<あとぜき><おひめさん(さま)>

 これらの熊本弁、意味わかります? 恥ずかしい話ですが、僕は小学校高学年だったか中学生くらいまで「共通語」だと本気で思っていました(苦笑)。熊本ではそれくらいメジャーな言葉です。答え合わせは文末で。

大打者を育んだ藤崎台球場

 さて、来たる7月14日、熊本・リブワーク藤崎台県営野球場で「マイナビオールスターゲーム2018」の第2戦が開催されます。正直、まだピンと来ていません。

 熊本は野球が盛んな街で、現在熱戦中の高校野球の県予選も地元民放局が1回戦から昼間ぶっ通しで生中継を行うほどです。福岡の隣県ということでホークスファンがかなり増えていますが、もともとは巨人ファンの多い土地柄。「打撃の神様」と崇められた川上哲治氏の出身地であることが関係していると思われますし、日本のどの地域にも言えることですが「巨人戦しか放送がなかったから」というのも大きな理由でしょう。

 ちなみに、熊本は数多くの大打者を生んだ土地です。通算2000本安打 を達成したのは、80年を超えるプロ野球史でも現在51名しかいません。達成第1号が前述の川上氏で、江藤慎一氏(中日、ロッテなど)が1975年に史上9人目で到達。平成に入り、秋山幸二氏(西武、ダイエー)、前田智徳氏(広島)、そして現役の荒木雅博選手(中日)が昨年金字塔を打ち立てました。51人中じつに5名も熊本出身者が占めているのです。また、名球会には届かなかったものの「平成の三冠王」松中信彦氏(ダイエー、ソフトバンク)も郷土のスターです。

 秋山さんは「昔は、藤崎台は日本の中でも大きな球場だった」と振り返ったことがあります。

 リブワーク藤崎台球場は1960年の熊本国体を機に開場。両翼99.1m、中堅121.9m。現在では外野フェンスが低いこともあり「狭い」という印象を持たれがちですが、当時は国内において「国際試合開催規格(両翼97.6m、中堅121.9m)」をクリアする数少ない希少な野球場でした。大打者を育んだ一つの要因になっているのではないでしょうか。

 そしてこの球場の最大の名物をいえば、外野席後方にそびえたつとても大きなクスノキ群。大きいものは樹齢1000年を超えており、小さなものでも400年超と言われています。このクスノキがバックスクリーン左の外野スタンドまで迫り出しており、一部はグラウンドまで枝が伸びています。このクスノキは国の天然記念物に指定されているので、むやみに伐採することが出来ないのです。そのため「枝に引っ掛かってボールが落ちてこなければホームラン」という藤崎台特有の特別ルールが採用されることがあります。今年のオールスターファン投票で12球団最多票を集めたホークスの柳田悠岐選手は、毎年の公式戦で「クスノキ弾を狙います」と宣言していますが、まだ実現できていません。この大舞台で有言実行となれば大盛り上がりすること間違いなし。とても楽しみです。

 まもなく開場60年を迎えるリブワーク藤崎台球場でプロ野球が開催されるのは年に1回程度。ここ数年はホークスが毎年主催公式戦を行い、以前は巨人が九州遠征のたびに使用していました。

 それほど多くのプロ野球開催実績のないこの球場ですが、プロ野球史を彩る、もしくはファンの記憶に残る様々な『伝説』が誕生しています。筆者の独断でベスト5を厳選したので紹介していきます。

藤崎台球場で誕生した『伝説』ベスト5

第5位 2017年4月18日 巨人×ヤクルト。ご当地選手が大活躍し、震災復興へ大きな勇気。

 2016年4月14日と16日、日本の地震観測史上初めて同一地点で震度7の揺れが2度も襲った熊本地震。県内各地に大きな被害の爪痕を残し、熊本県民の誇りである熊本城も甚大な被害を受けました。藤崎台球場もスタンドの一部が崩落、グラウンドの隆起、さらにはバックスクリーンの上部が倒壊するなどしました。

 ちなみに球場復興支援のために当時ソフトバンクの松坂大輔投手(現中日)が1000万円、同僚の攝津正投手が300万円の寄付を行いました。

 丸1年が経過したところで行われた巨人主催試合。実は、地震直後にもともと予定されていたのですが、やむなく中止となり、翌年にまた主催試合を組んでくれたのです。

 巨人は「2番中堅」で熊本出身の立岡宗一郎選手をスタメンで起用。この試合前まで打率.200と低迷していましたが、故郷の大声援を味方に大ハッスル。初回からヒットを放ち先制のホームを踏むと、その後も立て続けにヒットを放ち3安打猛打賞の活躍。3対0の勝利に大貢献しました。一方、ヤクルトも熊本出身の山中浩史投手が先発。敗戦投手となりましたが、7回2失点で力投する姿にはやはり応援の大きな声がずっと飛んでいました。

