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ニコニコ生放送とBLOGOSがタッグを組んでお送りしている「ニコ生×BLOGOS」第14回のテーマは「週刊朝日の橋下氏批判は何が問題だったのか?~現在の部落差別問題を考える~」

「週刊朝日」が橋下徹大阪市長の出自に関する連載記事を巡り、クローズアップされた被差別部落問題。ツイッターを使って大反論する橋下市長と攻め立てられる週刊朝日の攻防だけが多く報道され、肝心の差別問題はタブー視され、そもそもの根本である「同和問題」に関しては語られることがありませんでした。

そこで今回のニコ生×BLOGOSでは、メディアがタブーとしている「同和問題」について、改めて考えました。

【出演】
司会:大谷広太(BLOGOS編集長)
アナウンサー:佐々野宏美
コメンテーター:須田慎一郎(ジャーナリスト)
ゲスト:宮崎学(作家)

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「週刊朝日問題」は、差別が残っている証明である


佐々野:被差別部落問題の知識に関しては、地域によっても差があるようでして、大谷編集長は学生時代にこういった問題についての授業があったそうですね?

大谷:小学生の時に授業がありまして、「結婚や就職で差別を受けました。こういうのはよくないですよね」っていう作文を書いたぐらいの記憶があります。ただその後、実社会の中で、そういった問題に直に触れることはなかったですし、習わなければ知らなくてよかったんじゃないかと今までは思っていたんですね。

ただ、今回こういった問題が起きて“あの問題か!”という風に思い出しましたし、どこまで知識として知っておくことが必要なのかと。また、これからはツイッターとか、インターネットを通じて、多くの人が発信しますから、基礎知識として、もう一度何が問題なのか?どういうことなのか?というのは知っておく必要があるのではないかと思っています。

須田:地域格差という点では、今回の出演者で東京出身者は私だけなんですが、東京では同和教育というのをやっていない。あるいは同和に関する資料も配られない。私は昭和36年生まれですけど、私が住んでいた地域では、きちんと同和地区というのが存続していた。

関東地区に、同和地区がないわけではないんだけれども、そういった教育はほとんど行われていなかった。その辺では東西の差があるのかなと。だから、知っているとか知らないというのも意識の差がでてくるんじゃないかなと思いますね。

佐々野:地域によっての教育の差というのも、今現在表れているのかなという感じもするんですが。そのため、被差別部落問題について、なんとなく知ってはいても、現在の社会の中で、どれだけ部落差別が残っているのかという部分については、ご存じない方も多いかと思います。

まず、宮崎さんに担当直入に伺いたいのが、今回の橋下さんを巻き込んでいる一連の騒動というのは、何が一番の問題点だったのか?

宮崎:非常にはっきりしているのは、週刊朝日が“連載をしましょう”と決めた。連載というのは、何十回か続けるから連載なんでね。それを1回掲載しただけで、「ごめんなさい」と謝って、社長から編集長まで一定の処分をすると。このことからもわかるように、週刊朝日側が大きなミスをしたと。これが「週刊朝日問題」の根本ですよね。ミスをしなければ謝ることもないし、みっともない連載と言って、1回で辞めることもないわけですよね。それが表面的に出ている一番大きな問題だろうと。

この「週刊朝日問題」が起こるという事自体が、僕はこの社会の中に、部落差別問題が存在しているという証明だと思うんですよ。つまり、この週刊朝日の記事を作った人も、新潮45とか文春とかも、週刊新潮が書いた橋下さんに関わる記事が、非常に部数を稼いだと。二番煎じ、三番煎じで、もっとえげつないことを書けば、雑誌がもっと売れるかもしれないというスケベ根性が丸出しなんですよ。

ところが、あまりにも丸出しでやりすぎたために、1回で連載が中止になったと。実態はそんなところだろうと思いますね。

佐々野:差別問題というのが、意識的にまだみんなの中に潜在的にあるからこそ、大きくなったということですか?

宮崎:差別問題を使えば、“本が売れるかもしれない”という、作り手の卑しい考えが見え隠れするんじゃないですかということですね。

大谷:もし、それで売れたとすると、知らないながら買う側にも、(橋下さんの)出自などそういうところが気になるという意識がなくはないということでもありますよね?

