発売から50年以上、いまなお世界中で人気を誇るミニカーシリーズが「ホットウィール」です。奇抜な車両揃い、しかも「世界一速い」をコンセプトにしたミニカーは、いかにして誕生したのでしょうか。

イギリスのライバルを追い落とせ! ホットウィール誕生

日本の「トミカ」と並んで玩具売り場などでよく見かけるミニカーに、「ホットウィール」があります。アメリカの玩具メーカー・マテル社による、“世界で一番売れているミニカー”です。

マテルは1950年代後半に「バービー人形」を大ヒットさせ、女児玩具の世界で圧倒的なシェアを獲得していました。これに続き、男児玩具の世界での成功を目論んで企画されたのが、新しいミニカーシリーズ、ホットウィールでした。

一口にミニカーといってもさまざまな大きさ(スケール=縮尺)のものがありますが、ホットウィール開発陣は「3インチサイズ、日本で言う「トミカ」と同じサイズを選びました。この背景には、当時ミニカー市場を制していたイギリス・レズニー社の「マッチボックス」が同じ3インチを採用していたのも関係しています。ホットウィールはマッチボックスの市場を奪うために企画された刺客だったのです(ちなみにこの時代、トミカはまだ生まれていません)。

まずはイギリスを始めとして、ヨーロッパの伝統ある自動車文化に根ざした重厚感と洒落た雰囲気に対抗すべく、ホットウィールはアメリカならではの改造車文化「ホットロッド」や「カスタム」のテイストをその基盤におきます。

元来「ホットロッド」とは、古いベース車両を安価に入手し、エンジンをはじめとする機関を改造して性能向上をはかった手作りマシーンです。これらによる公道レース1950年代には社会問題化しますが、のちに厳格な規則によってオーガナイズされるドラッグレース競技へと発展して行くことになります。また「カスタム」は、性能よりもボディ形状や塗装をはじめとするクルマの外観をグレードアップすることに主眼をおいた改造のことで、この2つの潮流はときにミックスされ、1960年代には性能も外観も突き抜けたマシーンが専門誌の表紙を華々しく飾り、全米各地でイベントレースも盛んに開催されるようになっていました。

車両は奇抜で「世界一速く」!

ここで認識しておくべきことは、これら行為の根底には、いかにもアメリカらしい「Do it Yourself」の精神が流れていることです。自分の手をオイルで汚して作り上げることがプライドであり、貴族的な趣味性が根底にあるイギリスヨーロッパ自動車文化とは、そこが決定的に異なるポイントだと言えます。そしてもとより、マテルのお膝元であるカリフォルニアはその本場でした。

カリフォルニア・カスタム」と名づけられたこのスタイルは、ボンネットから突き出たエンジンスーパーチャージャー、太いエグゾーストパイプ、赤いストライプがあしらわれたスポーティなタイヤキラキラと輝くマグホイールなどをミニカーの世界にもたらしました。加えて「スペクトラフレームカラー」と名づけられた独特の塗装方法により、ピカピカに研磨された金属製ボディに明るい色調のクリア塗装を施したことで、その仕上がりはまるでフルーツキャンディのようにギラギラと輝き、少年たちの目を奪わずにはいませんでした。

さらにマテルは、ホットウィールにもう1つの全く新しいコンセプトを埋め込んでいました。それが「今までのどんなミニカーよりもよく走る」ということです。

マッチボックスが鉄製の太いシャフトで左右のタイヤをつないでいたのに対して、ホットウィールは細いピアノ線を使用。なおかつそのピアノ線はねじられてシャシーに止められており、いわゆるトーションバー(ねじり棒)サスペンションとしての機能も担っていました。タイヤおよびホイールも接地面積が極めて少ない独特の設計を採用したことで、ホットウィールは凄まじいスピードで走らせることができました。結果、この性能を活かすべく、ミニカー本体の他に様々な専用コースセットも発売されたのです。

書き換えられたミニカーの勢力地図

1969(昭和44)年のお正月を迎える頃には、世界のミニカー、とりわけ3インチミニカーの勢力地図は完全に書き換えられていました。無論マッチボックスも指をくわえて傍観していたわけではありません。ホットウィールのコンセプトに追随すべく、ホイールを改造し、車種やペイントの見直しで対抗しました。

かしこれがむしろ、自ら培ってきた比類なき伝統との永遠の訣別になるとは想いもしなかったでしょう。保守的ではあったものの、それゆえに愛されていたマッチボックス。悲しいことに、これを機に多くの正統派自動車愛好家はマッチボックスから離れただけでなく、この後の数年でヨーロッパミニカー市場は完全に凋落してしまうのです。

ホットウィール以前、マッチボックス以外にもイギリスヨーロッパには数多くのミニカーブランドがあり、それぞれがお国柄を映して個性的な製品作りに邁進、収集家はそれらの味わいを楽しんでいました。ホットウィールが登場した後の約10年で、そうした趣味世界のあり方は全く変容してしまいました。それが再び蘇生していくのは1990年代初頭のことです。

それほど大きな影響をミニカー市場に与えたマテルのホットウィール。しかしホットウィールとて、現在に至る50余年間ずっと順風満帆だったわけではありません。ただひとつ、彼らが荒波を生き抜くことができた最も大きな理由は、先に触れた「ホットロッド」や「カスタム」といった精神的支柱が当初から現在に到るまで根底にあるからです。ひと言で説明するのは簡単ではありませんが、言い換えれば、常にクルマを憧憬の対象として捉え、新車ばかりを追うのではなく、巧みに題材を選び、絶えず移りゆく流行を意識してミニカーデザインの中に落とし込んでいく。ホイール、ペイント、車高のバランスグラフィック……。

開発チームデザイナーはいずれ劣らぬカー・ガイ揃いであり、彼らは小さなミニカーと本気で向かい合い、ホットロッドやカスタムを手のひらサイズで再現しているというわけです。それらの結晶がホットウィールであり、いまだ熱く支持される比類なき個性の源だと言えるでしょう。

近年のホットウィール。1968年以来、紙のカードにブリスターパックを貼り付けたパッケージ形態は不変。近年は新旧日本車のラインナップが人気だ。(ヤマダマ撮影)。