最強CPU将棋ソフト『水匠』と最強GPU将棋ソフト『dlshogi』が対決するイベント“電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」”が、2021年8月15日に実施された。

 ともにトップクラスの強さを誇る最高峰の将棋AIが激突したこの対局を、開発者は、プロ棋士は、どう見ていたのか。

 ライトノベルりゅうおうのおしごと!」作者である白鳥士郎氏による観戦記を全4編に渡ってお届け。電竜戦長時間マッチの舞台裏を紐解いていく。

インタビュー2021年8月21日に行われ、棋士の肩書き・段位等は当時のものになります。

第一譜『水匠』杉村達也の挑戦
第二譜『dlshogi』山岡忠夫の信念
第三譜『GCT』加納邦彦の自信
第四譜『プロ棋士』阿部健治郎の未来予測

取材・文/白鳥士郎

「なんて……なんて、趣味人なんだ……」

 加納邦彦が山岡から初めてその話を聞いたとき、あまりの壮大さに圧倒されたことをよく憶えているという。
 なぜなら山岡は、Googleという超巨大企業が行った壮大な実験を、論文だけを頼りに、たった一人で再現しようというのだから……。

「山岡さんは同じ会社の1年先輩だったんです。私は老けて見えるので意外かもしれませんが(笑)

 新卒で入社した会社の同僚。
 それが、加納と山岡の出会いだった。およそ20年前のことだ。
 現在はお互いに別の企業で働いている。
 山岡は今、将棋ソフト開発者が多数在籍し、『将棋ウォーズ』を運営するHEROZに在籍している。まさに将棋が身近にある職場だ。
 一方、加納が今の会社で担当しているのは『チャットボット』と呼ばれる技術だ。

 「自動会話プログラムですね。サイトを訪問したお客さんに、機械が話しかけるといった技術です」

 ディープラーニングを使用した将棋ソフトで初代『電竜』の称号を得た加納の作るAIであれば、さぞ高度な会話ができるのだろう。
 そう期待してさらに尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。

「簡単な受け答えであればAIでできるんですけど……その人がどんな趣味嗜好を持っていて、どんなものを必要としているとか、そこまでは機械では理解できません。その場合はオペレーターに繋いでしまったほうが、費用対効果の面でいいんです。そういう2段階のサービスを作っています」

「何でもAIでできればいいんですが……そんなリソースもお金もかけられないので。ま、費用対効果を見て……ということですね」

 費用対効果
 仕事について質問する中で出てきたこの言葉は一見、将棋ソフト開発とは関係ないようにも思える。
 しかし加納の話を聞いていくと、これこそが、ディープラーニング系の将棋ソフトを飛躍的に強くするうえで必要なことだったということが、次第に判明していく――

謎の開発者・加納邦彦

 さて。前職で先輩後輩の間柄だった山岡と加納が、いかにして将棋ソフト開発へと進んでいき、『チームdlshogi』としてタッグを組むようになったのか?

「仕事の繋がりは最初の1年だけで、あとは基本的に飲み友達という感じでした。会社の勉強会などで技術的な話をしたりという感じです」

2016年頃に『AlphaGoクローンを作ってる』という話を山岡さんから聞いて。なんて趣味人なんだと驚いたことを憶えています(笑)

 やがて山岡の興味は囲碁ソフトであるAlphaGoクローンを作ることから、その技術を応用して将棋ソフトを作ることへと移行していく。
 そんな山岡に引っ張られるように、加納もディープラーニング系の将棋ソフトへ知識と興味を深めていった。
 山岡が『技術書典』という同人誌即売会に出席すれば、それを売り子として手伝う。
 そのイベントでのことがマイナビ出版の目に留まり、山岡が本を書けば、その査読を引き受ける。
 もともとディープラーニングや機械学習には興味があり、将棋ソフトの話題もフォローしていたということもあった。
 そしてついには自分も将棋ソフトの開発に手を染める……。

 「山岡さんが本を書いたり、ブログを書いたり、大会に出たりしているのを見ていて『ちょっとやってみたいな』と思ったのが、開発するきっかけですね」

 ところで、加納が作り始めた『GCT』というソフトの名前の由来について。
 加納はGoogleの提供する無料の作業スペースColab』を使ってソフトを開発していた。GとCはその頭文字だ。
 では、Tは?