宮崎:橋下さんを取り扱えば、ある程度は売れる。しかし、おもしろいことに、橋下さんを褒めても、あまり部数は伸びないだろうと。叩いたほうが伸びるということがあるんですね。そういう出版に関わる傾向の中で、こういう選択肢が選ばれていったんだろうと思いますね。

橋下さんの変わり身の早さ


須田:内容の問題点に入る前に話を整理しておきたいんですが。先ほど、宮崎さんが言われたように、これまで「週刊朝日」の連載が始まるまで、「新潮45」「週刊新潮」「週刊文春」が似たような記事を書いてきた。今回の「週刊朝日」は、はっきり言って二番煎じ、三番煎じ。私もその通りだと思います。

ただ今回、週刊朝日がなぜ全面降伏になったのかというと、朝日新聞グループを巻き込んじゃった。橋下さんが朝日を人質にとってしまって、当初は「大阪朝日放送、朝日新聞の取材には一言も答えない」というようなことを言ってしまった。これに朝日新聞が慌てて、「これはなんとか決着をつけなければ。選挙も近づいているのに大変なことになるぞ」というので、謝罪に動いた。これがもし「週刊朝日」でなかったならば、スルーされていたんじゃないかという指摘もあるんですけど、これはどういう風にお考えですか?

宮崎:実際にいえば「週刊朝日」の母体に当たる「朝日新聞」に攻撃の矢を向けたと。そういう方法の問題というのは、後で話しあわれることであって、週刊朝日が11月30日号で検証記事を書いているわけですけども。やっぱりミスがあったというわけですよね。

それから見ると、橋下さんの対応がよかったとか、朝日新聞をターゲットにしたのが良かったとかっていうのは、方法の問題であって。元をたどれば、大手新聞社系の週刊誌なんて、全部あるわけですよ。だから、それらが名誉毀損とか色んな事件を起こすんだけども、この種の問題が起こらないのは、色々な問題を起こしたとしても、今回、「週刊朝日」が起こした問題の質が非常に悪かったと。

須田:それ以前の問題だと?

宮崎:そうです。あと橋下さんの対応の中で、評価できるのは、彼がツイッターでものすごい反撃をしていたこと。その中身は、彼自身が大阪府や市の行政の中で否定していたことを、理屈として逆に持ちだしてきて、それを論拠にして、朝日を攻撃していたと。この変わり身の早さに負けたというのが実情なんじゃないかなと僕は思いますね。

須田:私も宮崎さんの意見に大賛成であって。(今回の「週刊朝日」の問題は)あまりにもレベルが低すぎると。じゃあ、具体的にどこが問題だったのか。中身の検証に入っていくべきではないのかなと。週刊朝日は、謝罪と見解というのを発表し、処分をして、これで幕引きになってしまったような。

結論を先に言うようでイヤなんだけども、これではなんの問題解決にもなっていないと私は思うんですよね。きちんともう1回検証して、なにが問題であって、これからどうすべきなのかというのを検証していかなければ、部落差別問題に真正面で対峙していないことになるじゃないかと思いますけどね。

一番辛いのは“無視の差別”

一番辛いのは“無視の差別”


佐々野:記事の中身について、宮崎さんはどこが問題だったと思いますか?

宮崎:橋下さんは公人ですよね。公人を批判する場合は、その人がやっている中身を批判すべきであって、その中身に関して、ムリヤリ出自と結びつけてしまおうというところが、一番大きな問題だったんだろうと。

「橋下さんがこういうことをやるのは、彼がこういうところで生まれたからそうなんだ」とするのは、ある種、わかりやすいかもしれないけど、そんなこと絶対ないわけですよ。橋下さんには、橋下さんの考えがあってやっていることであって、出自の問題と彼がやっている中身の問題との関連性を明らかにしていない。

普通はまず、関連性を明らかにした上で、記事が成立するものだと思うんですが、当然出自に関しては、取材する側の人間は全部取材するんですよ。どのような政治家であって、どこで生まれて、その人の先祖はどうだったかって取材するんですが、その取材した中身に関して、今回の「週刊朝日」の記事のように、直線的に結びつけていってしまった。ここに、ジャーナリストとしての魂が飛んじゃったところがありますよね。

須田:「同和地区出身だから、こういう政治家になったんだ。こういう報道をしているんだ」あるいは「父親がヤクザだから、こういう政治活動をしているんだ」というのであればね、そこを結びつける部分をきちんと検証して、具体的に根拠を示すことが、良心的なジャーナリズムの在り方なんですよ。しかし、週刊朝日の記事っていうのは、そこの作業を全くしてないじゃないですか。

