ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など、巨大砂漠が大きな脅威となっている中国西部。砂漠の緑化事業などが実を結び、拡大傾向にあった砂漠地域の面積は、近年縮小傾向に反転した。筆者が実際に砂漠の都市敦煌を訪問し、現地で行われている砂漠緑化などの取り組みをレポートする。(JBpress)

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(加藤勇樹:香港企業Find Asia 企業コンサルタント

 ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など、巨大砂漠が大きな脅威となっている中国西部。筆者が実際に現地を訪問し、砂漠の緑化を進めたり、新たな産業を生み出したりする取り組みの現状を前回お伝えしました。

砂漠の脅威にさらされる中国・敦煌に緑が戻り始めた
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67312

 後編では、砂漠緑化の中心である植林について、実際の現場をレポートします。後半に登場する女性は、NPOを組織して植林活動を長年行っているのですが、実は日本と深い関わりがある方でもあるのです。さらに、近年変わりつつある、中国の環境意識についてもお伝えします。

砂漠に林を作るまでの複雑な作業

 筆者は以前モンゴルなどの草原地帯を旅したことがありますが、今回目にした大砂漠はそれと全く違う印象を持ちました。動物の命の息吹を感じる草原とは違い、砂漠は静寂に包まれ静止した世界のようでした。

 緑地や草原が砂漠化するきっかけとしては、家畜をはじめとする動物による草地の消費、天候変化による降雨量や雪解け水の減少、さらには人間による過剰な開発などがあります。第2段階として、風によって砂や砂利が移動することで、砂漠が大きく広がっていきます。砂漠は生き物のように位置を変え、巨体をより一層広げていきます。

 筆者が調査に訪れた敦煌近郊の库木塔格沙漠(クムタガ砂漠、次の写真)も典型的な移動する砂漠で、現在でも毎年1kmぐらい移動しています。過去には1年で100km近く移動した記録も残っています。

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 この砂漠の移動を食い止める第一歩が、灌木や草を砂漠に植える工程です。

 砂漠を大きく分けると、砂利や石が混ざっている礫質砂漠と、砂だけで構成される砂砂漠の2種類があり、緑化活動もそれにあわせた対応策が必要です。

 砂漠に人力で穴を掘り、一束ずつ苗木や苗草を埋め込んでいくのは根気がいる作業です。強い生命力をもった植物が根を張ることで、石や砂が舞い飛ぶことを防ぎ、砂漠化防止の第一歩である「土壌の固定化」が成し遂げられるのです。

 土壌の固定化が進んだところで、ようやく楡の木などの植林が始まります。この工程になると一層複雑な作業が必要になります。苗木を育て上げ、木を林の規模にまで成長させるため、植林後も定期的な水やりや継続した世話が必要なのです。人間の管理を減らせるようになるまでには5年以上がかかります。

 中国には「前人栽树,后人乘凉」(先人が木を植えることで、後世の人々が木陰で休める)ということわざがあります。今を生きる人たちが環境を意識し取り組むことが、緑化の核心といえるでしょう。

「大地の母」と呼ばれるようになったきっかけ

 NPO「緑色生命」(Green Life of China)は20年以上にわたり植林をはじめとする砂漠化問題に取り組んできました。「大地の母」と呼ばれる代表の易解放さんは、私財をなげうって活動をされていて、全国から広く尊敬を集めています。約2万7000平方キロメートルにすでに800万本もの植樹をしており、10人ほどのボランティアで構成される、民間団体の緑色生命としては驚くべき活動実績といえるでしょう。

 筆者は敦煌の植林計画地域に実際に足を運び、緑色生命代表の易さんにお話をうかがいました。

――今の活動を始めた経緯を教えていただけますか。

易さん 私が現在の道に足を踏み入れたのは、53歳の時です。もともと私は環境活動にかかわりを持たない日々を過ごしていました。今から約20年前、当時大学生だった私の息子が事故により日本で命を落としてしまったのです。私も息子も10年以上日本で生活していました。息子は早くから環境問題に興味をもっており、大学卒業を間近に控えていた時から、内モンゴルの砂漠化を食い止めたい、中国の緑を増やす活動に関わりたいと話していました。

