俺たちをトリコにしたファミコンの創造神、上村雅之氏に30年前の開発秘話を直撃!
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1983年に発売されてから今年で30周年を迎えたファミリーコンピュータ=ファミコン。そこで、ファミコンの設計者であり開発責任者であった任天堂の上村雅之氏に、直撃インタビューを行なった。

■ファミコンの色は社長のマフラーの色?

上村さんがファミコン開発に着手したのが1981年とのことですが、どういった経緯で開発を?

「私はアーケードゲームの開発部にいたんですが、当時の社長(山内溥[ひろし]氏)から『家のテレビでアーケードゲームを遊べるものを作れ』とお達しがあったんです。うちはアーケード版の『ドンキーコング』などが当たっていましたからね」

相当な勝算があったんですね~。

「いいえ、勝算なんてありませんよ。あの頃は『ゲーム&ウオッチ』が売れに売れていたので、うちの会社はゲーム&ウオッチでやってくんちゃうの?って思いましたからね。持ち歩けてどこでもできるというゲーム&ウオッチの長所は、やはり素晴らしかったので」

そこへいくとテレビでゲームをするという発想は、その長所をまったく生かせないことに。

「そうなんです、持ち運びできないテレビを使わなきゃあかんというのはすごく不便だろうと。しかもその頃は、ゲーム&ウオッチの部署に人材をどんどん引き抜かれていて、うちのチームは3人しかいなかったんです。もう敗軍の将みたいな状態のときにそのミッションが下されたんですよ。開発初期に自分が書いたメモ帳が残ってたんですが、そこにはまぁ将来に展望がないとかなんとか、愚痴のような悲観的なことばかり書かれてました(笑)」

まさかそんな背水の陣でファミコンの開発がスタートしたとは!

「当時、アメリカで『Atari 2600』という家庭用ゲーム機がヒットしていたので、最初はそれを参考に作ってみようかと、ちょっとずるいことも考えていて(笑)。でも『Atari 2600』は、残念ながら技術的にはまったく参考にならなかったですね。もうそこからは開き直りで、アーケード並みにクオリティの高いものを作ってやろうじゃないかと決心したわけです」

開発中、想定外だったことや壁にぶつかったことは?

「一緒に組んでやってもらう半導体メーカーがなかなか見つからなかったり、その半導体も設計に無理があったために表示されたキャラクターが消えるトラブルがあったり。あとは販売価格を1万円以下にするという目標で開発をスタートしたんですが、コスト面でかなり難しいということになって。2万から3万円ぐらいになりそうでしたから。それをなんとか部品を減らしたりしてギリギリまで切り詰めて、1万4800円で販売できるようにしたんです」

そういえば、ファミコンのえんじ色パーツは、その素材が大量かつ安価で仕入れることができたから採用されたという噂ですが?

「それは間違いですね(笑)。むしろ逆で、最初に予定していた安いスチール製のボディがあまりにも脆かったので、強度の高いプラスチックに変更したくらいですから。えんじ色にした理由は、単純に社長命令だったんですよ。社長がよく巻いていたマフラーの色もあんな感じのえんじ色で、好きな色だからという理由。社長からするとボディのデザイン面は口が出しやすいわけですよ。それが真実です(笑)」

お~、そんな裏話が!

■ファミコンが新しい遊びを創造!

ところで、「ファミリーコンピュータ」という名前はどうやって決まったんでしょうか?

「それは私が名づけました。うちの会社では営業とかではなく、開発者に命名権があったんです。その頃はちょうどパーソナルコンピュータやホームコンピュータという言葉がわーっと広がっていた時期だったんですが、『ファミリー』はまだ使われてないなとふと思いまして。コタツにでも入りながら家族でワイワイ遊ぶ姿をイメージしてましたから、『ファミリーコンピュータ』、いいじゃないかと」

それが後々「ファミコン」と略されて親しまれていったと。

「実はですね、私が自宅でファミリーコンピュータという名前がええなぁなんて話していたら、女房が『だったらファミコンはどう? どうせ日本人はファミコンて略すに決まってるわ』といって。それはいいなと思って、私は正式な名称案として『ファミコン』というのを上司に提出していたんですよ。ただ上司には『ファミコン? そんなのわからへん』と却下されて(笑)。結局『ファミリーコンピュータのほうがわかりやすくてええわ』ということになったんです」

奥さまの先見の明、すげぇ! では質問ついでにIIコンにマイクが搭載された理由も知りたいです!

「あぁ、あれは趣味でつけたようなもの、お遊びみたいなものです(笑)。開発中はどういうジャンルのカセットが出てくるかなんてまだまだ予想しきれなかったので、もしかすると近い将来の新しい遊び方の提案になるかなぁと思ってつけたんですよ。

その当時、巷ではカラオケがはやっていたので、ファミコンでカラオケをするというのが大ブームになる可能性もあるんじゃないかと思っていたんですが(笑)」

IIコンのマイクは『バンゲリングベイ』(ハドソン)で叫ぶと戦闘機を呼び寄せてくれるなど、意外と活躍していましたよ!(笑)。それに“新しい遊び方を提案する”という意味では、ファミコン自体が家庭での遊びのあり方をガラリと変えたマシンですし!

「確かにそれまで遊び道具として使うなんてことはなかったコンピュータを、最大の遊び道具に変えたという自負はありますね。採算度外視とはいいませんが、ひとりの開発者として今までになかった“新しい遊び道具”を作れたことを誇りに思っています」

さらにいうなら、ファミコンは遊ぶ人のイマジネーションをかき立てるマシンでもありました。

「スペック的に制限があるなかで、今と比べれば拙いグラフィックながら一生懸命作っていたことで、プレイヤーの想像の余地が多分にあったんでしょう。今のゲーム機はよくも悪くもグラフィックがきれいだからまるで映画のようで、クリエーターのイメージを押しつけすぎてしまいますよね。ですがファミコンのゲームにはプレイヤーひとりひとり、見え方の違う世界が広がっていたはずです」

はい! 俺たちファミコン少年の想像力は無限大でした! 上村さん、ファミコンを創ってくれてありがとうございます!

(取材・文/昌谷大介 牛嶋 健 照井琢磨 武松佑季 小山正太[A4studio] 撮影/下城英悟)

●上村雅之(うえむら・まさゆき)



任天堂統合開発本部アドバイザー。「ファミリーコンピュータ」「ディスクシステム」「スーパーファミコン」などの設計を担当。現在はファミコンの生みの親として、海外で講演も行なう。69歳

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