一度定着した物事をやめるのって、度胸要りますね。

 感染症も減ってきたのでね、そろそろマスクをいつやめていいか、考える時期に差し掛かってきたと思うんですよ。ほら、堀江貴文氏もスタッフがノーマスクで餃子屋突撃して騒動起こしていたでしょ。ああいう感じの時期も過ぎて、やめどきってのがあるじゃないかって。

マスクをしなくてもいい線引きとは

 感染者は当然ゼロにしたいし、また感染症が増えてきたらマスクはどうせ必須になる。でも東京の感染者が50人を切ったぞ、となれば、ワクチン接種がどんどこ進んでいるいま、どこまで感染で苦しむ方の数が減れば、マスクはもうしなくていいよっていう線引きをはっきりしたほうがいいんじゃないのと思うんです。もちろん、いったん減ったのでマスクしなくていいよ、ばんざーい、となった後でまた増えてきたので涙と鼻水で湿ったマスク生活に逆戻り、って流れも当然起き得るのでしょうが。

 ファーストペンギンってやつですか? あの、一番初めに氷山から南極の海にドボンしたペンギンが偉いっていうの。最初にマスクを外して、みんなが「おおっ」「俺も外そう」っていう感じになるやつが大事じゃないですかね。

 やっぱりここは、俺たちの「8割おじさん」こと西浦博先生に出てきてもらって、観客の前に来て「普通の科学者に戻ります」と舞台にマスクを置くセレモニーが必要だと思うんですよ。客席から鳴り響く、万雷の拍手を背に受け西浦博先生が手を振って舞台袖に消えていく、この感動。いいと思います。

マスク生活はやってみると意外と楽

 冒頭からキャンディーズネタを書いて若い読者を一人残らず置き去りにしたくなるぐらい、私はいま「おい、感染症もこれだけ減ったいま、俺たちはいつまでマスクをしているんだっけ」って問題で頭がいっぱいなんですよね。

 もちろん、冬に向けて第6波が来るかもしれない。マスクを外せる日常が戻ったとしても、それはほんのひとときの、戦士の休息かもしれないじゃないですか。

 いや、でも、意外とマスクしてる生活は、やってみると楽です。まず、何より鼻クソが白くなった。感染症を防げているだけでなく、首都高のそばという大都会に住んでいる私の積年の悩みだったアレルギー問題(主にじんましん)が軽癒するとともに、鼻クソまでこんなに綺麗になるとは。驚きの白さありがとう、不織布マスク

 言われてみれば、排ガス吸い込んだのか痰が絡んで喉のあたりに不快感があったのは、都会生活がいかに健康に悪いかを示してるんじゃないかと思うんですよね。

 そして何より、一連のコロナ感染症の拡大によって、実は私たちは相当の量の「他人の吐いた息に含まれたあれこれ」を無防備に吸い込んでいたことが明らかになったと思うんです。電車で居合わせた皆さんもホテルのロビーでパパ活に精を出す成金のおっさんも、ルノアールの片隅でマルチ商法の営業に励んでるあいつらも、お互い近いところで息を吐き合って、お互いの持つ体内の細菌やウイルスを日々刻々と吸い込みながら生活していたってことですよね、コロナ前は。

 それでも体内の免疫系が頑張って具合が悪くなるのを防いでくれた。ありがとうありがとう免疫系。病気にならなくても精神的に具合が悪くなりそうな相手が近くにいたかもしれませんが。

都市生活における人間の尊厳

 そもそも、女性が男性を評価する重要項目に「清潔さ」というパラメータがあり、これが日常的な手指の消毒で、みなある程度等しく綺麗になったのです。コロナがこの世にある限り、実は非モテに春が来る機会も増えるんじゃないかと思うわけですよ。しかし現実にはマスクのおかげで昼に食べたラーメンの香りがマスクの中に充満し、嗅覚がマヒするほど臭いニンニク感を満喫してセルフ不快感を享受することになるのですが。

 しかし手を洗ってマスクをしていれば、存在不要と見なされがちな小太りの中年男性にも人権が回復することがある程度判明したいま、おっさんは一生マスクしてろと思われてるんでしょうか。半分がマスクで隠れて、何が入ってるか分からない吐息がマスクでろ過されているから許される存在。鼻出しマスクおっさんの顔面に注がれる嫌そうな視線を感じるにつけ、都市生活における人間の尊厳とは何なのかを毎度思い知らされます。

 それでも、マスク着用に抵抗のなかった日本人が、諸外国よりも感染の拡大を防ぐことができたというのは大事なことだったと思います。

コロナウイルスが教えてくれたこと

 人混みの中で、満員電車で、クソ詰め込まれた役所の会議室で、実は私たちはもの凄く不潔な環境で日常を送っていたことが感染症によって知らしめられました。実は、私たちはそもそもたいして清潔な人生を送っていなかったのだ。見た目の清潔さに騙されて「彼はイケメンだし清潔感がある」と誤認した女性のいかに多かったことか。人は外見が9割なんですよ。非イケメンおっさんマスクで顔を隠しとけってことですか。

 実際にはこまめに手洗いし、スマホアルコールで拭くオタクのほうが、感染症の観点からははるかに綺麗だったのだ。そんな簡単な事実すら気づかない日常を私たちが送っていたことを、コロナウイルスは教えてくれたのです。

