最近なにかと話題の「親ガチャ」。NHK、朝日新聞といった大手メディアでも取り上げられ、SNSなどネット上では白熱した議論が繰り広げられています。

親ガチャとは「親は選べない」「どういう家庭に生まれるかは運任せ」ことを意味し、「裕福な家庭に生まれた子はチャンスに恵まれ、そうではない家庭の子はチャンスに恵まれない」という捉え方もあります。

確かに、幼少期の習い事から始まり、通塾や進学選択は各家庭の経済事情に負うところが大きいものです。実際、経済力と学力に関係性がみられることを示すデータは種々ありますが、裕福ではないから全ての道が絶たれたり、全ての子どもがチャンスを掴めない世の中ではありません。

とはいえ、ある程度の年齢に達するまで子どもは親に依存して生活します。そのため、親の考え方が子どもの進路を左右してしまう現実もあります。

大学生のいる家庭の平均世帯年収は835万円

昔は一定程度いた苦学生。本人がアルバイトなどでお金を貯めるのはもとより、子どもの成功を祈る親が大学進学の学費を一生懸命に工面する。または経済的に恵まれない村の秀才を助けるため、近隣の人が学費を集めて都会の大学に送り出す。そんな話はすでに昭和の昔話になっているのでしょう。

日本学生支援機構が2年ごとに行っている「学生生活調査結果」の令和2年版(速報値)では、大学(昼間部)に通う学生の家庭の年間平均収入は835万円。内訳は、国立856万円、公立725万円、私立838万円でした。

また、東京大学が学部生に対して行っている「東京大学学生生活実態調査」の2018年度の結果によると、世帯年収が1050万円以上の学生の割合は39.5%。また、最も割合が大きい層は950万円以上1050万円未満の21.3%と、世間的には経済的余裕のある家庭の出身者が多いことが分かります

その一方で、世帯年収450万円未満の学生も13.2%おり、”東大に入るには教育費にかけるお金がなければ絶対無理”というわけでもないのです。

お金はないよりあった方がいい。けれど、全てがお金で解決するほど人生は甘くない。最終的には本人の努力次第と考えるのが妥当でしょう。しかし、最終的に経済力の有無以上に子どもの人生設計に大きな影響を与えるのが親の考え方です。

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経済状況以上に影響が大きい親の考え方

筆者の家は住んでいた地域の中でも貧しい家庭の部類に入りました。実際、時代が平成になっても相変わらず昭和30年代かと見まごうような貸家に住んでいました。

はっきり言って、この経済状況で大学進学を願うことは無謀なこと。それは子どもでも察しがつきました。しかし、両親、特に母親は我が子たちに高卒以上、できれば大学進学を望んでいたのです。

そのためか、小さい頃から大学に行くのは当然というような会話をしていました。「おばあちゃんからもらったお年玉は貯めておいて、大学に入ったらパソコンを買いなさい」。田舎の高卒だった母が、Windows95が登場する10年前からパソコンの重要性を感じていたことになります。

こうした何気ない会話は、家の経済状況以上に進路に大きな影響を与えました。国公立大学への進学を厳命されましたが、なんとかクリア。その後は就職、結婚、出産とライフスタイルの変化を経験し現在に至ります。

その一方で、小学校や中学校の同級生の中には親の意向で中卒から働いた子もいました。経済状況は筆者の家と同じ、またはそれよりも安定していました。1990年代半ば、高校進学率(通信課程を除く)は95%以上と現在とほぼ同じ水準に達していましたから、そのことを考慮すると同級生の選択はかなり目立っていたといえます。

その同級生の家は、親自身が中卒で働いていたこともあり、子どもにも「早く社会に出て働くように」と願っていたのです。当の本人たちがそれを希望していたのかは定かではありませんが、「中学を出たら働けと、ずっと言われてきた」と口にしていました。

「親ガチャ」の一言で片づけるのは簡単だけれど

親ガチャという言葉には、”何でも親のせいにするな”というような批判的意見もあります。しかし、親の考え方次第で子どもの進路や選択の幅が大きく異なるようになるのも見過ごすことはできません。

今回の親ガチャの話題は、かつての同級生のことを思い出すきっかけになりました。本人が納得していたのなら問題はありませんが、やむなく親に従う形で高校進学を断念していたのなら、それは「親ガチャに外れた」ことになるのかもしれません。

参考資料