かつてはJリーグでもプレーし、現在はブラジルのアトレチコ・ミネイロプレーしている元ブラジル代表FWフッキが、Jリーグを離れた時のことを振り返った。スペイン『アス』が伝えた。

フッキはサンパウロの下部組織からヴィトーリアの下部組織へと移籍。そのままファーストチームへ昇格すると、2005年7月に川崎フロンターレへと完全移籍。Jリーグでのキャリアをスタートさせる。

川崎Fでの出場機会をあまり得られず、北海道コンサドーレ札幌東京ヴェルディへとレンタル移籍を経験。札幌では公式戦41試合で26ゴール1アシスト。東京Vではその後完全移籍をはたし、公式戦56試合45ゴールと驚異の得点力を見せていた。

2008年4月に川崎Fから東京Vへと完全移籍したフッキだが、その年の7月にポルトへと完全移籍。そのポルトでは公式戦169試合に出場し77ゴール61アシストと結果を残すと、4度のリーグ優勝、3度のカップ戦優勝、そしてヨーロッパリーグ優勝を経験。2010-11シーズンは3冠達成とともに、プリメイラ・リーガでの得点王も獲得していた。

その後に加入したゼニトや上海上港(現上海上港)でも結果を残したフッキは、今シーズンから母国へと復帰し、アトレチコ・ミネイロプレーしている。

そのフッキは、自身にとってキャリアを大きく変えたポルトへの移籍についてコメント。自分を示すことができたとし、今も変わらぬ愛があると語った。

サッカー界の知名度という点では、世界中で認知され、リスペクトされている僕の名前からしても、ポルトは“入り口”だったと言えるだろう」

「僕のキャリアはヴィトーリア(ブラジル)でスタートし、日本に渡った。そして22歳でポルトに到着した。自分がプレーした中で、最も大きなステージに立っていた」

「アジアのサッカーからヨーロッパへとやってきた。あまり知られた存在ではなかったが、短期間で自分の居場所を確保し、クラブや国で尊敬されるようになり、チャンピオンズリーグプレーし、ポルトで歴史を作ることができた」

ポルトは僕の心の中にあるクラブだ。僕にとって、120年以上の歴史を持つ施設があること、クラブの歴史の中で“選ばれし11人”がいる博物館があること、そして僕が最も多くの票を得たことはとても喜ばしいことだった」

「そこには僕の銅像がある。このような評価を受けたことはとても喜ばしいことだ。アトレチコでは、このようなことをしようとしてきた。この繋がりを持ち、このような歴史を持ち、記念すべきタイトルを獲得して歴史を築くためにだ」

また、東京Vからポルトに移籍する際には、アトレティコ・マドリーからのオファーもあったと告白。スペインプレーする可能性もあった中、ポルトを選択した理由を明かした。

「2008年にポルトへと加入した時、2つのオファーがあった。ポルトアトレティコ・マドリーのどちらかを選ぶことができた。ポルトを選んだのは、2001年か2002年にポルトガルに行った時、ポルトの試合を観に行ったからだ」

UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)かチャンピオンズリーグの試合だったと思うが、スタジアムへ行ってみると超満員だった。あの素晴らしく美しいステージを見て、アルトゥールに向かって、いつかあそこプレーして歴史に名を残すんだと言った」

「オファーを受けた時、その時のことを思い出した。もちろん、僕が加入した時は、エスタディオ・ド・ドラゴンになっていた。でも、それは予定されていたことで、僕はポルトのシャツを着る機会を得た。もちろん、アトレティコ・マドリーは世界中でリスペクトされているチームだ」



チャンピオンズリーグWOWOWで独占放送&配信!
>>放送予定や無料トライアルなど詳しくはこちら

伝統の一戦クラシコWOWOWで生中継!
>>放送予定や無料トライアルなど詳しくはこちら

サムネイル画像