日本のいたるところで、ダイナミックな「暴力導」が次々と明るみとなっている。

【その他の画像】

 不正融資問題で揺れるスルガ銀行では、標が達成できない行員に対して、首根っこをつかまれてに押し付けられ、そのすぐを殴るなどVシネみたいな脅しが横行していたという。また「オマエの家族を皆殺しにしてやる」などと『闇金ウシジマくん』みたいな脅迫をされた行員もいるという。

 数日前には、体操協会からのパワハラを受けたと訴えていた女子選手が、周囲がドン引きするくらいビンタされている映像も放送された。手を上げていたのは、「たたいてでも教えることが必要だと思っていた」と過去暴力導をお認めになっている速見コーチだ。そんな速見氏を輩出した日本体育大学でも、陸上部の監督が部員に対して、暴言を繰り返したり、足を蹴ってケガを負わせたりといった告発が週刊誌に出て、内部調が進められている。

 少し前には、居酒屋バイトを辞めたいと申し出た大学生を、店長が自宅に押しかけてボコボコにするなんて衝撃的な事件もあった。「暴力は絶対ダメ」ともが口にしながら、ちょっと裏に回ると、鉄拳制裁や暴力導が日常的に行われているのが、日本リアルなのだ。

 では、なぜ々の社会は「暴力導」を止められないのだろうか。

 答えは明で、「人間が成長をする上で、ある程度の暴力は必要」という「幻想」というか「妄想」にとらわれている方が思いのほか多くいらっしゃることが原因だ。

暴力導を「ある程度は必要」と容認する人たち

 「妄想にとらわれているのは貴様だ! を覚まさせてやる、を食いしばれ!」といますぐ殴りかかりたい衝動にかられている方もいらっしゃることだろうが、さまざまな客観事実がそれを雄弁に物語っている。

 例えば、2017年7月、非政府組織「セーブ・ザ・チルドレンジャパン」が2万人を対に、「しつけ」に伴う子ども体罰について尋ねたところ、「必要に応じて」が16.3、「他に手段がないと思った時のみ」が39.3と、ある程度の体罰を容認している人が57にのぼったのだ。ちなみに、体罰法律で禁じられているスウェーデンで同じ調をしたところ容認は10にとどまっている。

 この“体罰容認カルチャー”は、先ほどのスルガ銀行行員や女子体操選手の暴力導に対する、ワイショーコメンテーターや、ネット民から飛び出す以下のような意見ににも如実にあらわれている。

 「機関ではこの程度の脅しや暴力などしくない。昔の銀行員はもっとひどいにあった」

 「暴力導の界は難しい。限界えるにはある程度の厳しい導が必要。それを乗り越えたからいまの自分がある」

 「本人も納得して、硬いがあるのだから、暴力ではなく導の一環だ」

 「暴力はよくない」などと前置きをしながらも、どこかで暴力導を「ある程度は必要」「があればそこまでくじら立てなくても」と容認する人たちが一定数存在しているのだ。

 事実、速見コーチと同じ日本体育大学出身である高校バスケ部顧問が、2012年キャプテンを務めていた生徒を皆の前で見せしめ的に体罰を行って、その後に彼が自殺をした時も同じようなが、生徒や保護者からでている。

 この「ムチ理論」ともいうべき、信仰にも近い暴力観が、職場、学校庭など社会の隅々まで浸透しているのが、いまの日本なのだ。では、この“暴力容認思想”は一体どこから生まれているのか。過去へさかのぼってその流を探してみたい。

暴力容認思想の

 2007年愛知県豊橋市が行なった市民意識調を見ると、現在とそれほど大きな変化がないことが分かる。

 『「しつけのための子どもを強くく」は虐待と思うかの問いに、51虐待に当たらないと考え、二十代ではその数が65に達した』(日本経済新聞 2007年12月21日

 2000年宮崎市800名を対に行なった調でも、60以上の人が「お尻く」「手をく」は「しつけとしてやってよい」と回答し、40近くが、「あざができるなど子どもが何らかの外傷を負わない限り、たたく行為は虐待にはならない」(同上)と答えている。

 親から虐待される子どもの中には、お背中など衣類で見えないところを殴られたり、タバコを押し付けられたりというケースも少なくない。これは「跡にならなきゃセーフ」という日本人特有の暴力ガイドラインが関係しているのだ。

 大きな変化が見られるのは、80年代だ。教育現場を中心に、つまり教師の間で、暴力導を容認すべしというが盛り上がるのだ。

 例えば、1986年日教組教育研究機関教育研究所」が、全の小、中、高の教諭6171人を対に調を行なったところ、45が「体罰導法の一つ」として回答して、生徒数が1000人以上という大規模校になると、59とその割合は高くなった。

 88年に宮崎大学教育学部の助教授が、東京愛知福岡宮崎教師、計2176人を対に「体罰」についてアンケートを行ったところ、「厳しさは今の子に必要だ」「その場で分からせる必要がある」と回答したのが60に及んだという。

