今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く)

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 当時、高畑さんが作りたがっていたのが『平家物語』でした。企画としてはおもしろいものの、誰が絵を描くのかという問題がありました。宮崎駿が「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と豪語していたほどで、技術的にも非常に難しいことは分かっていました。高畑さんは『山田くん』でも活躍した田辺修に描いてもらおうとするんですが、田辺も頑固な男で、「自分は人が人を殺す話は描きたくない」と言う。

 そこで僕が持ち出したのが『竹取物語』でした。言わずとしれた日本最古の物語で、高畑さん自身、「誰かがいちどきちんと映画にすべきだ」と言っていたのを思い出したんです。あらためて高畑さんにその話をすると、「誰かが作るべきだとは言いましたが、自分がやるとは言っていない」と言います。

「かぐや姫はなぜ地球を選んだのか」

 僕は、氏家さんが死ぬまでにどうしても高畑さんの作品を見たいと言っていることを伝えました。他にいい企画もないし、竹取物語なら人が人を殺すシーンもないから、田辺くんも協力してくれると言っている。そういう話をしながら説得していると、高畑さんが突然こんなことを言ったんです。「じゃあ、ひとつ教えてください。姫はなぜ数ある星の中から地球を選んだのか。これが分からないと映画にできないでしょう」。それは高畑さんが考えてくださいよ、と言いたいところですが、そういう問答をプロデューサーと延々続けて、一定の時間を共有しないと先に進まない人なんです。そういう議論を始めたら止まらなくなって、夜中どころか平気で朝まで話し続けます。

 とくに企画段階では、最低でも毎日10時間はそういう話をしなきゃならない。でも、僕としては正直なところ、もうそういう作業をやりたくなかったし、他の作品を抱えていて時間もありませんでした。そこで、若い西村義明と岸本卓の2人を高畑さんの話し相手として送り込むことにしたんです。若さゆえに言えることもあるし、高畑さんにとっても新しい相手と話したほうが刺激があっていいだろうという目算もありました。実際に始めてみると、若い2人が熱心に話を聞いてくれて、高畑さんはうれしそうにしていました。

 僕は定期的に2人の報告を聞いていたんですが、途中で高畑さんが企画を変えたがっているという話が伝わってきました。赤坂憲雄さんが書いた『子守り唄の誕生』という本を原案にして、ドラマを作れないかというのです。でも、それは難しいだろうということも分かっていました。紆余曲折を経ながらも、案の定、企画は『かぐや』に戻ることになり、正式に制作にとりかかることになりました。

「あの男にはマルキストの香りが残っている」

 僕は、プロデューサーというのは監督と二人三脚でやっていかなければいけないと考えています。そういう意味では、僕は今回、プロデューサーとはいえません。そこで、西村をプロデューサーに指名し、現場のことはすべて任せることにしました。ちなみに、もうひとりの岸本のほうは途中でジブリを辞めて、いまは売れっ子の脚本家となっています。

 そうやって『かぐや』の準備が進む一方、氏家さんは高畑さん、宮さん、僕を誘ってヨーロッパの美術館を巡る旅を企画しました。2008年から3年間、毎年夏にフランス、イタリア、スペインを訪ねたんですが、宮さんと僕を誘ったのはおまけで、氏家さんとしては高畑さんと行きたかったんだと思います。

 なんでそこまで高畑さんにこだわるのか、あるとき聞いてみたことがあります。

「高畑の映画には詩情がある。おれはあいつに惚れてるんだ。あの男にはマルキストの香りが残っている」。それが氏家さんの答えでした。結局、氏家さんの生前に映画を完成させることはできませんでした。ただ、2010年の暮れに、途中までできあがった絵コンテを見せることはできました。氏家さんはじっくり時間をかけて読んだあと、ぽつりと「かぐや姫ってわがままな娘だな」ともらしました。「でも、おれはこういう娘が好きだ」。その3カ月後、氏家さんは84歳でこの世を去りました。

宮崎駿のさりげない協力

 制作の初期段階では、 ワンフロアの片側に『かぐや』班、もう片側に宮崎班がいました。かぐや班では、絵描きの田辺くんが朝早くに来て、ひとりでせっせと絵を描いていました。高畑さんがやって来るのは決まって午後。そして来るなり、田辺くんの描いた絵を見て、こうじゃない、違うだろうと怒りだす。