第4位 2005年2月28日 ソフトバンク×西武 新生ソフトバンクの初陣は熊本だった。

 新球団ソフトバンク誕生のこの年、オープン戦開幕戦は本拠地福岡ではなく藤崎台球場でした。記念すべき船出の試合とあって、まるで公式戦のような熱気。発表された来場者数は21,510人(この年から実数発表方式が導入)だった。

 ちなみに、その後ソフトバンクは熊本で公式戦を行っているが、15年の15,088人が公式戦での最多。いかにそのオープン戦が異例の盛り上がりだったかが分かる。

 この試合、ホークスの城島健司選手が途中代打で出場。ルーキーだった涌井投手の内角球が体をかすって死球を宣告されるも、球審に「当たってない」と猛アピールする珍シーンがあった。「だって、みんなデッドボールを観に来たわけじゃないでしょ」と試合後にコメント。これぞスター選手だと感激したのを覚えています。

第3位 1999年3月5日 巨人×阪神 新庄の「二刀流」――中継ぎでマウンドへ

 ピッチャー、新庄。

 交代を告げるアナウンスに藤崎台のスタンドは大きく沸きました。この試合の4回、新庄剛志選手が2番手でマウンドに立ったのです。

 この年に就任した阪神・野村克也監督がキャンプから取り組んだ目玉が新庄選手の「二刀流」でした。ついにこのオープン戦で初マウンドに上がった新庄選手は、巨人打線を相手に快投。元木選手を直球で二飛、二岡選手には142キロでショートゴロ、最後は後藤選手をスライダーで中飛に仕留めて1回3者凡退で見事役目を果たしました。

 しかし、その後は故障をして投手調整が思うように進まずトーンダウン。公式戦では実現せずに、結果的に熊本の快投は貴重な登板となりました。

第2位 1980年11月16日 巨人×阪神 王貞治、現役最後のホームラン

「世界のホームラン王」王貞治選手(現ホークス球団会長)が有終アーチを架けたのが藤崎台でした。

 同年11月4日に現役引退を発表。当時は「秋季オープン戦」が行われており、この藤崎台で行われた「巨人・阪神戦」が正真正銘の現役ラストゲームでした。その5回の最終打席で宮田典計投手から右翼席中段にライナーを打ち込んだのです。公式戦の868本塁打に日本シリーズやオープン戦などを加えると、通算1032号となる本塁打でした。

第1位 1987年6月11日 巨人×中日 クロマティが死球に激怒、右ストレートお見舞いの大乱闘

 やはり藤崎台球場の試合で最も印象深いのはコレでしょう。

 7回、中日宮下投手の投じた1球は巨人クロマティ選手の背中を直撃。怒ったクロマティ選手は2、3歩ゆっくりとマウンドへ近づくと突然ダッシュし、右パンチを宮下投手の顔面に叩き込みました。

 ここから両軍入り乱れての大乱闘。まだ若き日の闘将・星野仙一監督は就任1年目。「打倒巨人」に誰よりも執念を燃やした男が王貞治監督にものすごい剣幕で詰め寄っていたシーンも含めて何度VTRを見たのか分からないくらいです。

 はたして2018年夏、どんな新しいドラマ、球史に残るシーンがリブワーク藤崎台球場から誕生するのでしょうか。また、このオールスターゲームでは外野席の一般発売はなく、熊本地震復興支援の一環として地元の子どもたちの招待エリアとなっているそうです。

 野球で熊本を元気に、との思いが込められた夢の球宴です。

 さて、冒頭の熊本弁の答え合わせを。<あとぜき>は「開けた扉を閉める」行為のこと。熊本ではひらがな4文字だけでそれを表現し、小学校の教室の扉などには大抵「あとぜき」と書いた紙が貼ってあります。街の商店の扉などでも見かけることがあります。熊本に来られる機会があれば、ぜひ注視してみてください。

 そして<おひめさん>は「ものもらい」のこと。目をパチパチするさまがその由来とも言われますが、諸説あるようです。これは県外の友人に訊いても、正解者はいませんでした。

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(田尻 耕太郎)

熊本県八代市出身の松中信彦 ©文藝春秋