宮崎:ただ、佐野眞一さんにしても、僕は評価する側の人間なんですね。一定の評価を僕はしていますよ。彼が、今回の週刊朝日の記事に関して、謝罪をしている部分もあるんですけれども、僕は、もう少しつっこんだ謝罪が欲しかった。

どういうことかというと、週刊誌や月刊誌を作る場合、名前を出す物書きがいるわけですね。今回は佐野さんだったわけですけど。実際に原稿のチェックをする時に、見出しとか中見出しっていうのは、意外と見ないんですよ。「そこはもう編集部に任せといてください」と。その見出しとか中見出しが車内広告になって、宣伝されるわけなんですけど、そこは裏固めの言葉が並ぶわけですよね。そこに作家なり、取材しているジャーナリストの意思が働くと困るという編集部の考えがあって。

でも、必ず見出しや中見出しが原因で問題が起こるんですよ。意図とは全然違う裏固めの言葉が並びますからね。だから、佐野さんも、その辺のところをちゃんと検証して欲しかったなと。検証が不十分なところがあるんじゃないですかと。

佐々野:これだけ大きく騒がれたにも関わらず、「謝罪しました」「はい分かりました」で、話題として無くなってしまった印象があるんですけど。

宮崎:だから、被差別部落問題というのは、間違った表現なんですけど、タブー視されているところがありましてね。こういう問題が起こったら、無かったことにしようという意識がどうしても働いてしまう。それについて“なぜ、そういう問題が起こったのか”という風にやっていくのが、本来の表現者なり、出版社の考え方なんだろうけども、今回は収束の形だけを求めていって、中身が全然無くなっちゃっいましたよね。

大谷:今回の記事も、橋下さんの行動については、毎日のように記者会見も含めて、各テレビも、新聞も雑誌も取り上げているんですけど、今回の週刊朝日の件に関しては、あまり事の顛末みたいなところも含めて、取り上げられていなかったなという印象がありますよね。

須田:週刊朝日問題で、同和地区出身者の方であるとか、運動に関わっている人達に、意見と感想を聞いてみたんですよ。そうすると、今一番悩ましいのは“無視の差別”だというわけです。

心の中には差別意識があるにも関わらず、表面的には無いことを繕って、なくなったんだということをやられるのが一番堪えると。だから、こういった問題が出てきたとするならば、きちんと議論をして、何が問題で、それをどう解決すればいいのかということを、オープンの場でやって欲しいというのは、色んなところから聞こえてきましたね。

大谷:今回、これで問題になって、無かったことになっているというのは、やはり今も(差別)問題が存在しているからこそなんですよね。

身分・職業・居住の差別があった


佐々野:「同和地区」という言葉、今回の問題でかなり大きく取り上げられましたけど、この同和地区というのは、被差別部落の環境改善と差別解消を目的として行われた“同和対策事業”の対象地域のことになります。この“同和対策事業特別措置法”について、今回初めて聞いたという方もいらっしゃるんじゃないかなと思うんですけれども。この同対法(※同和対策事業特別措置法)に費やされたお金が利権化した“同和利権”が問題なんじゃないかと指摘する声もあります。宮崎さんはこの同和利権について、どのような感想をお持ちでしょうか?

宮崎:まず「同和」という名前がどこから出てきたのかということなんですけど、時代がありまして、1965年からスタートしている話なんですよ。この年に同和対策審議会答申というものが、政府に対して行われるわけですね。それに基づく、同和対策事業が、同和地区で行われるようになった。だから、同和地区というのは、指定したわけで、それから“同和地区”という言葉が生まれたんです。この答申に基づく法案が作られて、これが2002年まで続きました。

その間に、同和地区がどうだったかというと、基本的なインフラ、就職、結婚といったことで、差別は存在していました。身分・職業・居住が三位一体になっている差別がそこにあったわけです。それを改善するのが政府の責任だということ。あるいは、地方自治体の責任だということで、この法案ができてから、一斉に手をつけていくわけですね。だから、そこには非常にたくさん金が流れ込むことになります。当然、劣悪なところをレベルアップさせようと思うわけだから、そこにたくさんの金が注ぎ込まれることになるわけです。

