スウェーデンとアイスランドが貫いた「自分たちのサッカー」

 ワールドカップ(W杯)では各国それぞれの「自分たちのサッカー」が繰り広げられる。

 16年前には手堅いだけが取り柄のようなベルギーが世界でも屈指のオールスターチームとなり、さらに準々決勝で強敵ブラジルと当たって再編成を余儀なくされ、さらなる進化を遂げた。チームは生き物で常に変化する。一方、立ち返るべきサッカーも各国それぞれ持っていて、勝利への合理性があってもなくても、変えたくないのか変えられないのか、独自のサッカーがある。

 日本が学ぶべきものは多々ある。しかし、どうにも真似できそうにないサッカーもある。

 スウェーデンやアイスランドのサッカーは真似できそうもないし、真似しない方がいいサッカーとも言える。多人種化しているフランスやベルギーとは違い、極めて均質的なメンバー構成が特徴だ。均質的ということでは日本もそうなのだが、質が明らかに違いすぎるのだ。

 スウェーデン、アイスランドは大男ばかり。どの選手もよく似ている。大きくて、そんなに速くない、華麗な技巧もない。しかし守備が堅い。ゾーンディフェンスの原理原則に従って実に整然と守る。あまりバタバタせず、大きくてタフな連中がどっしりと構えて、「さあ来いよ」と言っているような守備だ。

 このサッカーは日本にはない。そのかわり軽くて速い日本には、2人で1人を挟み込むような守備があり、それはスウェーデンやアイスランドにはないものだ。身体的な特徴が違いすぎ、互いに均質的なので戦術的な共通点がないわけだ。

 技巧的ではないが技術はある。アイスランドに乾貴士のようなドリブラーはいないが、止めるのも蹴るのも正確で、感心するのは蹴り損ねがほとんどない。ボールを蹴った時の音がいつもいい。中心をしっかり捉えている音がしている。日本やブラジルなどとは、テクニックに対する考え方も違うのかもしれない。


代表チームのサッカーに表れる国民性

 彼らのサッカーは多くのファンには退屈だと思う。先日、スウェーデンのリーグで観客動員の最低記録が更新されたというから、ひょっとしたらスウェーデン人にとっても退屈なのかもしれない。けれども、今回のW杯でアイスランドやスウェーデンをそんなに飽きずに見ていられることに気がついた。

 日本に直接関係ないカードだったこともあるが、なんとなく眺めるように見ていたら、そのままダラダラと見ていられた。意外性は少なく、武骨な大男たちが愚直にやり続ける単調なサッカーなのに、見続けていたらなんだかそれが心地良くなってきたのだ。意匠を凝らした庭園ではなく、ただ漠々と広がる海や砂漠を眺めているような気分だった。

 アイスランドの応援として有名になった「バイキング・クラップ」は、英語だと「サンダー・クラップ」と呼ぶらしい。確かに遠くの方で雷鳴が一発轟き、だんだん近づいてくるような感じである。静寂を切り裂く雷鳴は何かが起こる合図。人々を詰め込んだスタジアムに荒涼とした大自然の風景が立ち上がる。その雄大さと重厚感が、フィールドで繰り広げられている極めて怜悧で合理的だが魂のこもったハードワークに重なっていく。戦うとは、あるいは自然を相手にした日々の営みとは、こういうことだと体現しているような気がする。

 代表チームのサッカーには国民性が表れるとよく言われる。ただ、それは国家ではない。その国で暮らす人々であり、生活なのだと思う。国家の威信を懸けているのではなく、日々の生活に直結している何かが反映されている。だから簡単に負けるわけにはいかないし、自らの存在意義を示さないわけにもいかないのだ。


(西部謙司 / Kenji Nishibe)

アイスランド代表やスウェーデン代表は、ゾーンディフェンスの原理原則に従って実に整然と守る【写真:Getty Images】