――息子さんの夢が始まりだったのですね。

易さん 息子を失った後、私の人生から輝きが消えたような日々が続きました。そんななか、息子の遺志を継ぎたいという気持ちになり、日本での職を辞したうえで、上海の自宅を売り払い、夫と一緒に今の道に足を踏み入れました。今から考えても大きな決断でした。

――どのように活動をはじめたのですか。

易さん 内モンゴルの砂漠から植林活動を始めましたが、私も夫も活動資金や専門知識がなく、しかもまだまだ中国ではNPOという存在が認知されていない時代でした。日本時代の友人や知人から支援をいただきながら、手探りでの試みを続けました。

 私財を投じながら行ってきた緑色生命の活動ですが、2010年代以降、私たちの活動への理解が社会全体で大きく進んできました。中国における環境問題への認知が進んだことに加え、多くの企業や若い中国人が支持をしてくださるようになったのです。

 政府への植林計画の認可要請、現地の住民との話し合い、さらには一緒に植林活動に参加してくれるボランティアへの呼びかけなど、目が回るような忙しい日々が今も続いています。私自身故郷である上海と敦煌、さらには中国各地を日々飛び回る毎日になりました。

環境問題への意識が変わってきた

――当初とは状況が変わってきたのですね。

易さん 今では、社会貢献という形で100万元(約1800万円)の寄付をしてくださる企業もあります。若い方たちの中にはエコツアーや社会活動で植林現場に来て下さる方も増えており、300人以上の方が来てくれることも珍しくありません。5歳の子供から87歳の方まで、学校の生徒から各地の企業人まで,植林活動に参加する方は何万人という単位で増えてきました。

 特に敦煌は観光資源が豊かで、観光旅行やウォーキングに併せて植林に参加される方も多いです。砂漠の徒歩横断旅行の参加者が植林現場に来てくれるなど、都市部の若者たちの環境問題への意識度向上は驚くべきものがあります。小学生ほどの子供がお小遣いをためて、「植林に使ってください」と言ってくれた時はとてもうれしかったです。

――活動を続けていくのに大事なことはなんでしょうか。

易さん さまざまな形で広がってきた私たちの活動ですが、一番重要なのは地元の方との連携です。植林に必要なインフラの開発、苗木の育成、さらには植林後の緑地への定期的な水やりのためには、現地の方の細やかな対応が必要なのです。自治体だけではなく、農家の方といったさまざまな人たちと連結してこそ、緑地を拡大できるのです。

日本のような緑あふれる大地に

――今後、緑地の回復は広がっていきそうですね。

易さん はい、そのとおりです。砂漠化の防止や緑地の増加では中国やほかの国も努力を重ねていますが、その一方で変えることができない事実もあります。人間は自然の力を超えられないのです。緑地の増加には最終的に水資源が重要で、私たちの植林もかつてオアシスや緑地だった場所に緑を回復させているのが中心となっています。太古の昔から砂漠だった地域そのものを変えることはまだまだ難しいといえるでしょう。

――易さんの活動は世界からも注目を集めそうですね。

易さん この活動には日本やシンガポールなどほかの国々の方も助けてくださいました。特に私が日本で見てきたことや体験したことは、活動の原動力の一つともいえます。

 日本は緑化率が全土の7割。一方中国は3割程度です。日本は森林や緑地に恵まれた国です。私は中国の大地を日本のように緑あふれた大地にして、子供や孫世代に残すと心に決めて活動に取り組んでいます。

 私自身もそうですが、中国と日本は隣国で長く交流を続けてきました。砂漠の緑地化など、中国の変化をぜひ日本の皆さん、とくに若い方に知ってもらいたいのです。そして日本の美しさも再認識してほしいのです。

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