佐々野:33年間で、国は約15兆円を注ぎ込んだということなんですよね。

宮崎:それぐらいかかったかもしれないし、地方自治体も含めると、それ以上かもしれない。僕はこういう風に考えているわけです。現に三位一体の差別というようなものが社会に存在したわけですから、差別をしたら、その対価を払わないといけない。その対価がこの数字になっちゃったんじゃないかと。多分、同和利権というのは、インフラ関係の整備を中心とする仕事を言われているんだろうと思うだけど、それは過剰な物もあったんだと思います。しかしながら、二十数年間の流れの中で、かなりの部分が改善されたことも確かなんです。

だから、三位一体の差別のうち、居住に関わる差別が緩和してきたことは確かなことであって、そこに当然仕事が発注されたりするわけです。ましてや、就職している人が少ない地域でもありましたから、そこに住む人達の雇用を保証したり、場合によっては、かつて失業者対策事業があったように、失業者を防ぐために、地方自治体が職員として雇ったりしたことがありました。

それは、社会がある面で、今まで差別してきたことの対価として、当然支払わなければならなかったものだと思います。しかしながら、問題なのは、そこに利権的な構造が付きまとってきたということ。利権構造であるから、やられたこと全てが間違いだったのかということにはならないと思います。むしろ、同和対策事業が行われることによって、被差別部落の客観的な状況が改善しちゃうことも事実なわけですよね。

須田:例えば、居住1つとっても、細いドブが下水になっていてきちんと整備されていない。あるいは、トイレも水洗ではないし、家も六畳一間、八畳一間に家族が5人~8人住んでいる。そういう劣悪な住環境をなんとか改善していかなくてはならない。

そして、職業差別も含んでいるんです。例えば、就職するにあたって履歴書を書きますよね。その中に、“本籍地”というものがあるんですよ。今は都道府県程度でいいんですが、かつては番地まで書かなければいけなかった。その人がどこに本籍を置いて、それは同和地区なのか、被差別部落なのか?こういうことを企業がチェックして、もしそうなら、採用をしないということを公然と行ってきた歴史がある。

ですから、職業がない、仕事ができない、したがって無職である。そういったところをどう改善していかなければいけないのか。宮崎さんが言われたように、差別をしてきて、その結果、マイナスのところにいるわけだから、それをゼロあるいはプラスにするためには、お金をかけるというのは当然だったという歴史的経緯があるんですね。

佐々野:この同対法は部落の方たちにとって、メリットもあったわけですよね?

宮崎:実際に、同対法で同和地区と指定されたところは、結果として、被差別部落のレッテルが貼られやすくなりますよね。だから、物理的な意味における差別の緩和には、かなり寄与したんだろうけど、意識の中における差別の改善という点においては、かなりマイナスの面もあった。

大谷:それによって、社会的にも情報が出てしまったため、差別がなくなるどころか…という部分があったということですか?

宮崎:しかしながら、それほど日本の歴史の中で、被差別部落という所は、悲惨な目にあっていたところなんですよ。だから、少々のことを言われようが、仕事をすることの必要性のために、この同和対策事業に救いを見出したというのも確かだと思うんですね。それほど劣悪な状況にあったことは確かです。

目に見える差別、見えない差別


佐々野:今と昔の部落利権に、変化はあるんですか?

宮崎:何を捉えて“部落利権”と言っているのかわからないところがあるんですが、同和対策事業が行われていたのは2002年までなんです。だから、2002年までの間は、結構お金が流れ込んでいた。その時には、志の低い連中が仕事だけを取るために、“えせ同和行為”というのをやったりするわけですけど、それが主ではないんです。

同和対策事業というのは、同和地区全体のレベルアップのために寄与したんです。もちろん、中には悪いやつもいますが、そういうことで言うと、被差別部落には思わぬ金が流れ込んだわけ。今まで差別されてきたと。ところが法律が通ったと。

もちろん、部落解放同盟を中心とする反差別運動が存在したことは確かなんですが、部落の改善がドンドン進んでいった。そのために、金がかかったんです。同和対策事業が無ければ、僕は今も被差別部落の状況はものすごく劣悪な状態のまま続いていると思いますよ。

佐々野:例えば、今はどんな差別が残っているんですか?