 そして、たいして綺麗でもなかった私たちも、ウイルスにとっては宿主に過ぎず、それと同時に単なる生物に過ぎないこともまた、浮き彫りになります。どんなに知性があると誇ってみても、動物であることは変わらない。いろんな細菌やウイルスと共存し、遺伝子を運ぶ入れ物としての肉体がそこにあるだけです。これだけ必死に生き延びようとするのも、このウイルスによる災禍を子孫に悪い影響として残さないようにするために他ならない。

ひどいことがたくさん可視化されたことも

 そうかと思えば、コロナウイルス流行の危機を前にして、私たちの知識のいかに脆弱なことか。尊敬する知識人だと思っていた人たちがいきなり「コロナは風邪」と言い始めたり、逆にコロナウイルスを怖れ過ぎて田舎へ疎開したり、明らかに効果のない薬剤を「効く」と言って周辺に薦めたり、そればかりか空間除菌のできる薬剤を買い込んだり、コロナは怖しい感染症だっただけでなく、人間はそれほど賢くないのだという証拠を突き付けながら危機に直面した人間の醜態を次々と暴いていきました。

 コロナのおかげで、まともな知識人とそうでない人たちとがある程度リトマス試験紙のように分別できるようになっただけでなく、コロナで不安に駆られた人々が安易に陰謀論に走り、財務省のせいだとか、医師が儲けるためにコロナ問題を煽っているとか、イソジンコロナに効くと言われて薬局に大阪府民が殺到するとか、ひどいことがたくさん可視化されたのもまた事実なんです。

 そんないろんなことを暴露してくれたコロナウイルスが年末に向けて終息っぽい方向に向かい、緊急事態宣言が無事解除になると、みんな積年の恨みを晴らすかのようにどんどん宴会の予定を立て、旅行を始め、映画や観劇、スポーツ観戦に繰り出そうとします。まるで、いままでの不安をかなぐり捨てるかのように。

最後の関門も、やはりタイミング

 みんな我慢してたんだね。よく頑張った。偉い偉い。しかし、不要不急の宴会も含めてどんどん夜の予定が埋まっていきます。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ。しばらく酒を控えていた私も、言われてみれば友達と酒が飲めるというだけでこんなに晴れやかな気分になれるものなのかと実感するわけであります。ああ楽しい。

 もし菅義偉さんがオリンピックをもう数カ月開催を遅らせてくれていれば、いまごろは外国人観客もたくさん呼び、みんな肩を組みながら酒飲んで応援してたんだろうなあと思うと、タイミングがズレると随分もったいない話がたくさんあるもんだなと思いましたね。せっかくそこそこ暖かくて、過ごしやすいところだったのにね。

 したがって、最後の関門も、やはりタイミング。すなわち、「いかなる条件(感染者数やワクチン接種状況など)で、いつ、どのようにしてマスクをやめるか」です。

「駅のエスカレーターは片側が空いていても昇り降り禁止」ってのが頭では分かっていても、朝のラッシュ時は殺気だったサラリーマンやOLさんたちがガツガツと昇り降りしているので、つい流れで不必要に昇り降りしてしまう。自分だけ呼びかけを守りエスカレーターを昇り降りしないと舌打ちされ、声を掛けられ、邪魔だなこいつという目線を浴びせられる。

 もはや外出時の常識となったマスク着用も、本来は感染症防止の目的であるのを忘れ、マスクをせずにうっかり咳払いしようものなら全員の視線は集まります。いや、相当感染者数減ってるしもうマスクしなくても大丈夫じゃないですか、と心の中で抗弁しても始まらない。

当然となってしまったマスクのある日常

 他方、もうマスクいいじゃないかと思っていても、この前用事があって東京地裁に行ったらガードマンが集まってて、何だろうと思うとノーマスク30人ぐらいの集団がエレベーターホールで何か騒いでいるんです。聞くに、マスク着用反対で裁判になった人の支援団体が、パフォーマンスとしてノーマスクアピールしているそうなんです。

 おい、マスクぐらいしろよ。ご都合主義の私は、ついそう思ってしまいます。理性では、もう公共の場や満員電車オフィス、学校などでも、感染のリスクはいまはとても低いはずだ。そう考えていても、いざ目の前にノーマスクの皆さんがうろうろしていると「何だこいつ」と思うのは、やはりマスクのある日常が白い鼻クソと共に当然となってしまったからなのでしょう。2年前は、マスクしてる人は病気なんじゃないかとか、花粉症なのかなとか、むしろ自分とは異なる人たちの目印のはずだったのに。

 子どもの習い事のお迎えで若いママさんがウレタンマスクを着けてくると、心の中のウレタンマスク警察が騒ぎます。それ、ほとんどウイルス防がないぞ。私の替えのマスクをやるから子どもともども身を守れよ。みんな伝染(うつ)ったら大変だぞ。

コロナへの恐怖と感染症対策という戦いのトラウマ

 町内会の雑務をしていると、両親がコロナに感染してしまったのでお家で一人留守番をしている女の子を訪問することなども多いので、かつては本当に大変でした。自宅療養中に市役所の職員さんと手分けして飲み物や食べ物を家庭にお送りするときも、まるで戦下の配給みたいでした。

 そういうコロナへの恐怖と、感染症対策という戦いのトラウマが、もうその危機はしばらく去りそうだとしても、外出時にマスクを外せない私たちの行動に繋がっているのでしょう。

 もはや、こうなったら私たちのコロナとの戦いを先導してくださった尾身茂さんに「分科会は、永久に不滅です」とスピーチしてもらってマスクを外すセレモニーでもしないと駄目なんじゃないでしょうかね。

 オチに長嶋茂雄の引退ネタをもってきて、すべての若い読者を再び置き去りにしながら。

(山本 一郎)

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