「Tは『TPU』です。AlphaGoが使用していた、Googleが開発したディープラーニングを高速化するためのプロセッサです。ColabではこのTPUを使うことができるんです」

 将棋ソフト開発の現場といえば、家庭に高性能パソコンを設置して行うのが一般的だ。
 しかし加納はクラウド環境を使って開発を行う。
 開発のためにわざわざ高性能パソコンを買ったりせず、ノートPCだけで将棋ソフトを作り上げた。

AlphaGoを作ったのと全く同じリソースを使えるわけですから『これはすぐ強くなるだろう!』と思ってやってみたんですけど……思ったより強くならなかったというのが、第29回世界コンピュータ将棋選手権に出たときのことです(笑)

 結果は、1次予選で敗退
 優勝は『やねうら王』。ちなみに同じく初参加ながら決勝で7位になったのが、杉村の『水匠』だった。

「最初のGCTは山岡さんが本に書いていたdlshogiをTPUでも学習できるように作り替えたソフトだったんですが……ボロ負けでした(苦笑)」

「私はノートPCが1台だけなのに、決勝に残るような人たちはインスタンスを5台とか10台とか……一番驚いたのは『Novice』チームですね。AWS価格にして4000万、市場価格でざっくり1億円とかのリソースを使ってて」

やねうら王の磯崎さんも、テラショック定跡を作るためにAWS100万以上使用しているとか……これにノートPCで立ち向かうのは、無謀すぎるんじゃないかと(笑)

 翌年、コロナの影響によりオンラインで行われた世界コンピュータ将棋オンライン大会にも山岡と共に出場する。2日目の決勝でGCTは3勝5敗。本家dlshogiも4勝4敗という成績だった
 優勝は7勝1敗の水匠である。
 この結果に、加納は手応えを感じた。

「もともとノートPCで出るつもりだったんですが……この大会の前日にテスト対局をしたら、ボロ負けしたんです。それで急遽、AWSを申し込んで、V100というGPUを4台使えるようにしました。そうしたら、2日目に進めて」

「このとき、やねうら王ライブラリ勢に初めて勝てたんです!」

 山岡はGPUを3枚も購入し、それを毎日24時間動かして学習を続けていた。大会ではV100を8台使ったサーバで出場する。
 しかし加納はコスト抑えるために無料のColabで学習を行い、大会ではAWSを使用するという戦略を採用した。
 これがハマり、次第に上位チームにもポツポツと勝てるようになっていったのだが……。

「ただ、水匠が使用するCPUThreadripper』が圧倒的に強くて……しかもその強さが伝わると、他のやねうら王ライブラリも次々に使用するようになっていって……」

 藤井聡太が購入したことでも話題になった『高級スリッパ』を使用するソフトがどんどん増えることで、詰めたと思った上位との差が、また広がっていった。

「これはいかんと。V100を8台にしても勝てないんです」

 加納の戦略は行き詰まった……かに見えたが、『本番でAWSを借りる』という行為を続けたことが、後に意外な形で活かされることになる。

 圧倒的な力を持つ水匠。そしてThreadripperを使用するやねうら王ライブラリ勢。
 2020年5月の段階では全く歯が立たなかったが……わずか半年後の11月に行われた第1回電竜戦で、GCTは何とそれらを押しのけて優勝してしまう
 ディープラーニング系のソフトが初めて大会で優勝し、変革期の到来を印象づけたその偉業は、どのようにして達成されたのか?
 たった半年間で飛躍的に強くなった理由を、加納はこう語る。

「まず大きかったのは『AobaZero』の棋譜を学習させたことです」

「AobaZeroとdlshogiが対戦したときに、山岡さんは『AobaZeroの序盤はかなり強そう』とブログで書かれていて。それで、AobaZeroの棋譜をダウンロードして学習させることにしました」

 AobaZeroの棋譜は無料でダウンロードでき、他のディープラーニング系のソフトも学習に使用している。
 これには序盤の強化に加えて、教えることが難しい入玉宣言法の学習にも成果があると期待していた。

「第29回の選手権当時、やねうら王ライブラリ同士の戦いは、相入玉になることが多かったんです。けれどdlshogiは相入玉になったら、宣言勝ちをすることができなかった。入玉したときの点数を正しく判定できないという弱点を持っていたんです。ディープラーニング系のソフトは局面の形から優勢かどうかを判断してしまうので……」