宮崎:一番分かりやすいのは、「週刊朝日問題」が起こるような差別があるわけです。週刊朝日問題というのは、部落差別が無かったら起こらないんです。

須田:もっといえば、週刊朝日はそれまでも色々書いてきていますよね。“知りたい、読みたい”という読者の覗き見趣味みたいなものがあるわけじゃないですか。その覗き見趣味がどこから出てきているかというと、差別意識ですよ。差別意識に答えるために、こういう記事が存在しているわけだから。そういった意味で言うと、差別はなくなっていないということですよね。

宮崎:身分、職業、居住という三位一体の差別というのは、かなり和らいだと思います。しかし、ツイッターで書き込まれている被差別部落の問題に関しては、厳しい表現があるわけですよ。僕は人間の意識の中における被差別部落問題というのは、全然解消してないと。物理的な環境の改善は行われたけども、本質的な意識の改善は行われなかったという風に考えています。

大谷:例えば、ハンセン病差別のような問題があります。小泉政権の時に対策がなされたとか、北海道の“アイヌ差別”みたいなものがあったというのは、教育でも習ったことがあると思うんですけども、今回の部落問題みたいな形では、伝えることの難しさと、伝えることで、また差別が出てきてしまう。これは非常に難しいと思うんですけども、そのあたりについては?

宮崎:人間の意識を変えるという行為は非常に難しいんですよ。まして、日本の被差別部落問題というのは、インビジュアルなんです。目に見える差別は意外と少ない。だから、アメリカの人種差別みたいなのは、肌の色に基づくビジュアルの差別になる。

一方、インビジュアルの差別というのは、言葉を通じて繋がっていくわけですよ。言葉というのは、人間の発するものですから、人間の意識によるものなんですね。

そういう点では、差別の質というのを色々見て行かないといけない。それから東アジアにおける差別問題というのは、日本の被差別部落、朝鮮・韓国の部落問題、中国における同じような問題。その他、色々な構造があるんですね。その中で、被差別部落民の出自はどこなんだという疑問が出てくる。そういう点では、一番日本人的なのが、被差別部落民だと思います。

被差別部落民の歴史を辿って行くとわかるのは、奈良・平安時代から始まっているんです。それが、明治維新を経て、近代になることによって、差別も変化をしていきますよね。元をたどっていけば、奈良・平安時代から始まっていますから、そういう点では、日本にずっと根深くある差別の種類だと思いますね。

差別に対する自粛傾向が一番の問題

差別に対する自粛傾向が一番の問題


佐々野:ここまでは、被差別部落問題の歴史について伺ってきたんですけど、ここからは、現在の問題について考えていきたいと思います。今現在、一体どんな差別が残っているのか?いまだに職業や住まいにも残っているのか?メディアでも差別表現があるのか?そういったお話も伺っていきたいんですが。

須田:被差別部落問題というのは、タブー化しているんですよ。これを扱うとめんどうくさいことになるから、全く触れないでおこうと。逆に言えば、これはある種の差別だと思いますよね。そういったことが現実に、新聞であるとか、テレビの世界では行われているといっていいんだろうと。

ですから、今回「週刊朝日問題」が起こった時に、他のメディアが取り上げなかったですけど、そういった意識というのがある。あるいは同業批判になるところがあったかもしれないけど、急速にこの問題が騒がれなくなったのも、マスコミがタブー扱いしているという背景があると思いますね。

宮崎:橋下さんという人物が、今回の問題の時に、ものすごい字数のツイートをしたんですよ。僕は思うんですけども、彼は一人解放同盟をやったんです。それも派手にやったわけです。

だから、今回の朝日新聞は、橋下さんの反撃に負けたということだろうと思います。あの反撃の中身を考えると、橋下さんがこれまでやっていた大阪府や大阪市の行政、彼が同和問題に関してやってきたこととは、矛盾することをツイートしているんです。そういう点での批判ができない週刊朝日なり、ネット上の意見というのは、ほとんど力を失っちゃっている。その中で、橋下さんの一人勝ちになったという話なんじゃないですか。

佐々野:今は本当に色々なメディアが発達して、誰でも発信できる時代になっていますけれども。メディアが扱うとしても、「同和」とかそういう言葉自体をどうしていくのかというところも考えなければいけませんね。

大谷:BLOGOSもネットのメディアですから、今は情報発信が個人で出来るわけですよね。特に掲示板のような匿名性の高いところでは、あえてやっているのか、知識がないからやっているのかわからないんですけど。差別的なカキコミが、これから増えてくると思うんですよね。

その時に、言葉の問題、表現の問題っていうのは、橋下さんの話とは別に考えていかなきゃいけないことだとは思うんですけども。メディアがタブー視する中で、我々はどう向き合って表現していけばいいのかっていうところが難しいと思うんですよね。