 僕は毎日それとなく観察していて、おもしろいことに気づきました。高畑さんが怒りだすと、宮さんがさりげなくかぐや班の後ろに行って、その内容に耳をそばだてているんです。そして、翌日の午前中、田辺くんのところに行って、「パクさんが言ったのはこういう意味なんだ。だから、こういう構図で描かなきゃだめだ」と絵を描きながら説明しているんです。「でも、おれが言ったということはパクさんには言うなよ」。自分の仕事そっちのけで、そんなことを毎日やってるんですよ。ところが、田辺は田辺で頑固だから、その通りに描かない。まったく宮さんという人は、人がいいというのか、涙ぐましいというのか……。『山田くん』のあとのスタジオの惨状を見て、「二度と映画を作らせない」と怒った宮さんですが、高畑作品を誰よりも見たかったのは、やっぱり宮さんなんですよ。

「完成させたかったら、高畑さんを解任しろ」

 準備がある段階まで進んだところで、急に進捗状況が悪くなりました。西村に話を聞いてみると、要するに、高畑さんが田辺ひとりに芝居を描かせようとしていることが分かりました。『山田くん』からさらに要求がエスカレートしたんです。

 この数十年、アニメーションの絵はどんどん細かくなってきました。たとえば、『となりのトトロ』の頃は、長編一本につき原画マンひとりで10分ぐらい描いていたのが、いまは3分も描きません。それだけ作業が細分化し、人手をかけるようになっている中で、高畑さんはひとりの人間にぜんぶ描かせようとしていたんです。

 少数精鋭というのは分かりますが、さすがにひとりというのは現実的じゃない。そこで、僕としては間をとって3人ぐらいで描いたらどうかと西村に提案しました。その結果、久々に安藤雅司がジブリに帰ってくることになりました。宮崎駿の下で『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』の作画監督をやった男です。さらに、『山田くん』でも活躍した小西賢一、橋本晋治らが加わり、作画は進んでいくことになります。

 あれは制作の半ばだったでしょうか。西村が深刻な顔をして、「このままじゃ完成しません」と言ってきたこともありました。そのとき僕は言ったんです。「どうしても完成させたかったら、高畑さんを解任しろ。あとは田辺や安藤で作ればいい」。高畑さんというのはフランス語を学び、ヨーロッパ流の合理主義を身につけた人です。自分からやめるとは言わないけれど、プロデューサーが解任するといえば、論理的に考えて従うはずです。このときばかりは、さすがに西村も悩んでいました。結局、3カ月ほど作画を休み、高畑さんに絵コンテを仕上げるのに専念してもらうことになりました。

 そういったあれやこれやのトラブルはありながらも、今回はワンクッション入っていたこともあり、僕はだいぶ楽をさせてもらいました。一方、高畑さんと付き合い続けた西村はどんどんやせ細っていきました。28歳で関わって、完成したときにはもう36歳。その間に結婚して、子どもまで生まれました。青春のほぼすべてを1本の映画に捧げて、本当に粘り強くがんばったと思います。

#3へ続く

「ジブリの教科書19 かぐや姫の物語」 より転載

(インタビュー・構成 柳橋 閑)

すずき・としお/1948年名古屋市生まれ。株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。慶應義塾大学卒業後、徳間書店入社。『月刊アニメージュ』編集部を経て、84年『風の谷のナウシカ』を機に映画制作の世界へ。89年よりスタジオジブリ専従。著書に『仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場』『ジブリの哲学』『風に吹かれて』『ジブリの仲間たち』『ジブリの文学』『人生は単なる空騒ぎ 言葉の魔法』『禅とジブリ』など。最新刊は『南の国のカンヤダ』。

映画を文庫本で追体験する、文春ジブリ文庫のもうひとつのシリーズ、シネマ・コミックでは未刊のタイトルを加えたBOXを発売決定(12月10日予定)。ただ今、予約受付中。初回限定で、ジブリ名セリフ・名シーン解説集「一語(いちご)一画(いちえ)」をお付けします。

(鈴木 敏夫)

鈴木敏夫氏 ©文藝春秋