 さらに加納が目を付けたのが、『Swish』というモデルだ。

「これは山岡さんのほうで実験していて。Swishありのモデルと、なしのモデルだと、どうやらありのほうが強くなるぞという結果は出ていたんです」

「でも山岡さんはGPUを購入して、1年以上、自宅でモデルを作っていたんです。いったんそこまでのモデルを作ってしまうと、なかなかチェンジする踏ん切りが付かないところがあったんだと思います」

「逆に私のほうは、AobaZeroの棋譜を学習させる必要があると気付いたので、ちょうどゼロから学習し直そうと考えていたんですね。そのときにモデルチェンジを行いました」

 こうして強化の方針は定まった。
 あとは大会本番へ向けての戦略である。
 加納は自身のリソースが他の開発者たちよりも劣ることを自認していた。大会に合わせて効率よくチューニングせねば、絶対に勝つことはできない。

「どうやって勝とうかな? と考えたんです。私には山岡さんのようなGPUソースがあるわけではないし……そんなとき、山岡さんが選手権の決勝を見てこんなことを話していたことがあったと思い出したんです」

 加納は、山岡が一度だけこう言っていたのを今もよく憶えている。

『決勝に残ったソフトは全部、やねうら王系だ。そのライブラリ勢の中で最強のソフトを倒すことができれば、ゴボウ抜きできる』

 山岡はやねうら王という存在に対して強いライバル心を抱き、それを使わない『縛り』を自分に課していた。山岡にとって水匠はやねうら王クローンの一つに過ぎず、あくまで目標は打倒・やねうら王だった。

 しかし加納は、やねうら王そのものに対しては、さほど思い入れがあるわけではない。
 だから山岡の言葉をストレートに受け取った。

「水匠に勝てれば、他のソフトにも勝てるんじゃないかと考えたんです」

 加納は、圧倒的な強さを誇っていた水匠を仮想敵とし、その対戦成績を上げるようGCTをチューニングしていった

 山岡も加納も、将棋についてはほぼ知識がない。山岡に至っては勝率と正解率だけを見ており、dlshogiがどんな戦型を使い、どんな戦い方が水匠に対して有効なのか等の知識は全く意識の外にあった。

「山岡さんや、それにやねうら王の磯崎さんは、『前のモデルに対して55%くらい勝てるようになったら、強くなったと言っていいだろう』みたいな感じで育てていたと思うんです」

 一方、加納は別の育て方をしていた。

「評価値グラフを見ていました。学習させるたびに水匠と対局させて、序盤で不利になれば、そこを強化する。中盤がダメならそこを強化。終盤がダメならそこを……という感じで」

「そうやって評価値グラフを見ていると、逆転を許しやすいタイミングとかがわかってくるので」

 AobaZeroの棋譜を学習することで、GCTの序盤は向上した。また、入玉に関する弱点も、不安はあるものの一応克服することができた。
 しかしCPUを使うソフトの強みである終盤で逆転されてしまう。そのためには、さらなる学習の必要があった。
 加納が目を付けたのは、dlshogiの教師データだった。
 だが、先輩後輩の間柄とはいえ、ライバル同士。山岡がデータを提供してくれるかはわからない……。
 ちょうどその頃、ハードウェアの向上というタイミングがあったことが、運命を大きく変えた。

「A100というGPUが出ることが確定して、以前から『これを使うことができればもっと強くなるんじゃ?』と思い、情報を検索していました。それがちょうど電竜戦の数週間前にAWSで使用できることになったんです!」

「私は過去にAWSを借りた実績があったので、すんなりA100を借りることができました。けれど山岡さんは審査に落ちてしまって(苦笑)」

「じゃあチームになりましょうと。『こっちはA100の環境を提供するので、山岡さんはdlshogiの教師データをくださいよ』と……これがチームdlshogi結成のきっかけです」

 しかも当時、山岡は自分が育ててきたモデルを一から作り直す決断を下すことができないでいた。
 1年以上もの時間を掛けて学習させた……というのもあるが、もっと大きかったのが、山岡の中にあった『縛り』だ。

