉しかった。どこまでも熱い男だったと、小橋は振り返る。

 リングで敵対していた二人が、プライベートで会うことはなかった。しかし一度だけ、食事に行ったことがある。小橋の病気が落ち着いた頃、高山が小橋と佐々木らを誘い、他愛ない話に花を咲かせた。しかしだれかが「記念写真を撮ろう」と言うと、高山は拒んだ。「俺たちは敵だから、写真を残すのはやめましょう」。

「プロとしてのこだわりを感じました。僕への励ましだったのかもしれません。いつまでもライバルでいるから、帰ってこいよ、という。いま思えば、写真を撮らなくてよかったのかなと思います。あの日の光景は、僕の心の中にいつまでも残っているので」

 高山が頸髄完全損傷で回復の見込みがないと知ったとき、「言葉にできなかった」と小橋は言う。激闘を繰り広げた思い出。タッグを組んだ思い出。いつでも熱く、優しかった高山の姿が、走馬燈のように浮かんできた。

「意識があるのに動けない苦しさを思うと、胸が詰まります。けれど高山選手の熱い闘いは、僕の心の中にも、ファンのみんなの心の中にも残っている。高山選手が立ち上がることで、励まされる人がたくさんいるはず。見る人を元気にするのがプロレスラーです。ベッドの上にいても、プロレスラーであり続けてほしいと思います」

◆高山vsドン・フライ戦を見て引退を翻意した鈴木みのる

 2002年、鈴木みのるは追い詰められていた。首の怪我をして、試合に出られない。引退を考えたが、やることも見つからず、金もない。しかしその年の6月23日、たまたまテレビで見たPRIDE「高山善廣vsドン・フライ」戦に衝撃を受けた。ノーガードでの壮絶な顔面の殴り合い。感動した。涙がこぼれそうになった。俺、なにやってるんだろう――。翌年6月、鈴木はこれまで培ってきた格闘技を捨て、プロレス界に復帰する。

 古巣の新日本プロレス。唯一、話し相手になったのは高山だった。試合が終わる度に、「俺の試合どうだった?」と尋ねた。そんな鈴木に、高山は言った。「鈴木さんのプロレス、つまらない」――。

「必死に現代の技をやろうとしていたんです、溶け込みたくて。他の選手がやる技をやってみたり、受け身の練習をしてみたり。でも高山は、それがつまらないと言う。技を知らない、受け身が取れない。それが鈴木みのるでしょ、と。だれよりも強いパンチ、だれにも負けないグラウンドテクニック。つまり俺の人生こそが俺の武器だということを教えてくれたのが、高山なんです」

 たくさんの話をした。お互いが子供の頃に憧れていた、アントニオ猪木のプロレス。いまのプロレスは、その頃とはまるで違う。こんなに弱い奴らが、なんで偉そうに試合をしているんだ。飼い慣らされた猫じゃないか……。二人は意気投合した。いつしか鈴木は高山のことを、「俺の友達」と表現するようになった。

 二人でプロレス界を縦横無尽に暴れ回った。中でも鈴木が自身のベストバウトの一つに挙げるのは、2015年7月19日、プロレスリング・ノア旗揚げ15周年記念大会。高山は鈴木の持つGHCヘビー級王座に挑戦した。鈴木はパイプ椅子で高山の頭部を殴り、高山は大流血。試合内容に納得しない観客から、リングにゴミが投げ入れられた。しかし鈴木はあの試合を振り返って、「なに一つ後悔はない」と話す。

「もしもあの試合で受けたダメージが現在の彼の状況に繋がっていたとしても、後悔はないです。本人もないと思います。タッグを組んだら一緒に全力で闘って、笑い合って、敵になったら全力で殴り合える。そんな友達、なかなかいないですよ。友達だから全力で殴り合えた。手を抜いたら逆に怒られそうで」

 ノアと敵対した鈴木に対し、高山は「俺は三沢さんにお世話になったから、ノア側につく」と宣言。それから二人は会話をしなくなり、プライベートで会うこともなくなった。そして昨年5月、高山の体は動かなくなった。

 TAKAYAMANIA設立記者会見で、鈴木は泣いた。泣きながら、高山への募金を呼びかけた。ヒールの中のヒール。通称、“世界一性格の悪い男”。その男は友達のために、日本中の前で泣いた。

 高山は、現実を受け入れた。絶望を口にすることはほとんどなく、医師は「精神がとてつもなく強い」と驚いた。しかし治療には、膨大な額を要する。

「1000万円とか噂されていますけど、1年間とかじゃないですから。もっと短いスパンです。お金はいくらあっても足りない状況です。俺の稼ぎを全額つぎ込んでも足りない。高山に勇気をもらったプロレスファンに返してもらうしかないんです。一人1円であっても、日本中の人が募金したら1億円ですから。そうしたら彼は、しばらく生きていける」

 募金活動を始めるにあたり、批判も出てくるだろうと想定された。だから鈴木は、「俺が前に出る」と申し出た。自分は偽善者だと言われてもいい。なぜならずっと、批判と逆流と向かい風の中で生きてきたから――。

 高山への募金は、彼の家族をサポートするためでもある。しかし、奥さんは生活費をすべて貯金から捻出している。生活のために車まで売ろうとしている。夫のために集まったお金を、私たちが使うことはできない、と。

