この感情は母性? それとも……。訳ありげな12歳の美少年・真修に惹かれていく30歳女性・聡子の心情と、2人の距離感の変化を美しい筆致で描く『私の少年』。4巻が刊行されている同作は、なんと累計70万部を突破。2018年5月より『週刊ヤングマガジン』(講談社)へと移籍し、ますますパワーアップしています。移籍後の近況と、連載を重ねるにつれて生まれた心境の変化を、作家・高野ひと深さんにインタビュー。本編の出張掲載とともにお楽しみください。

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●お色気はないけどヤンマガで連載中!

――『週刊ヤングマガジン』へと連載の場を移した『私の少年』。移籍が発表されたときは、多くの驚きの声が聞こえました。

高野ひと深(以下、高野): 私自身も「ヤングマガジンのみなさんに受け入れていただけるだろうか」と最初は不安でした。お色気もないし……(笑)。でも、掲載誌にあわせて違う方向に舵を切るようなこともなく、月1回の掲載で、自分のペースで描けています。

――ヤンマガの読者はほぼ男性ですよね。『私の少年』はどちらかというと、女性の共感を呼んでいるマンガだと感じているのですが、そこのギャップはありませんか?

高野: 『月刊アクション』(双葉社)での連載当時から、男性の方からも根強い支持はいただいていたんですよ。それでも30~40代男性の読者層が薄めなのは事実なのですが、担当編集の三村さんが購買データも調べた上で「これまでの支持層ではない読者が読んでいる雑誌だからこそ、連載するメリットもあるんじゃないか」と提案してくれたんですね。

――実際の反響はいかがですか?

担当編集・三村(以下、三村): 「読んでみたらすごくハマった」という男性読者からの感想をすでにいただいていますね。かく言うぼくも、繊細さに欠けるというか、男子小学生を見ても「あ? ガキだな」といったマインドで生きてきた人間です(笑)。それなのに、『私の少年』の1話を初めて読んだときに、真修の美しさに心打たれてしまって。胸がどきっとして「なんじゃこりゃ」と思ったんです。

――はじめての感情を味わったんですね。

三村: だって、毎回本当に面白いので。ぼくのようなおっさんでも、聡子に感情移入できるんですよ。思考や言葉遣いが女子すぎないというのもあるし、何より、聡子が仕事や人生で悩んでることって実は普遍性がある。うちの編集長も「なんか、胸にくるんだよ……」「読むと、聡子になっちゃうんだよな……」と言っていたくらいです。人間の、本質的な“さみしさ”が描かれていて、たまらないじゃないですか。いつもちょっとしたシーンで、泣けてしまう。

●推しアイドルの卒業すら「客観」で見てしまう

――確かに聡子と真修って、自分の居場所はあるんだけど、言いようのない所在なさを抱えていて、だからこそ心を通わせていくんですよね。「さみしさ」というテーマは、高野さんのなかに最初からあったんでしょうか?

高野: 全然! 三村さんに言われて初めて気づいたかもしれません。ただ……、さみしさの話とつながるかわかりませんが、アイドルのライブに行ったり幼馴染と旅行に行ったりして、どんなに盛り上がってるときでも、全体を俯瞰で見てしまう自分はいます。なんか、右斜め後ろにカメラがあるんですよ。主観でモノが見られない。

――冷静になっちゃうってことですか?

高野: 感情の「波」に乗れないっていうのかな。例えば、すごく好きなアイドルグループのコンサートで、推している子が卒業発表をしたことがあったんですね。最初は、その子がずっと準備してきただろう言葉に全力で耳をかたむけて受け止めたいと思ったんですけど、そこで右後ろにいる人が振り上げたサイリウムをおろしてハッとした表情をしたのが見えてしまって……。そうなると、客観カメラが作動してしまって、「この瞬間、ここにいるお客さんたち一人一人が一体どんな顔をしてるんだろう」ということが気になり、もう全然主観になれなかったんです。

――あー。

高野: もともと本当に根暗なのもあり(笑)、人の顔色をうかがう性格なので、そのせいなのかなと思います。快感に乗りたいんですけど、ついついブレーキをひいてしまって。もっと快楽に身を任せたい……。

――でも、そういう高野さんの性質が、聡子さんにも反映されている部分があるんですね。

高野: そうですねえ。聡子さんはめっちゃブレーキかけるタイプですからね。それに対して、真修は結構アクセル踏んじゃうところがあるから、聡子さんが引いても追いかけてくる。この二人だからこそギリギリ落ちない感じのドライビングができるんですけど、毎度苦労はしますね(笑)。

●日常のなかの「窮地」を描きたい

――当初は「現実のしがらみを離れて癒やされる日常系マンガなのかな」と手にとったのですが、「いやいや見ず知らずの大人が子どもの人生に介入していくのって、どうなの?」という点がビシバシと描かれていて、毎巻「ウウ……」となっています。もちろん、二人の交流で心温まるところもあるんですけど、それだけで済ませないシビアなリアリティがある。ストーリー作りも大変じゃないですか?

