アジアの海で各国の潜水艦戦力強化の動きが活発になっている。2021年9月15日、韓国政府はSLBM潜水艦発射弾道ミサイル)の水中発射実験に成功した。オーストラリアは2030~2040年原子力潜水艦を8隻建造し、保有することになった。これらの背景には何があるのか。元海上自衛隊海将、金沢工業大学虎ノ門大学院教授の伊藤俊幸氏に韓国やオーストラリア、アメリカの狙い、そして今後の日本の安全保障について伺った。(吉田 典史:ジャーナリスト)

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韓国の弾道ミサイル搭載潜水艦は中国への対抗?

──韓国海軍のSLBMの水中発射実験をどのように捉えますか?

伊藤俊幸氏(以下、敬称略) 弾道ミサイル搭載潜水艦とは、敵の核攻撃に大量報復するため、深海で待機し続ける戦略兵器です。通常の戦闘に使う戦術兵器ではありません。韓国でいえば、例えば北朝鮮ソウル核ミサイルを撃ち込んだ場合に海から反撃報復として弾道ミサイルを打ち返す。核を保有していないので代用品として1トン爆弾を搭載する。つまり、北朝鮮に核攻撃をさせないための抑止力なのです。

 ただし、報道によると3000トン級潜水艦ですから、弾道ミサイルを発射する潜水艦としては小さい。このトン数で口径が広い垂直発射筒を装備すると、船体強度はかなり弱くなる。対潜哨戒機から執拗な追尾をされた場合、回避行動は相当に制限されるでしょう。本来、弾頭ミサイル搭載の潜水艦は1万トン以上の大きさが必要です。

──韓国は、北朝鮮核武装を相当に警戒しているのですね。

伊藤 この潜水艦は、韓国軍北朝鮮核ミサイルへの対抗戦略の核心と位置づける「韓国型3軸体系」に基づく軍事力整備として保有したものです。2019年にこの名称をやめましたが、考え方は今も変えていません。

 1つめの軸は先制攻撃する「キルチェーン」、2つめの軸は「韓国型ミサイル防衛」、3つめの軸は「大量反撃報復」です。

 3軸系を生み出したきっかけは、2013年に北朝鮮が行った3回目の核実験です。この時、韓国軍と米軍は、北朝鮮が1トン程度の大きさの核弾頭を保有できるようになったと確信したのです。次の朝鮮戦争は核戦争になると想定し、2015年に新たな「作戦計画5015」を策定しました。米韓合同軍が北朝鮮による核攻撃の兆候を得たならば、30分以内に約700カ所の北の核ミサイル施設を先制攻撃し壊滅させると言われています。この先制攻撃が1つめの軸であり、潜水艦発射弾道ミサイルは3つめの軸の1つの手段です。

 潜水艦からの弾道ミサイル攻撃のベースとなるのが、核抑止理論。米ソ冷戦はアメリカがモスクワを、ソ連がワシントン核ミサイルターゲットにしたことから本格化しました。その後、双方の原子力潜水艦核ミサイルを相手国に打ち込むことが可能になりました。この第2攻撃能力を保有した結果、相互確証破壊(MAD)が確立したのです。MADが確立したことで、米ソ間における核兵器は戦術的には「使えない兵器」として軍事専門家の間では位置づけられました。

「日本への攻撃」の意図はない

──日本の軍事専門家の中には、「韓国は日本への攻撃を念頭に攻撃型の潜水艦を保有しようとしている」と見る人もいます。

伊藤 韓国軍にそのような意図はないと思います。韓国軍は米軍を無視し、独自で戦闘することができません。米韓合同軍ですから、米軍の作戦指揮システムの中でしか動けない。日本を攻撃するなどと言えば米軍は直ちに作戦システムを韓国軍が使用できないようにするでしょう。

 むしろ、中国への対抗と捉えるべきです。米軍やアジアの自由主義国家の脅威は、グアムまでを射程内に入れている中国の中距離ミサイルです。米韓は今年(2021年)5月にミサイル指針を撤廃し、「韓国軍弾道ミサイルの射程は800kmまで」としていた制限をなくしました。北朝鮮だけでなく、中国本土を射程に入れた中距離ミサイルの保有を米軍が許可したとみるべきでしょう。

──海自も、弾道ミサイル搭載の潜水艦を保有することになるのでしょうか。

伊藤 日本には高い科学技術があるので、製造することは可能です。ただし、憲法9条がある以上、他国の軍用基地以外にミサイルを撃ち込むことはできない。国民が危機を真剣に認識し、改憲されたうえで抑止力として保有すべしとなれば別ですが、現時点で議論すら全く行われていない。

