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市川寛元検事 取り調べの際に被疑者に暴言をはいたことがきっかけで、検事をやめることになった市川寛氏。強引に自白を取ろうとする先輩や上司のやり方に疑問を感じていたが、反抗することはできなかったという。良心の呵責を感じながらも、検察という組織の「兵隊」になっていった――。2011年5月23日のシンポジウムで語られた市川氏の「告白」について、前回に続き、全文を書き起こして紹介する。

いかにして「暴言検事」は生まれたか(1) 「生意気な被疑者は机の下から蹴るんだよ!」

■調書を勝手に作文し、「署名しろ」と被疑者に迫る上司

 3年目の検事だったときに、ある事件がありました。私自身は「そもそもこの事件は、自白があろうがなかろうが有罪になる」と、自分なりに捜査の結果を信じて、かつ、私が思うところの自白、供述としての自白も取り、調書も取って、決済に上げました。

 すると、上司が言うには「足りない」と。「足りないところがあるので、(改めて調書を)取ってこい」という指示を受けました。このときの上司も、私より10年以上キャリアが上の方でしたので、「いや、そうでしょうか。これで十分ではないでしょうか」と私は言うことができませんでした。最後に申し上げますが、結局、私の一番の問題は、おかしいと思っても言えなかったことに尽きます。

 そのとき上司は、私に自白、正確には自白調書の取り方を伝授してくださいました。まず、被疑者が取調べ室に入ってきます。そして「こうやれ」と。再現してご覧に入れますが、「座れ。見てろ」と言って、たとえば「私は平成23年5月23日午後7時ごろ、お茶の水の明治大学校舎内において、Aさんを殴ったり蹴ったりしてけがを負わせました」と勝手にしゃべるんです。被疑者は何も言っていません。それを事務官が調書に取ります。できあがった調書――当時はまだ手書きだったのですが――それを被疑者の前に置いて「署名しろ」と。

 当然、被疑者は抵抗します。言ってないんですから。そのとき、上司に言われました。「もし被疑者が抵抗したらこう言え」と。今でもはっきり覚えていますので申し上げます。「これはお前の調書じゃない。俺の調書だ!」。こう言えと教わりました。

 仕方がないので、私はそれをマネしました。このときだけは。だが、何の効き目もない。当たり前じゃないですか。言ってないんですから。それでもう策は尽きているわけです。この事件のケースは、もともと有罪になる事件だったというか、起訴して有罪になっているんですが、私は10時ごろに取調べを始め、夕方の5時ごろまで取調べをしていました。正確に言えば、朝の10時に、上司から言われた通り「おい、聞いてろ!」とやって、「署名しろ!」と言って、「する」「しない」「する」「しない」を5時間くらいやっているわけです。

 立ち会い事務官も一緒にいましたが、(被疑者に)夕ご飯を食べてもらっているときに、私たちも近くの喫茶店に行きまして「もう万策尽きた」と。事務官も「そうですよね。これはもう、上司にダメだと報告していいんじゃないですか」と言ってくれたものですから・・・。3年生の検事よりは事務官のほうが実務経験は上なので、若い検事にとっては事務官は非常にありがたい存在です。

 その事務官が賛成してくれたものですから、私は上司の携帯電話に電話をかけました。それが夕方5時か6時ごろです。かくかくしかじかとやって、いろいろ自分なりに手を尽くしましたけれども・・・はっきり申し上げておきますが、怒鳴ったりもしています。泣き落としもしています。「これは俺の調書だ」と大見栄も切りました。全部ダメです。いろいろ言って、「これはダメです。ダメそうです」と言ったところ、上司は、その携帯電話で「あ?知らん!」と言って、ブツッと切れてしまったんです。

 私は当時、3年目の検事でしたので――これは私が当時思った真実として申し上げますけれども――「自白調書をとらないと家に帰れない」と思いました。それほど、私自身が追い詰められていたんです。

 いまの私であれば「ふざけるな」と、とっとと帰っていますけれども、当時はそれができない。「知らん!」と、ブツッと切れるわけですから、しょうがないので、6時ぐらいからまた、すったもんだをやった。一応、ギリギリの任意性が担保されるような問答で、最後になんとか署名をもらったんですが、はっきり言えば、目の前の被疑者はひとことも言っていない。サインをもらってきただけです。芸能人のサイン会じゃないんですから・・・。

 翌日、その上司に見せたところ、「よくやった」と誉め言葉をいただきましたが、私は複雑な心境だったのは事実です。私はいつも、検事は兵隊にたとえて話すのが一番的確だろうと考えているのですが、私はこの瞬間に兵隊になってしまった。

 それまで人を撃ったことのない兵士が、上司の命令によって、弾を込めて、引き金をひいてしまった瞬間でしょう。私はいわゆる自白を初めて取ったわけです。

 そして、このような教育を受ける間にだんだん――言い訳ですけれども――それが当たり前だと、なかば思いそうになるわけです。とどのつまりが、8年目のときに、自ら絶対にあってはならない暴言をはいて、(起訴した事件が)無罪になり、辞職することになるのですが。