宮崎:僕はなにもへつらったり、逃げたりすることはない。ありがままに表現すればいいと思うんですね。ただある種の目的意識を持って、事実を曲げてしまってはいけない。今回の週刊朝日の記事の最大の問題は、この問題が起こったから、今後、差別問題、被差別部落問題については黙っていましょうという自粛傾向になっていくと思うんですね。むしろそれが僕は一番怖い。

表現の自由ということでいえば、表現の自由に対しては、自分が責任を持つわけです。表現した人間は、反論があれば表現でまた反論を受ける。それに対して、再反論していく。こういう形でものごとは進化していくわけですけども、反論されるのが怖いから辞めときましょうということになっているのが今の傾向。これは大きな間違いで、やっぱり解放同盟に批判的であれば、堂々と批判的なことを言えばいいんです。

反論してきたら、また反論すればいい。それだけの覚悟を持ってやらないとダメなので、なんの責任もないよと。言いっぱなしで終わりだよというようなことと、これはあとで問題が起こったから、もうやめときましょうという腰の引けたような姿勢。こういうことが重なってくると、表現する側の質の問題に関わってきますからね。そういうことは避けたほうがいいと思いますね。

国家のタブーは今も存在している


須田:話が少し変わりますけど、同和利権的なものがあって、それはタブーになっていたわけですよ。例えば、税の問題を1つとってみても、同和系の企業だと、全く税務対象にならなかったとかいうこともありました。

そんな中で、最近ニュースになった“ハンナン畜産事件”といのがありましたよね。あの一件を見てみると、メディアはきちんとその事件を報道したわけだから、そういった意味でいえば、タブー視しなくてもいいのかなという考えもあるんですよね。10年前、20年前だったらこれが出来ただろうかと考えると、時代の移り変わりを感じざるを得ないなという気がしますよね。

宮崎:ハンナン畜産の問題が解明されて、ハンナンの責任者が有罪判決を受けることになるわけですけども。実は裁判の中で、1つ隠されたことがあると言われているわけですよね。それは、ハンナン畜産と農水省の関係。

ハンナン畜産部門は同和タブーで今まで書けなかったけど、これが(事件がきっかけで)書けるようになった。でも農水省の関与の問題に関しては書けないんですよ。結局、国家という部分に関しては、タブーは今でも存在しているんですよ。ハンナン畜産事件に関しても、ハンナンという民間業者が悪いことをしたかもしれない。民間の業者に関しては、どこまでも暴くところまでいける。

しかし、その先にある“なぜ、ハンナン畜産がああいうことをやったのか?その時に農水省が関係していたのか?”裁判の中で少し出かけたことがあるんですよ。しかし、それを封じ込めていったのがマスメディアですからね。

国家権力そのものが出てきた時に、メディアっていうのは腰が引けるんですよ。それは“同和”がでてきたら腰が引けるより、もっと激しい腰の引き方になるわけですよ。

須田:むしろ、国家権力は同和問題を温存し、利用してきた側面があるんじゃないですか?

宮崎:2002年までの間、同和対策法が存在していた頃の状況をいいますと、各省庁に同和対策室っていうのができるわけですよ。同和対策室長を経験するのが、その省庁の事務次官への早道なんです。そういう、もたれあいの構造っていうのがあったんですよ。

しかしながら、そこで生き残ったのが官僚なんですよ。解放同盟側っていうのは、2002年で権利が切れますから、それ以降はかつてのような力を持ち得なくなったわけです。しかしながら、たくさんの人が逮捕されたり、利権だどうだという風に批判を受けるといった傷を受けたわけです。それを一番うまくテコにして使ったのが役人です。

佐々野:橋下さんのお話に少し戻りますけども、先ほど宮崎さんのお話の中でも橋下さんが一人で解放運動をやっていたような感じだとおっしゃっていましたけども、その橋下さんが同和切りとも言えるような方針を打ち出しています。

部落解放運動の拠点となった歴史を持つ市内10ヶ所の施設を、平成26年度には全廃する方針を打ち出しているんですが、これが先ほど宮崎さんがおっしゃった矛盾というところですかね?