 この背景にあるのは、70年代から社会問題化していた非行や校内暴力であることは言うまでもない。

 子ども同士のケンカやリンチだけではなく、教師にまで手を挙げる子どもがあらわれたことで、教育現場では「言っても分からないなら、体で分からせるしかない」という考えが急速に広まっていく。それをさらに後押したのが76年、茨城県立の中学教師体罰を行った生徒が8日後に死亡する事件である。裁判で教師は「ある程度の有形の行使も懲権として認められる」と罪。この判例が、体罰容認教師をさらに勢いづける。当時どの学校にも1人はいた「ジャージ姿で竹刀を振り回す体罰担当の体育教師」が誕生したのはこの時代だ。

暴力子どもを正しく導くためのムチ」思想

 そんな「暴力教育の最終手段」という思想は、当時ヒットしたドラマ映画にもよくあらわれている。76年にヒットした、松田優作演の映画暴力教室』は、元プロボクサーの教師が、体育会の生徒たちにを殺されて復讐するというバイレオンス活劇だ。82年には拳銃所持を許された教師が、不良生徒をとっちめていく漫画ビックマグナム黒岩先生』が人気となり、85年には横山やすし演で映画化された。そして、84年には「は今からお前たちを殴る」の名セリフで知られる伝説のスポ根ドラマスクールウォーズ』が放映される。これらの作品に共通するのは、「暴力子どもを正しく導くためのムチになりえる」という思想であることは言うまでもない。

 こういう暴力容認の大きな流れができると、最終手段どころか日常的に暴力導を実践される方たちもあらわれていく。中でも有名なのが、いわゆる問題児を預かって、ヨットで厳しく鍛えて更生させる「戸塚ヨットスクール」で一躍時の人となった戸塚氏だ。

 訓練中に少年が亡くなって、戸塚氏らが監禁・傷致死の容疑で逮捕されると、日本中は「戸塚氏は教育者か、犯罪者か」というテーマで大論が繰り広げられる。ただ、その議論ベースとなる感覚も、現代とべるとかなり違っていたことが、当時のマスコミ報道からも分かる。

 戸塚氏の逮捕後、竹刀や棒を押収されたスクールでの訓練風景を取材したマスコミは、さも当たり前のような感じで、このようなことをサラっと言ってのけている。

 「時折、訓練生の背中にとぶコーチ手やげんこつ体罰といえるようなものではなかった」(日本経済新聞 1983年7月4日

 速見コーチ女子選手をビンダする衝撃映像ドン引きした人も多いかもしれないが、ほんの30年前の日本人はああゆを見ても、「いやあ教育熱心なコーチだね」くらいにしか思わなかったのである。

 では、日本人の大半がとらわれている「導・教育現場にある程度の暴力は必要」という思想がすべてこの時代に生まれたのかというと、そうとは言い難い。

 5060年代はもちろん、戦中、戦前江戸時代やそれ以前にも、子どもや弱い立場の人間への暴力体罰というものは山ほど確認されているからだ。

親の多くは、が子に鉄拳制裁

 もちろん、どのでも、どの民族でも多かれ少なかれ、暴力で人を教育導する人たちが存在したが、それを否定する人たちも多くいた。日本もご多分にもれず、「肯定」と「否定」が長いこと拮抗してきたのである。

 だが、日本が他・他文化とべて極めて特殊なのは、「否定」であっても、の中で「暴力導には効果がある」と信じている人が圧倒的に多いことだ。なぜ、そしていつから々はこのようなダブルスタンダードにとらわれてしまったのか。

 それを読み解く鍵が、戦後間もない1949年8月読売新聞の「世論調査」にある。「子供をしかる時に“なぐる”ことが良いかと思いますか 思いませんか」という質問に対して、81.9の親が「悪いと思う」と回答をした。

 戦時下でゴリゴリ暴力導が横行していた時代を終えて、多くの親たちが「暴力」を否定するのは非常に納得感のある話だが、驚くのは次の質問への回答である。

 「子どもをしかるとき“なぐる”ことがありますか」という質問に対しては、54.9が「ある」と回答しているのだ。つまり、この時代の親の多くは、「分かっちゃいけるけど、やめられない」という感じで、が子に鉄拳制裁を加えていたのだ。

軍隊のマネジメントを取り入れた「軍隊式教育

 暴力導は悪いことだと頭では理解しているが、どうしても子どもに手を挙げることが止めれない――。物中患者の禁断症状を思わせるような話だが、この70年前の人々と全く同じことを、先日、謝罪会見を催した速見コーチが言っている。

 「導9年になるんですが、最初のほうは危険が及ぶ場面で、たたいてでも教えることが必要だと思っていた。ここ数年はよくないって分かっていながらも、慢できずたたいていたのが数回あった」

 「気持ちが入っていない時、危ない時にたたかれていた。当時はそれに対し、教えてもらえたという、むしろ感謝の気持ちを持ってしまっていたので、そこが自分の根底にあった」