『dlshogiだけで強くしたかったんです。他のソフトが作った棋譜を学習させたくなかった』

 山岡はそう語ったが、加納にはそんな拘りはない。
 大会までそれほど時間が残っているわけではなかったが、山岡から提供されたdlshogiの教師データを学習させ、新しいモデルを作り上げた。

「2週間から3週間ほど学習させれば足りるということも今までの経験からわかっていたので。電竜戦には間に合うだろうと」

 そして大会本番でA100を8台使用したGCTは、杉村と磯崎がタッグを組んだ『みざうら王』にも勝利して優勝し、初代電竜の称号を得る

 最も少ない費用で最も大きな成果を出そうと行動する加納の存在がなければ、おそらくディープラーニング系のソフトがここまで早く結果を出すことはなかった……2人の話を聞けば聞くほど、そう思えてくる。
 そういう意味で、この2人は名コンビだった。

「みんな完全にノーマークだったと思うんです。ディープラーニング系というだけでも弱そうなのに、おまけに無料のColabで作ったなんて、ネタみたいな存在だろうと(笑)

 確かに、優勝前の加納は『謎の開発者』だった。
 山岡の名は誰もが知っていたが、加納が何者かという情報はほぼ皆無で、開発者の中には『HEROZの社員では?』と思い込んでいる者もいた。

 加納はあまり表に出たがる人物ではない。というか、山岡のようなプログラマーネームを使って活動しているわけではない以上、本名を晒して活動することはリスクを伴う。
 それもあって山岡のようにブログで発信をするというようなことも、してこなかった。
 とはいえこれだけの偉業を成し遂げたのだ。
 良くも悪くも、話題になるに違いない。
 優勝したGCTを公開するとき、加納はその覚悟を固めていた。

 しかし予想外の反響に……加納はむしろ拍子抜けする。
 ほぼゼロだったのだ。批判も、そして賞賛も……。

「謎の開発者とか言われてますけど、単に取材が1件も来なかっただけなんです(苦笑)」

 将棋ソフト開発への注目度の低さ。
 特にディープラーニング系に対してはそれが顕著だった。導入が難しかったこともあって、プロ棋士も研究に用いることへ消極的だった。

「あの千田先生ですら『Threadripperを買ったばかりなので……』と、GPUを購入してディープラーニング系のソフトを導入することにためらいを感じている様子でした。だったらプロ棋士に普及するのは難しいんじゃないかと……」

「だから藤井聡太先生がディープラーニング系を導入していたと聞いて、逆に驚いてしまって」

「GCTが相掛かりを最も指していたのは昨年の11月頃。ちょうど藤井先生が相掛かりを指し始めた頃と一致しますし、インタビューでもその頃にディープラーニング系のソフトを使い始めたと……」

 将棋そのものに対しては興味を持ったことがなく、プロ棋士が登場する対局中継なども見ない加納だったが、スーパースターの発言によって風向きが変わってくるのは感じていた。

「今年5月に公開したモデルだと、相掛かりはあまり指さなくなっているんです。弱点だった振り飛車の棋譜を学習した結果、矢倉や角換わりがメインになっていると思いますが、藤井先生も最近は相掛かりよりもそちらを指すようになっていて……もしかしたら、影響があるのかもしれないなと」

 影響は間違いなくあるだろう。
 渡辺明名人も『最近、藤井くんの形成判断が他と違ってきている』と危機感を抱き、杉村に依頼してディープラーニング系のソフトセットアップをしたのだから。

「私が新しいモデルを公開しても、あんまり使ってくれる人がいなかったんです。ネット上でも『こんなのスーパーコンピュータでも持ってないと使えないよ』みたいな反応で……けど、ちゃんと使ってくれてる人がいるんだとわかって。嬉しかったですね」

 藤井はプロ棋士の中では圧倒的な早さでディープラーニング系を研究に取り入れている。
 この差を他の棋士が埋めるのは難しいのではないか? そう尋ねると、加納は頷いた。

「早く導入したというのもですが、NNUE系とディープラーニング系の両方を比較して見ることができるのが強みだと思います。お互いの弱点を把握しているわけですから」

 強いソフトを高性能のパソコンを用いて動かすことの利点は、極言すれば『効率がいい』からだ。
 時間という限られたリソースの中でいかに効率よく研究できるか。将棋界は今、その競争の最中にある。
 評価値グラフを見続けることで水匠の弱点を把握し、効率よくタイトルを獲得した加納の言葉は今後、棋士たちに重くのしかかるだろう。

ディープラーニング系将棋ソフト開発の今後

 さて。ようやく長時間マッチの話題である。
 加納はどんな役割を果たしたのだろう?