高野: キャラクターが「窮地」に陥って打破する瞬間が好きなので、シビアなシーンのほうが描きやすいし、楽しいんですよ。

――日常のなかの窮地。

高野: その人が自分の人生を振り返ったときに、直接口にはしないけど脳裏にはギラッとこびりついているような瞬間というのかな……。例えば、聡子と真修父の初対面シーンなんかがそうですね。

――ファミレスでの会話だけで進むのに、ものすごく引き込まれました。

高野: あの回はネームが一発で通りましたね。会話劇が好きなんです。作業中に映画やドラマを流しているんですけど、画面が見られないから、引っ掛かるセリフのある作品ばかりが心に残るんですよね。マンガを描いていても「私、会話を描くのが好きなんだなあ……」と思います。

三村: 会話、めちゃくちゃうまいですよね。いつもセリフの流れが本当に自然で。

高野: 自分が人と話すのは本当に苦手なんですよ。こういう取材のときも、ライターさんのTwitterをめちゃくちゃさかのぼって、予行演習をしておくんです。先日講談社マンガ賞の受賞パーティーにお伺いしたんですけど、とにかくたくさんのマンガ家さんたちがいらしていて。予行演習のしようがないから、何が飛びててくるかわからなくて、楽しい反面緊張がすごかったです。「ほんとですね?」みたいな相づちしか打てなくて、己の無力を感じました。

――考えすぎている……(笑)。話を戻しますが、聡子とお父さんの会話は、読んでいてもっともヒリヒリする回でもありました。聡子と真修の心がまた一段と近づいた後だったから、余計つらくて。 

高野: 題材が題材だからこそ、読者を「まひ」させちゃいけないなと思っています。紙の上では「かわいいな?」と読むけど、閉じたら「どうだろうな」と心に残るような、地に足ついた窮地をちょっとずつ進むようなストーリー。「まあ物語だし、ほっこりできればいいんじゃないの?」と思う人もいるかもしれないし、ストレスのないものが選ばれるし喜ばれるのもわかっているんだけど、自分のなかの“コンプライアンス的なもの”がそれを許さなくて……。

――コ、コンプライアンス。

高野: 連載開始当初は、もっと単純に考えて描いてたんですよね。「長く続けさせてもらえるかもわからないし」とちょっと油断していたところもあるかもしれません。そもそも「OLと少年」という設定自体、自発的に生み出したものではありません。最初は「おじさんと少女のマンガで、少女が脱ぐシーンも入れましょう」と言われてネームを描いていたんですが、「こ、これはやだ!」と自分のなかでアラートが出てしまって、その代替案として出たものなんですね。

――ああ……。

高野: 「このままじゃ描きたくないし、おじさんの気持ちもわからない、OLと少年で描かせてください」と言ったのが、『私の少年』が生まれたきっかけです。でも1話が思わぬ反響をいただいて、1巻が出て……そこでようやく「自分では健康的なマンガを描いているつもりだったけど、よくよく考えるとこれもあやういよな!?」と気付いたんです。

●「大人対子ども」から「個人対個人」の物語へ

――帯に「禁忌」ってありましたし、真修がどんどん聡子に心をひらいて、読者としては「これは……恋?」と思うような空気も出てきますしね。

高野: 真修がちょっときらめいた目で聡子さんを見はじめて、「あれ、これは怖いかも?」と思うようになりました。「私は大変なことをしている……」とやっと自覚したんです。その時点ではむしろ「人をまひさせるくらいに平和なマンガ」を描いているつもりだったのですが、「やだな」センサーがまた発動して。

――高野さんとしては、いわゆる「歳の差恋愛」を描くつもりはない?

高野: そうですね。「子どもには何があっても大人が手を出してはいけない」という倫理観が自分の中にあるので。確かに1巻での二人の関係はほほ笑ましく見えるんですけど、どちらかが自分の家族だったりしたら、やっぱり不安ですよね? それで「この二人の関係を、もっと真面目に考えてみよう」という意識が生まれました。「そもそも私は、なぜ編集さんから、『子ども』が描ける人だと思われたんだっけ」と記憶を掘り起こして、自分の過去作品を読み返したら、子どもが主人公の作品がめちゃ多くてゾッとしたり……。

――(笑)。何か心当たりはあるんですか?

高野: うーん、母親が学童関係の仕事をしていて、子どものころから家に教育関係の本がたくさん置いてあったんですよね。そういったものを読んでいたのが、作品に影響を与えているのはあるかもしれない。とはいえ聡子と真修の関係はもう動き出していますから、自分の中の「それ良くないんじゃない?」と向き合いながら、描きたいテーマをいかに表現するか、苦心しています。

――1巻発売時のインタビュー(※)では「大人になれない二人」を描くのが好きという話を伺いましたが、倫理観との逡巡(しゅんじゅん)を経て、新たに見えたテーマがあるんでしょうか?

高野: 大人と子どもの関係を、いかに個人対個人として見せられるか、対等に話をさせられるかというところですね。大人は子どもを守るべきだし、大人が子どもに頼ったり甘えたりましてや恋愛関係に陥るなんてことは、あってはならないと思っています。でも、それで、子ども自身の発言や行動が制限され抑制されて個人として認めないということも起きている気がしていて。「これは、個人対個人の話なんだよ」というのを、既存概念とは違う形で見せていきたいです。

※:『ダヴィンチ』2017年2月号

――すでに落としどころは見えているんでしょうか?

高野: 「リアルだ」「地に足がついている」というお言葉をいただくことが多いんですけど、「まあ現実だったらこうなるよね」という展開には絶対にしないと決めています。なので、二人が離れることはないし、真修が大人になる前には絶対に終わらせようと思っていますね。

――「少年」のままで。

高野: 「大人になって解決しました」だったら私も描きやすいですけど、責任能力がないとされる年齢のままで答えを出さないと、示しがつかないですよね。そういう安易な道を選ばずに突き詰めていきたいです……が、どんどん大変になっているので、「なんでこんなテーマにしたんだーーーー!」と後で泣き叫ぶかもしれません(笑)。

(C)Hitomi Takano 2018/講談社