■「バカヤロウ」「バッジを外せ」と怒鳴る特捜出身検事

 そもそも(上司による)決済の場というのが、非常に複雑な場面を伴っています。今ではすべての新人検事は東京の地方検察庁(東京地検)に配属される制度になっていますが、私が検事になった当時は、主な大規模地検に分散して配属されるという制度があったころです。なので、私は1年間、横浜で検事を務めました。

 私の同期は49名任官していますが、おそらく30名程度は東京地検だったと思うんです。東京の同期たちが刑事部でどういう決済を受けているかということが伝えきこえてきたところでは、当時の副部長、つまり、第一次的な決済官が、どうやらほとんど特捜部出身の方だったようで、ふたことめには「バカヤロウ」「コノヤロウ」と怒鳴る。しまいには「バッジを外せ」と言って怒鳴る。私は、これだけは本当に言いたいのですけれど、仮にも検事というものを純粋に志して、そのバッジをつけた人間に、しかも1年目のときから「バッジを外せ」すなわち「やめろ」という指導をするのはいかがなものでしょうか。

 ところが、その4年後、たまたま、東京でそういう決済を受けていた同期と同じ任地になったとき、驚いたことには「ああいう決済を受けて自分は鍛えられた」と肯定的に受け止めている同期が複数いたのです。要するに、いわゆる体育会的な指導を肯定的に受け止めている。すると、どうなるでしょう。「自分は怒鳴られて、鍛えられて検事になった」と思っている。とすれば、自分が先輩、あるいは決済官になれば、同じ指導をする可能性が極めて高い。

 私は、その東京の同期の話を聞いたときに「東京に行かなくて良かった」と(思いました)。自分なら「バッジを外せ」と言われたらやめていると思います。現に、東京地検の同期は1年目で3人やめました。当時はまだ、検察官はいまと違ってあまり人気がなかったころなので、司法研修所の検察官がやっとの思いでかき集めた49人です。それが3人も1年目でリタイアしてしまう。早い話が「兵隊」です。お前の代わりはいくらでもいる。そう思っているところが検察庁だろうと、私はいま言わせてもらう。

 少々、言いすぎましたけれども、私はこうしてなんだかんだ文句を言いながらも、表立っては、最後の最後まで――正確にいえば、辞める最後の2、3年は上司に歯向かう、非常に扱いづらい検事にようやくなることができましたが――佐賀での大きな過ちを犯すまでは、「おかしい」と思いながらも、あるいは、自分の良心に反するとは思いながらも、それに抵抗することはできませんでした。

 検事の中には、大きく3つのタイプがあると考えています。まず1つは、上司からどのような指示を受けようとも、自分の検事としての良心に反するものであれば、それがどれだけ偉い人からのものであっても、必ず理論的、あるいは感情的に自分の筋を通して意見をし、自分の主義主張を貫ける検事。申し分のない検事です。そういう検事がいまでも、少なからずいると私は信じています。

 そして、もう一つのタイプ。これは正反対に、上司から言われたことはなんでも言うことを聞く、なんの悩みも持たないロボット検事。そして、もう一つが――私がそうだったと、つい最近考えるようになったんですが――上司からの命令に「おかしいな」と思いながらも反抗ができない検事。ですから、ロボットでもなければ、申し分のない検事でもない「半端者」です。

 今日、大きな過ちを犯した私が、このような高いところから話をする資格が仮にあるとすれば、「半端者でなければ、検察庁の暗部は少なくとも外には漏れないであろう」と思っているからです。

 なぜならば、自分の主義主張をいかなる上司でも貫ける検事は、自分の思ったことができる職場なので、検察庁は居心地がよいところです。ですから、どのような出来事があっても、それは少なくとも検察庁の外には発信しないでしょう。次に、いわゆるロボット検事。これは何にも考えていませんので、上司から言われたことは「はい、はい」とやります。ですから、やっぱり不満を思わない。なので、ロボット検事からもおそらく、検察庁のなかで起きていることは、外には出てこないでしょう。

 半端者は、良心の呵責に苦しみつつ、しかし、従ってしまう。つまり、撃ちたくもない鉄砲を撃ってしまう。そして、ベトナムやイラクに従軍した兵隊さんたちと同じように、兵役を免れて家に帰ってくると、はたと我にかえって「撃ってしまった」と。そして、敵方の兵士が夢枕にたち、悩みに苦しむわけであります。

 私は、検察庁を離れて5年ほどになりますが――検察庁には、失礼あるいは挑発的なものを言いますけれども――ようやく夢から覚めました。私は大変な、取り返しのつかない過ちを犯した輩ではありますが、そうであるがゆえに、その償いとして、検事になってはならなかった人間として・・・。私が見てきたこと、聞いてきたこと、経験したことは、ひょっとしたら裁判官の方も、弁護士の方も知らないかもしれない。いわんや、一般市民の方は知らないかもしれない。それを償いとして伝えていくのが、ひょっとしたら、私に与えられた償いの道であるとともに、役目ではなかろうか。そう考えて、今日、本当に不埒(ふらち)な輩でありながら、この場に居させてもらっているしだいであります。

(了)

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(亀松太郎)

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