女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは、普通の毎日を送っていたはずが、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちのエピソードです。

今回、お話を伺ったのは、矢田咲良さん(仮名・37歳)は、都心の名門中高一貫女子高校を卒業した後、名門大学の経済学部に進学し、大手IT関連会社で正社員として働いていていたそうです。現在は東京近郊の小さなメーカーで事務をしています。雇用形態は契約社員で年収は150万円、住んでいるのは害虫も害獣も出る築40年の木造アパート。貯金は0円、消費者金融からの借金は30万円、借金返済のために夜の仕事もしていると言います。「108円のマカロニが買いたいのに、財布の中には68円しかないときもありました」と語ります。

咲良さんは美人の部類に入りますが、肌が荒れていて、表情に乏しく、体型もぽっちゃりしています。洗いざらしの黒のTシャツに、茶色のギンガムチェックのスカートを合わせ、シルバーのサンダルを履いており、全体的におしゃれな印象。まずは、名門女子中学校に進学した背景を伺いました。

「父親が名門私立大卒、母親が短大卒で、母は父から“オマエがバカだから、子供たちがバカなんだ”と怒鳴られていました。父は兄を自分が卒業した中高一貫校に入れたかったのですが、兄は勉強ができなかったので、全ての私立中学校に落ち、地元の公立中学校に進学しました。この時に、父が母を正座させて何時間も怒鳴り続け、兄が止めても全然言うことを聞かず。結局兄が“こんな俺なんて生きていてもしょうがない”と自殺のまねごとをして、やっと父の怒りがおさまりました。私は“母のために勉強しなくては”と頑張って、名門女子中学校に進学しました」

しかし、お父さんはあまり喜ばなかったと言います。

「父にとって、“息子を自分と同じ経歴をトレースさせること”が最も大切なことであり、私がどんなに頑張ろうとも、いい成績を残そうとも、どうでもいいことだったんですよね。母は専業主婦で、父と離婚したくても、家賃と生活費が払えないから別れられなかった。“私はあんたたちのために、お父さんと一緒にいるの、がんばっているの”とよく言っていました。思春期くらいまではそんな母が可哀想で、早く私が大人になって母と2人で暮らしたいと思っていました」

父親に遊んでもらった記憶はない、家族旅行に行ったこともない……

気持ちにムラがある父親が帰ってくると、兄と咲良さんは父の怒りに触れることを避け、自室にこもる。母親はそそくさと父親の食事の支度をして、準備が整うと、別室に移動する。父親が眠るまで、逆鱗に触れないように静かにやり過ごすような家庭だったとか。

「父と一緒にどこかに行った記憶がないですし、遊んでもらった記憶もなく、それが当たり前だと思っていました。5歳上の兄が受験に落ちたとき、私は小学校1年生だったのですが、その前後3年くらいは父のモラハラが爆発していた時期でしたね。父は母に対して“オマエはバカだから、口を利きたくない”と言い、目の前に母がいても、メモで会話をしていました」

咲良さんは大学卒業後、IT関連会社に入社。企画営業として活躍したといいます。

「早くお金を稼いで、母と一緒に実家から出て一緒に暮らしたかった。それに、結婚して子供も産みたかった。ITベンチャーを選んだのは、旧い体質の企業に入ってしまうと、昇給が遅く、女というだけでバカにされたり雑用に追われたりするから。20代のうちに実力をつけて、好きな時間に働ける環境をつくってから子供を産みたかったんです」

咲良さんが24歳の時、実家を出て母親と一緒に同居しようと物件を探し始めたときに、両親が離婚。

「私の知らないところで、母は離婚に向けて準備をすすめており、離婚と同時に地方に移住してしまったんです。しかも事後報告なんですよ。あれだけ私に泣いて相談していたのに、別れるときは一瞬。このとき、“な~んだ”と拍子抜けしました。母のために生きてきたので脱力感がハンパなかった。父はその半年後に、熟年結婚相談所で出会った別の女性と再婚。今は伊豆に住んでいるようです」

無力感を埋めるためにがむしゃらに働いた結果、広告や通販の企画を当てて、ボーナスも含めると年収は1000万円以上になったといいます。24歳から港区内の38平米、家賃14万円のDINKS向けのマンションにたった一人で住んでいると、自分の家族が欲しいという気持ちが高まってきたとか。美しい母親の血を引き、華やかな顔立ちの咲良さんは、よくモテたといいます。

「でも恋愛が下手で……どんなに長く続いても3か月くらいで別れを告げられてしまう。恋人が私と会っていない間、恋人が何をしているか不安になって、メールをしまくったり、私の常識に合わない行動をすると許せなくなり、ガン詰めしてしまうんですよね」

例えば、当時の彼が咲良さんが作った唐揚げにマヨネーズをかけたことがあったそう。そのときショックで号泣してしまったといいます。

「“あたしの料理がまずいんだ”と本気でショックで、過呼吸になりました。当時は婚活のための料理教室に通っていましたから。婚活していた27歳からの5年間は、病みましたよ。深い仲になった日に、“咲良さんと僕は合わないと思う”と言われたりしましたから」

60人以上にフラれたという咲良さんを横目に、同期や後輩が先に結婚していき、続々と出産。そして誇らしげに子連れで復帰のあいさつに来ます。

「言葉は悪いですが、悔しくて殺してやりたいと思いましたよ。32歳になると仕事の壁にも当たってきて、全然思うようにいかなくなる。お金のために働くのもバカバカしくなって、会社を辞めることにしたんです」

最初に入ったIT関連会社は、毎日が文化祭みたいで楽しかったと言います。

転落の契機は、自分探しの大学院と「高学歴ダメ男」。プライド高め男子に搾取された“女の人生”~その2~に続きます。

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