「今回の長時間マッチでは、私は何もしてないに等しいです」

モデルを10から15ブロックにしたときに、教師データを作り直すのも、学習するのも、ゼロから山岡さんがやり直したので。だから今回の長時間マッチに出場したdlshogiがGCTをベースにしているとか、そういうことはないと思います」

 加納はこう言うが、加納がいなければ山岡は現在も独自に作り続けていたモデルに固執していたかもしれないし、企業の力を借りることを良しとしなかっただろう。そして杉村がこの長時間マッチを提案することもなかっただろう。その意味では、そもそも加納がいなければ実現しなかったといえる。
 そしてもう一つ、加納が今回の長時間マッチで果たした役割がある。

「山岡さんは本人も言ってますが、裏方に徹するタイプだと。だから私は賑やかしというか、そういうところで貢献できたらと……」

「仕事ではECサイトへの導線をどうするかといったことも行っているので、そういう面(集客)で貢献しようと。Discord上で杉村さんの提案した告知用の画像について改良案を提示したり……他の開発者の方々からボコボコにされましたが(笑)

 加納はNNUE系の開発者たちと積極的に交流することで、ディープラーニング系の技術者だけで固まるのではなく、オープンに開発する環境を整えていった。山岡のようにブログで技術を公開するのも重要だが、親しく言葉を交わし合える雰囲気作りも重要だと、加納は感じていた。
 後述するが、これは加納が初めて選手権に出場したときの経験も影響している。

 ところで、第1局で出現したバグのことを、加納は知っていたのだろうか?

「いえ。全く知りませんでした」

「ただ……私はずっと水匠を仮想敵として対局を繰り返してきましたが、A100を使わなくても、低スペックノートPCだけで勝ててしまう場合が意外とあったんです」

「全体的な傾向としてディープラーニング系のほうが終盤で逆転されることが多いのも事実ですが、逆にNNUE系を頓死させることもあって。そういうことが起きたのかなと思ったんですが……」



 第3局は、dlshogiの圧勝だった。
 初手でdlshogiが角道を開け、それだけで評価値で147という数字を付けた時点でもう、開発者たちには勝負の行方が見えているようだった。
 先手番を持ったdlshogiへの信頼感は既にそのレベルに達していると、彼らの醸す空気が何よりも雄弁に物語っていた。

「基本、dlshogiが優勢のまま勝ちきるという『勝ちパターン』でした。ここから逆転されることはないだろうと。開発者のみなさんも雑談のほうに熱中していて(笑)

 角換わりに進むと、水匠は序盤からずっと千日手の筋を読み続けている。
 そんな水匠を尻目に、dlshogiは自身の有利を着々と積み上げていく。
 そして76手目に水匠がようやく千日手ではないと気付いた時にはもう、その差は挽回不可能なまでに開いていた
 それでも水匠は、自らの強みであり、ディープラーニング系の弱点とされる終盤での逆転を目指して、王手をかけ続ける。
 人類ならば頓死していたかもしれない。
 だが、dlshogiは水匠の鋭い攻めを全て紙一重でかわすと、長手数の詰みをしっかりと読み切って勝利した。
 総手数183
 しかし勝負は水匠が千日手筋を読み始めた12手目にはもう、終わっていたといえる

「第2局の敗北も含めて、dlshogiの特徴がよく出た対局だったと思います。そういう将棋をたくさんの人に見ていただけて安心しました」

(画像は電竜戦長時間マッチ「水匠 vs dlshogi」第3局 開発者座談会より)

 今後、開発の軸はディープラーニング系へと移行していくだろう。それは水匠の杉村も、やねうら王の磯崎も認めているし、実際にもう開発を始めている
 山岡はマシン100万円を投じた。電気代も加えれば、さらに費用は高額になる。おまけGPUの性能は飛躍的に向上し続けている。A100は1台で130万円以上だ。今後、さらに高額になるだろう。
 全く新しい技術を学ぶ必要がある上に、費用も莫大……将棋ソフト開発への参入障壁は、あまりにも高すぎないだろうか?
 しかし加納の答えは意外なものだった。