 実はこれは暴力導の本質を突いている。体罰を受けながら一人前の選手に成長をした速見氏は、頭では「今の時代、体罰はダメだ」と理解しながらも、慢できずに女子選手をり倒したり、を引っったりした。暴力ハラスメントで一人前になった人にとって、それを全否定することは、自分がこれまで生きてきたことを否定することになってしまうからだ。あの経験があるから今の自分がある。そういう思いが強くなればなるほど、人は自分が受けた暴力ハラスメントを、する人に再現する生き物なのだ。

 1949年の親たちもまったく同じで8割の人が「なぐるは悪いことだ」と自分に言い聞かせながらも、慢できずにが子を殴っていた。なぜかというと、速見氏と同じく殴られながら、一人前の大人に成長をしたからだ。

 それが日本の伝統的な子育てなんだからしょうがないだろ、と思う人もいるかもしれないが、実はそうとは言い難い。実は戦時中に「一人前の大人」となった人たちは、これまでの日本の伝統的教育とかなりかけ離れた教育を受けている。それは、軍隊のマネジメントを取り入れた「軍隊式教育」ともいうべきものだ。

 きっかけは、1885年に文部大臣・有礼が始めた教育革だった。愛国者で、教育に、愛国的思想を大きく取り入れたことでも知られているが、一方で、後のラジオ体操にもつながる「兵式体操」を学校に導入したり、教師す若者を寄宿舎に押し込んで、厳しい上下関係のもとで規を学ばせたりという、「教育現場の軍隊化」を進めたことでも有名だ。

 運動会、前へならえ、整列行進、そして暴力導……現代日本にも残る学校の「軍隊臭」はこの教育革の賜物なのだ。なんてことを言うと、「そんな昔の話を現代に結びつけるな、この反日左翼め!」と怒る方がたくさんいるが、「そんな昔の話」がいまだに々の「常識」としてみそにこびりついていることを示す拠は枚挙にいとまがない。

 例えば、詰襟の学生だ。

 ご存じの方も多いが、この始まりは、1879年に学習院軍の制服モデルにしたことにある。この時の院次長は渡辺洪基。彼は後に大(東大)の初代総長になり、そこでもボタンのついた陸軍式の制服を導入していて、これが全に広まった。

暴力導の本質は「信仰」

 では、なぜそこまで渡辺子どもに「軍服もどき」を着させることに執着したのかというと、親交の深い、有礼の影だと言われているのだ。130年以上が経過しても、いまだに々がなんの疑問も抱くことなく、当たり前のように子どもたちに軍服を着させていることを踏まえると、平成日本教育現場も、当たり前のように「軍隊」をひきずっていると考えるのは当然なのだ。

 した「教育現場と軍隊の融合」。その是非はさておき、どういう結果を生むかだけは明らかだ。それは、世界中の軍隊でたびたび報告される「いじめ」や「暴力」という問題が教育現場で再現をされることだ。

 寄宿舎に入れられた師範たちの言がまとめられている、唐沢太郎の『教師歴史』(創元社)には、この教師育成施設で、「四年生は、三年生は幹部」「鉄拳の乱下」など体育会運動部のベースとなる価値観がまん延していた事実数に記されて、以下のような問題も摘されている。

 「師範の寄宿舎生活には極端な軍隊的な階級制が存していたのであるが、これに伴って併発した現が上級生の下級生いじめということである」(P.60

 厳しい上下関係のもとで暴力ハラスメントを受けながら「師範」となった人々が、教育現場に出て子どもたちに、自分が受けた教育をどのように「再現」するのかというのはもはや説明の必要はないだろう。

 1949年の親たちが暴力慢できないのは、すべてこの教育革の賜物である可性が高いのだ。

 よく日本人暴力は、軍義が原因だという話になることがあるが、正確には「教育現場が軍隊になった」ことが大きい。そして、教育が恐ろしいのは、中国北朝鮮反日教育などをみれば分かるように、パンデミックのごとく爆発的に社会に広まって、それが長く尾を引く点にある。

 顔をひっぱたかれ、を引っられて18歳少女が「暴力はなかった」と訴えた。その親も、暴力を受けているのを知りながら、その導者を「信頼している」とおっしゃっていた。その構図を見て、「宗教みたいね」と言って日本中からかれた人がいた。確かに、相手の気持ちに寄り添わない不適切な発言であって批判されてしかるべしだが、実は本質的なところでは、それほど間違ったことは言っていない

 暴力導とは日本人にとって、理性や合理的思考を越した、もはや信仰のような存在なのだ。

 を信じる人に対して、を否定しても聞くを持つわけがない。「何も知らないお前に何が分かる」「あの素晴らしい体験があったから今の自分がいるのだ」――。そんなややこしい反論がきて、行線だろう。「ムチ」に対する信仰も、これと全く同じだ。

 どんなに「暴力はダメよ」という社会になっても、ひっそりと一部の熱心の「信者」が隠れキリシタンのように守られていく。それが日本人にとっての「体罰」なのかもしれない。

 これからも日本ではこっそりと暴力導が続いていくのだろう。

窪田順生)

暴力容認思想の源流はどこに?