2021年9月、アメリカ空軍がC-130輸送機水上機仕様を開発中と公表、話題になりました。しかし似たような用途を目指した飛行艇を70年ほど前にアメリカ海軍も考えていたようです。いったいどんな飛行機だったのでしょう。

70年前の「空飛ぶ上陸用舟艇」そのコンセプト

2021年9月14日、アメリカ空軍特殊作戦コマンド(AFSOC:Air Force Special Operations Command)が、ベストセラー機であるC-130輸送機にフロートを取り付け、離着水が可能な水上機仕様を開発すると発表しました。

1954(昭和29)年の初飛行以来、約70年近く運用されてきたご長寿機であるC-130に、今さらフロートを装着して水陸両用化するという理由を推察すると、そこには中国の海洋進出にともなう西太平洋の覇権問題なども関係しているのかも知れません。

水上機は、特殊部隊の侵入や離脱といった“小規模な”任務に有効であるほか、滑走路またはその代用となる平地が確保できない島嶼(とうしょ)に対し、重装備をともなう大兵力を緊急展開させるのに、船舶と比べてスピード面で有利だからという理由もあるのでしょう。

実はアメリカ海軍は、第2次世界大戦末期にも同様のコンセプトといえる「空飛ぶ高速上陸用舟艇」を構想したことがありました。それがコンベア「トレードウインド」です。

当時、アメリカ海軍はコンソリデーテッドPBY「カタリナ飛行艇や、マーティンPBMマリーナ」に代わる、哨戒任務や救難任務に対応した次世代の飛行艇を求めていました。さらに一方では、上陸作戦に投入する重装備も運搬できる飛行艇も欲していたのです。

ちなみに、同大戦末期は、戦争によって開発や研究が急速に進められた様々な最新テクノロジーがようやく実用化という“花”を咲かせた時期でもあり、急速に進歩した航空技術を用いれば、アメリカ海軍の要求する新型飛行艇も実用化可能と考えられ、さまざまな新技術を開発に投入することになりました。

哨戒機から輸送機へ変身

アメリカ海軍は大戦が終結した年の1945(昭和20)年に、前述のPBY「カタリナ飛行艇B-24「リベレーター」重爆撃機を開発したコンソリデーテッド社の後身であるコンベア社に対し、新しい飛行艇の開発を発注します。これを受け同社では、社内名称「モデル117」を生み出しました。

「モデル117」は、当時最新のターボプロップ・エンジンであるアリソンT-40を4基搭載し、各エンジンには、コントラプロペラ(二重反転プロペラ)が備えられていました。また主翼も、空気抵抗(摩擦抵抗)の小さい状態を維持することが可能な層流翼という形状を採用していました。

当初、「モデル117」は哨戒機として開発が進められ、「XP5-Y」という実験機が完成します。本機は爆弾倉に加えて、機首左右側面や後部胴体左右側面、機尾に各々20mm機銃を連装で備えていました。これら銃座は、敵機の襲撃を受けた際の自衛用であると同時に、水上艦艇や浮上中の潜水艦を銃撃する際にも使用することが想定されていました。

しかしこの哨戒機仕様のXP5-Yは、わずか2機が造られただけでした。というのも、哨戒機なら陸上機で十分に対応できたからです。その代わり、本機には新たに「空飛ぶ高速上陸用舟艇」としての役割が与えられました。

こうして設計変更が行われ、兵員や車両の乗り降りのために胴体後部左側面に大型カーゴ・ドアが設けられた「R3Y-1」と、大型カーゴ・ドアに加えて機首全体が上に開く「R3Y-2」の2タイプが造られたのです。なお、この輸送型への変更に際して、銃座はすべて廃止されたほか、のちに貿易風を意味する「トレードウインド」という愛称が付けられています。

「トレードウインド」は、胴体全体が与圧化された貨物室になっており、兵員なら100余名、内装を変更して傷病兵輸送用にすれば担架92本、各種物資であれば最大約24tの積載が可能でした。

エンジンに泣かされ短期間で飛行停止へ

こうして本機は、東西冷戦がいよいよ本格化しつつあった1956(昭和31)年に実戦部隊への配備が始まりました。また同年には、空中給油機に改造された「トレードウインド」が、左右の主翼に2か所ずつ、計4か所からグラマンF9Fクーガー戦闘機4機に対し、同時に空中給油するという快挙を成し遂げています。

ところが本機は、重大な問題を抱えていました。それは、搭載するアリソンT-40ターボプロップ・エンジンの信頼性がきわめて低かったことです。アメリカ海軍およびコンベアはT-40の不調を改善しようと手を尽くしてみたものの、結局はうまくいきませんでした。

最終的に「トレードウインド」は1958(昭和33)年に飛行停止措置が取られるまでに至り、製造はXP5-Yが2機、R3Y-1が5機、R3Y-2が6機の計11機で終了、これらの機体も処分されることとなったのです。ちなみに、この11機中、4機がエンジン故障で失われた事実を鑑みると、問題の深刻さがわかります。

とはいえ、当時のアメリカ海軍は、万一、東西冷戦が「熱戦」、要は実戦になったとしても、東側に対して上陸作戦を決行する機会はあまりないと考えていました。そのため、「空飛ぶ高速上陸用舟艇」の必要性は低く、この構想をさらに煮詰めて新型機を造る、すなわち「トレードウインド」の後継を考えるといったことはありませんでした。

かくして、アメリカ軍からは輸送飛行艇というコンセプトを持つ機体は、事実上なくなっていたのですが、半世紀以上が過ぎた今日に至り、改めて大型水上輸送機が求められる事態となったことを考えると、まさに「歴史は繰り返す」を象徴しているように筆者(白石 光:戦史研究家)には思えてなりません。

機首のカーゴ・ドアを開けて運んできた海兵隊員を砂浜に降ろすR3Y-2「トレードウインド」輸送飛行艇(画像:アメリカ公文書館)。