「いえ。今は最も将棋ソフト開発への参入障壁が低いと思います」

「電竜戦の頃は3週間かかったGCTのモデル構築も、今は1日あれば同じ強さにできます。作業環境も、最近できたColabの有料版を使えば、月額1000円ほどで確保できる。あとは大会本番でA100が使えるような環境があればいい。それも1日なら、大してお金も必要ありません」

「それに、NNUEにはNNUEのいいところがあります。そこを突き詰めて今後も開発を続けていってほしい」

 山岡がHEROZのA100を自由に使えるようになった以上、チームの解消が訪れることを、加納は予感している。
 もともとクラウドソースを融通したり、棋譜データを提供するくらいの、薄い繋がりだ。
 接点を極力少なくして、お互いが好きに開発する。
 そんな距離感だからこそチームとして機能したし、20年以上も付き合いが続いてきたのかもしれない。
 だから加納には加納の課題がある。

「まずは、モデルサイズを15ブロックにした場合の検証ですね。これは既に私のほうでも進めています」

「dlshogiに合わせて15ブロックにするのか? しかしリソースは不足していることがわかっているので、そこのチューニングが上手くいかないようであれば、GCTは今までと同じように10ブロックで軽くて速いモデルを作って開発を続けるというのも一つの案です」

 加納の目にはもう、長時間マッチで戦っているdlshogi仮想敵として映っている。

「dlshogiはリソースが潤沢なので、同じことをやっても勝てない。とはいえもともと山岡さんとはGPUソースに差がありました。私はより少ないコストと時間でdlshogiを上回ることができるかをずっと追究し続けてきましたから」

「私の自慢ではあるんですけど……昨年11月の電竜戦に優勝した際のGCTは、無料のクラウドサービスノートPCしか使っていなくて、大会当日のクラウド費用くらいしかお金がかかっていないので、トップ開発者の誰よりも開発にお金を使っていない自信はあります(笑)

「潤沢にお金を使えば強くなることはわかっています。けど、そういう人ばかりじゃないことは、私自身を含めてそうなんです。だからいかに費用をかけずに強くするかは今後の検討課題だと思っています」

 だから参入障壁は高くないし、誰にでも優勝するチャンスはある。
 加納が心配するのはむしろ、別の面だ。

「実は今回のイベントが盛り下がっていたら、私も将棋ソフト開発から足を洗っていたかもしれません(笑)

 GCTが電竜を獲得した際に全く話題にならなかったのと同じようなことが今後も起こるのであれば、将棋ソフト開発に未来はない。口調こそ柔らかかったが、そう語る加納の目は真剣だった。
 では、今後ディープラーニング系のソフトがさらに強くなるためには、どんな技術を持つ人々が必要なのだろう?

ディープラーニングに精通した人々ですね。『Kaggle』という機械学習のコンペがあって、優勝すると100万とか200万とか多額の賞金が出るんですが、そういうコンペで活躍している人が参加してくれたらどうなるかな? と思います」

「そういう人たちが積極的に入ってくれるためには、名声が得られたり賞金が得られたり、大会が魅力的じゃないといけない。それは電竜戦の理念とも合っているのかなと思います」

「あと……私が選手権に出たときに感じたのが、『非常に閉鎖的な世界だな』ということです。身内同士で固まっていて……私は山岡さんがいたので大丈夫でしたが、一人で初参加した人は参入ハードルが高かったんじゃないかなと。そういう意味で、オンラインで開催された電竜戦は、よかったんじゃないでしょうか」

 種は蒔かれた。
 今回の長時間マッチが話題となったことで、再びその日が訪れるかもしれない。
 加納邦彦のような、新たな『謎の開発者』が登場する日が。



 ……しかし、ディープラーニング系のソフトが主流になることに対して複雑な思いを抱く人々も存在する。
 最後に、ロ棋士がこの対局をどう見たのかを語ってもらうことで、観戦記の締め括りとしたい

 日本将棋連盟正会員にしてCSA(コンピュータ将棋協会)会員――阿部健治郎七段に

(第四譜につづく)

第一譜『水匠』杉村達也の挑戦
第二譜『dlshogi』山岡忠夫の信念
第三譜『GCT』加納邦彦の自信
第四譜『プロ棋士』阿部健治郎の未来予測