宮崎:もちろん矛盾ではあるんですが、僕は橋下さんがなぜそれをあえてやったのかというところを考えなきゃいけないと。つまり、今回の朝日新聞のような批判が先々で出てくる可能性があると、彼は考えたんでしょうね。

その前に、同和切りということをやっておけば、自分のアリバイになる。そういうような、かなりねじれた精神の構造というのは、見受けられるなと思いますね。

差別地域の地名が伏せられたワケ

差別地域の地名が伏せられたワケ


佐々野:それではユーザーのみなさんからの質問をご紹介していきたいと思います。

大谷:北海道の47歳男性から。「私は東北で育ち、北海道で暮らしている者ですが、部落差別の問題は20歳を過ぎてから本を読んで初めて知りました。2つ質問があるのですが、1つ目は、部落差別が西日本においてより顕著で、北日本では見られない、少なくとも残っていない理由はなんでしょうか?2つ目は、同和教育というのは有効なんでしょうか?」こういう質問なんですけど。

宮崎:被差別部落の問題は、東北6県の中にはあるとされていました。しかしながら、東北6県の被差別部落は顕在化していないものだと言われていたわけです。

上限はどの辺かというと、福島とか新潟とかあの辺りがそうだろうと言われていました。だから、北海道と沖縄には部落差別の問題はないんですよ。これは同和地区指定の話をしているわけですけどね。兵庫、大阪、奈良、福岡の西日本と言われるところが、やりあったところ。東北の6県はあるとされているんですが、顕在化していない。

あとは、教育の問題ですけども。人と意識を変えるのに、どうしたらいいかということで考えると、日本人もそうなんですけど、戦前の軍服主義教育というのがありますよね。アメリカに占領されたあとの進駐軍教育というのもあります。

教育するというのが、一番手っ取り早い人の意識を変える方法かもしれない。各社会主義国でも、全部教育で人の意識を変えようとした。これは人工的に人の意識を変えるものなので、僕はあまり好きじゃないんですけども、これ以外の方法を見い出し得てないんですよ。

問題は地域社会とか、家庭の中でこういう話ができるとかいう環境があればいいんですけど、今はほとんどないわけですから、学校教育に頼らざるを得なかったという実情があります。人のマインドコントロールをしようという話ですから。

ただ日本という国は戦前・戦後とマインドコントロールの教育をしてきたところなんですよ。だから、それまでも否定するのであれば、この同和教育に対する否定という理屈は成り立ちうるんだろうと思います。

けれども、戦前の教育がよかったとか、戦後の民主主義教育がよかったという思想が、この同和教育がダメだというようなことは間違いなんじゃないのかなと思いますけどね。

大谷:次の質問なんですけど、岐阜県の女性から。「私は30代後半ですが、大学時代、塾でアルバイトをしている友人が見せてくれた、地理科・公民科のテキストには、ごく普通に近隣の部落の地名が書かれていました。いつ頃から地名が伏せられるようになったのでしょうか?

また、誰が誰に地名を伏せるよう求めているのでしょうか?今回の橋下さんの問題でも、地名を特定するような聞き方をしたことも、謝罪の理由として挙げられていたかと思うんですけど、いかがでしょうか?

宮崎:1965年に同和対策審議会が行われて以降、“地名を特定して、どうだこうだと言うのはやめよう”というような方向に動いていったわけですね。それが法制化するわけですよ。1980年代中頃から伏せられるようになったと思います。

特定の地名を出して、そこが被差別部落だと言ったら、今もそこに住んでいる人達はそういうような人達だとなり、次の差別につながっていく可能性があるわけですね。まして、都市型の被差別部落というのは、ほとんど流動化していて、全然違う新しい住人が住んでいたりしたら、また新たな差別を生んでしまうということがあって、この問題に関しては、ナーバスに行きましょうということになっています。

佐々野:番組が始まる前に、須田さんがおっしゃっていましたけど、新大阪の駅にはいまだに張り紙があるそうですね。

須田:新大阪駅のトイレには、「差別的な落書きはやめましょう」という標語が掲示してあるんですよ。とはいっても、東京の人はそういったものを恐らく見たことがないと思うんですよ。

つまり、それだけそういった差別が色濃くあったということだろうし、逆に言えば、反差別という点に関しても、差別とどう向き合っていこうという意識は関西のほうが大きくあったのではないかなと私は思います。

そしてもう1つ。地名をそのまま残していくということになると、差別の拡大再生産になるのではないかということなんですね。だから、先ほどの職業差別の中で、例えば、町名番地まで書かないようにしましょうと言っても、隠していることに対して、企業側は調べたくなる。

だから、書いてはこないんだけど、興信所を使って、「どこが本籍地なのか?」それを調べて、被差別部落にあたるのかどうなのか、チェックするなんていう企業がまだまだあるんですよ。

宮崎:今回の「週刊朝日」の記事の取材も、本籍地が絡んでいると思うんですよね。

須田:橋下さんの住民票とかを全部取っているんじゃないのかと。

宮崎:全部とってます!

