今年で第100回を迎えた“夏の甲子園”。
その 100年を超える歴史は名勝負の歴史でもあります。波乱・衝撃、旋風、怪物、ライバル、そして大逆転・・・・・・。
「甲子園」というフレーズだけで、さまざまな場面がよみがえってきます。
そのなかから、もう一度振り返りたい“ベストシーン”をご紹介します。
【1990年(平成2年) 第72回 1回戦 天理[奈良]6-1愛工大名電[愛知]】

 

『夏の甲子園 名勝負ベスト100 (文春MOOK)』より

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 高校野球の百年をこえる歴史の中から名勝負を選ぶとき、何を基準にするかはじつに悩ましいところだ。 

2年生、3番打者の鈴木一朗

 力投、強打、好守、劇的な展開、延長戦……選定のポイントは数多くあるが、その中には、後年になって意味を持つ試合があることを忘れてはならない。

 ここに掲げる天理と愛工大名電の一戦は、いわゆる名勝負ではない。強豪同士の対決ではあるが、表面的には地力に勝る天理が愛工大名電を押し切った順当な結果といえる。だが、愛工大名電の2年生の3番打者の鈴木一朗が、若き日のイチロー(現マリナーズ特別補佐)だとなると、俄然興味が湧いてくる。

四半世紀変わらない体型

 当時の映像を見返すと、まず四半世紀を経てもイチローの体型が高校時代とほとんど変わらないことに驚かされる。とはいえ、この試合から、その後の超人的活躍を予測することは難しい。

 イチローは、この大会で優勝投手となる天理の南竜次(元日本ハム)から第1打席で中前打を放つが、残りの3打席は三振と外野フライに倒れ、レフトの守備では打球の目測を誤る場面もあって、初めての甲子園は不完全燃焼に終わった。翌春のセンバツにも「3番・投手」で出場したが、初戦でエース上田佳範を擁する松商学園(長野)に惜敗。最後の夏は予選で敗退した。

 高校3年間の通算打率が5割を超えるといわれるイチローだが、甲子園に限ればわずか2試合で1安打しか記録していない。ある者にとっては甲子園が野球人生のピークであり、またある者にとってはひとつの通過点に過ぎない。それが微妙に交差するからこそ、一世紀以上にわたって高校野球が愛されてきたといえるのではないだろうか。

(矢崎 良一)

翌年のセンバツには投手として登板した ©AFLO