なぜオーストラリアは原潜保有を認められたのか

──韓国は潜水艦戦力を強化していますが、原子力潜水艦も保有するのでしょうか。

伊藤 頻繁に燃料棒の交換ができない原潜に原子炉を搭載するためには、高濃度ウランが必要となります。これは核兵器の原料になることから、核拡散防止条約(NPT)によってその移転や保有が厳しく制限されています。

 昨年9月に韓国政府高官がワシントンを訪問し、韓国軍が原潜を持つことを打診しましたが、却下されました。米国の戦略上、今の韓国は持つ必要がないと判断したのです。

──一方、報道によると、オーストラリアが米英両国の支援を受けて、2030~2040年原子力潜水艦を8隻建造し、保有することになりました。

伊藤 インドが原潜を造る際にロシアが許可したように、米国がオーストラリアに許可しました。

──なぜ、オーストラリアには許可したのでしょうか。

伊藤 そもそもなぜ今、原潜なのかと考える必要があります。中国は第1列島線と第2列島線の概念をつくり、第2列島線までの間で米海軍を阻止(A2AD)しようとしています。特に空母キラーと言われるミサイルを使用し、米空母を第1列島線内に入れないようにする。このミサイルを米空母に命中させるためには、レーダーなど目や耳となるセンサーが必要です。米海軍の原潜はA2ADをかいくぐり、それらのセンサーを破壊できるので、原潜の重要性が増しているのです。

 米海軍は西太平洋での拠点である横須賀基地以外に、新たな原潜の拠点を西太平洋地域に求めています。オーストラリアに原潜を保有させれば、補給や修理ができる港湾やドックなど米海軍原潜の拠点が西太平洋地域にもできると考えたのだと思います。中国の中距離ミサイルの射程外にあり、東シナ海や南シナ海に比較的短時間でアクセス可能なオーストラリアを新たな「戦略的拠点」と位置付けたというわけです。

 しかし、問題はあります。オーストラリアの造船会社に原潜の製造ができるのか。保有したとしても、原潜を運用する要員を養成ができるか。米英仏海軍では、原潜の機関長になるためには原子力工学の大学院修了レベルの知識・技能が求められます。養成だけで10年以上はかかります。

日本の原潜保有に立ちはだかるのは、国民の意識

──日本が原潜の製造、保有の考えを明確に持ち、米国にそれを認めるように申し出た場合、認められるのでしょうか。

伊藤 日本が要望すれば、米国はすぐに許可してくれるでしょう。しかし、これまでに日本は米国に求めてきてはいません。アメリカに「原潜を製造し、保有したい」と言おうと思えばできるのに、政治家がそのことをアメリカに表明していないのです。それは、世論に配慮して“自己規制”しているからです。

 日本周辺の任務ならば通常動力型潜水艦でも十分対応できますが、「米海軍とともに中国のA2ADを打破し、中国海軍の太平洋進出に対応してほしい」となれば、原潜は当然必要になります。しかし、現実的に原潜を保有できない難しい理由があるのです。

 1つは原子力船「むつ」の放射能漏れ事故(1974年)によって、「原子力推進機関」という学科が大学からなくなってしまった。1970年代、船舶工学を教える日本の一般大学には「原子力推進機学科」がありましたが、今や「その他の機関」の1つとしてしか扱われていません。

 もう1つの理由は、日本人の原子力に対する世論です。広島、長崎の原爆投下(1945年)、東海村の臨界事故(1999年)、東日本大震災発生時の原発事故(2011年)と続きました。日本人の核アレルギーは強く、今も原潜や原子力空母の保有を認める世論にはなっていない。原潜は憲法9条を改正しなくとも、保有することは可能なのです。日本政府や国民がその意思を持つか否か、なのです。

◎伊藤 俊幸(いとう・としゆき)氏

1958年生まれ。防衛大学校機械工学科卒、筑波大学大学院修士課程(地域研究)修了。海上自衛隊潜水艦乗りとなる。潜水艦はやしお艦長、在米国日本国大使館防衛駐在官、第二潜水隊司令、海上幕僚監部広報室長、同情報課長、情報本部情報官、海上幕僚監部指揮通信情報部長、海上自衛隊第二術科学校長、統合幕僚学校長海上自衛隊呉地方総監を最後に2015年退官。2016年から金沢工業大学虎ノ門大学院でイノベーションマネジメント研究科教授としてリーダーシップ論を教える。

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