「アホかと思いますよ。バカ正直な人でね。そのお金で海外旅行に行くわけでもない。ブランド品を買うわけでもない。付き合いが長いんですが、すごく強い女で、だれにも弱音を吐かないんです。普通の人ならぶっ壊れてますよ。さすが帝王の嫁です。でもね、『きつい』って言ってました。『つらい』って、言ってましたよ」

 かつて鈴木は、藤原喜明に聞いたことがある。「強さって、なんですか?」。すると藤原はこう答えた。「強さとは、長生き」――。どの競技が強いんだ、だれが強いんだと聞きたかったのに、「長生きしているおじいちゃんが一番強い。死んだら闘えない」と言われた。その考えが、いまの鈴木にはよく分かる。

 高山は現状、動くことはできないが、話をすることはできる。ベッドの上の高山は、鈴木に言った。

「鈴木さんは、後悔しないように生きて」

◆「強さとはなにか」を追い求めた旅

 一昨年9月に始めたこの連載は、今回で最終回を迎える。これまで19人のレスラーに、「強さとはなんですか?」と問いかけてきた。答えは十人十色で、一つの結論を導き出すことはできないかもしれない。しかし、見えてきたことはある。プロレスラーは皆、強さを求め、もがき、苦しみながら、リングの上に立っている。

 生きることは、ときに苦しい。現実から目を背けたくなることもある。しかしプロレスラーは、目の前の対戦相手から逃げない。真正面から相手の技を受け、やられてもやられても立ち上がる。そんな彼らの姿を見て、俺も、私も、立ち上がらなければいけないと思う。プロレスを見ること。それは、自分自身と向き合う作業だ。

 3年半前、私はプロレスと出会った。最初はプロレスの記事を書くのが、楽しくてしかたがなかった。しかし続けるにつれ、書くことがつらくなっていった。「素人が分かったようなことを書きやがって」と、批判されることも少なくなかった。追いかければ追いかけるほど、プロレスは遠く離れていくように感じた。しかしいまは、それでもいいと思っている。プロレスはいつまでも遠く、私はいつまでも、その尊い幻を追いかけていきたい。

 プロレスとはなにか? 強さとはなにか? 

 それは、生きるということ。生きて、闘うということ。いつか命が絶えるとき、決して、後悔しないように。

――強さとは、なんですか?

「辞めないことです。辞めたら、強いということを証明する機会を自ら失いますから」(佐藤光留)

「自分自身がプライドを持ってブレないことだと思います」(宮原健斗)

「毎日、強さってなんだろうと思いながらやっています」(ジェイク・リー)

「強さとは、イコール優しさじゃないといけないと思います」(崔領二)

「正直であることだと思います」(若鷹ジェット信介)

「強さよりも、“すごい”ことがプロレスの強さだと思います」(石川修司)

「継続することだと思います」(鈴木秀樹)

「何度でも立ち上がる姿が、一番強さに繋がるんじゃないかと思います」(田中将斗)

「折れない心、でしょうか」(関本大介)

「負けたくない気持ちじゃないですかね」(岡林裕二)

「生き様を貫くことじゃないかな」(鷹木信悟)

「痛みの数だと思います」(中嶋勝彦)

「心理学者は弱さを改善することはできるけども、強さを作ることはできない。それを作るのが、僕らの仕事だということです」(佐山サトル)

「男の強さとは、愛である」(藤原敏男)

「ルールに基づいて、勝ったもんが強いんだ」(藤原喜明)

「強さとは、しつこさです」(前田日明)

「置かれている状況に対応する力だと思います」(垣原賢人)

「覚悟」(小橋建太)

「生きるということ」(鈴木みのる)

【PROFILE】高山善廣(たかやま・よしひろ)
1966年、東京都墨田区生まれ。大学時代、20歳のときに休学し、第1次UWFに入門。しかしラグビーで負った怪我が再発し、一ヶ月足らずで退団。大学卒業後、会社勤めをするが、プロレスラーになる夢を諦めきれずにUWFインターナショナルに入門。解散後、キングダムを経て、1999年、全日本プロレスに入団。2001年、PRIDE参戦を機に、フリーランスとなり、同年6月23日、PRIDE.21でドン・フライと死闘を繰り広げ、世界中の注目を浴びた。プロレス界のベルトを総なめにし、「プロレスの帝王」と呼ばれるようになったが、2017年5月4日、DDT豊中大会にて、前方回転エビ固めをかける際に頭部を強打。頸髄完全損傷と診断され、同年9月の記者会見で回復の見込みがないことが明らかにされた。現在はリハビリに励んでいる。196cm、125kg。ブログ:https://ameblo.jp/takayama-do/

<取材・文/尾崎ムギ子 撮影/安井信介>

【尾崎ムギ子】
尾崎ムギ子/ライター、編集者。リクルート、編集プロダクションを経て、フリー。2015年1月、“飯伏幸太vsヨシヒコ戦”の動画をきっかけにプロレスにのめり込む。初代タイガーマスクこと佐山サトルを応援する「佐山女子会(@sayama_joshi)」発起人。Twitter:@ozaki_mugiko

提供/鈴木健.txt