須田:そこが違法行為なんですよ。だから、宮崎さんはそれを明らかにしない、きちんと検証していない、まだまだ不十分であろうと言っているわけです。

また、もっと言えば、沖縄は差別が相当色濃いと思いますよ。なぜ米軍基地があそこに一極集中しているんだと。それを見ても、我々の気持ちのどこかに“それは、しょうがないだろう“という部分があるんですよ。これも根深い差別だと思いますね。

宮崎:この地域に米軍基地を渡しておけば、俺たちは被害を受けなくて済むという気持ちが、沖縄問題の根底にあると思います。また同様に、原発立地をしていくところも同じような発想なわけですよ。貧乏な地域に金が流れるようにしてやればいいんだという上から目線のやっちゃったもんですからね。差別は形を変えて、部落問題だけじゃなく、色々なところにあるわけですよ。

週刊朝日も橋下さんも間違っていた


宮崎:ちょっと話を戻しますが、橋下さんの最大の間違いは、改革という名の下に、たくさんの失業者を作ったということです。一方で、経済政策のもと、自分のことになると一人解放同盟をやっちゃったというご都合主義がある。だから、週刊朝日も間違っていれば、橋下さんも間違っていたというのが僕の結論なんです。

須田:もっといえば、橋下さんだからできたことじゃなかったんですかと。他の人は、橋下さんと同じようにこういった攻撃から反撃を繰り出すことができるかといえば、これはムリだと思いますよ。

だとすれば、橋下さんがやるべきことは、第二、第三の橋下さんを出さないように、こういった議論をもう1回きちんとやって、それをなくすためにはどうしたらいいのかっていうことを公のところで問題提起すべきだと思いますけどね。

佐々野:今夜は部落問題について色々とお話を伺ってきましたけれども、最後にアンケートをとりたいと思います。質問は「被差別部落問題についてわかりましたか?」

答えは4択になっています。1:よくわかった 2:少しわかった 3:あまり分からなかった 4:全然わからなかった

1時間という時間ではなかなか深いところまで話すのは難しいかと思ったんですが、アンケート結果がでたようです。1:よくわかった=22.9% 2:少しわかった=43.0% 3:あまり分からなかった=20.0% 4:全然わからなかった=14.0%

須田:関心を持ってもらっただけでもよかったんじゃないかなと。

宮崎:メディアがこの問題から逃げる中で、こういったことをやれたということ自体が意味ありますね。

大谷:今日の宮崎さんのお話ですごく印象的だったのが、“見える差別・見えない差別“というところで、確かに海外では人種差別があるんですが、この問題に限らず、思想信条の自由とかっていいますけれども、考え方とか信じている宗教とかで、知らず知らずのうちに、区別ではなく差別みたいなものは、普段どの人の生活の中にもあるんじゃないかなという風に思っていて。こういう機会を設けて、しっかり考える機会を少しでも作ることが大切なのではないかと思います。

佐々野:最後に今夜の感想を宮崎さんお願いします。

宮崎:被差別部落問題というのは、非常に難しい歴史があります。なので、短い時間で語るには本当に限界があるなと思いましてね。ただ、これを契機になんらかの形で関心を持っていただきたいと。どのような意見でもいいから、自分の考えを言えばいい。その意見に対して、自分は責任を取るという態度であれば、決して反差別的だとかいうような理由で批判されることはありませんよ。

それで迷惑を受けられる方々は、私のところに来てください。すべて解決しますよ。堂々と批判されてしかるべきことは、批判されるべきなんですよ。

須田:この問題に限ったことじゃないと思いますけども、“無知は罪“。知らないことは罪なんだという話があるじゃないですか。この問題も私はそうだと思っていて、まず関心を持ってもらって、何が問題だと思うか自分自身と向き合ってみる。この問題に対して、こう考えるということをまず考えてみることが必要なんじゃないかなと思いますけどね。

子供の頃に育った環境によって、その知識量に大きな格差がある「被差別部落問題」。メディアではタブー視されているため、自分から積極的に知ろうと思わなければ、情報はほとんどありません。しかし、須田さんも話していたように、“知らないからいい”というのではなく、被差別部落問題とはなんなのかということを、少しでも理解し、その上で、今なお根深く残る“差別”という問題について自分なりの考えを持つ。この番組がそう考えることのきっかけになればと思います。
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