新型コロナウイルスパンデミックという未曾有の事態は、日本社会をどう変容させたのだろうか。長期にわたる行動制限下で社会に鬱積したもの、危機的状況下で陰謀史観にひかれる危うさとは? 新著『コロナ後の世界』を上梓した思想家・内田樹さんの特別インタビュー

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コロナ禍によって日本社会の欠点が可視化された

――コロナ後の日本社会を振り返ってみた時、一番変わってしまった点は何でしょうか。

内田 新型コロナウイルスの拡大によって日本社会のあり方が変わったというよりは、もともとから存在した日本社会の欠点が可視化されたんだと思います。すでにあちこちにひびが入っていたシステムの不備が露呈した。

 市民の相互監視もその一つです。休業要請が出ているのに開けている飲食店に嫌がらせをしたり、緊急事態宣言中に県外から来た車を傷つけたりする人たちがわらわらと登場してきた。「いまならそういう私的制裁をやっても許される」と思う人たちが暴力的にふるまうことを「世間の空気」が許してしまった。これはほんとうに危険なことだと思います。

――自粛警察による、“不謹慎な”お店や人に対するSNSでのバッシングも非常に多かったですね。

内田 この1年間、Twitterを見ていても、書き込まれる文章がどんどん攻撃的になるのが観察していて分かりました。怒っている人が多い。起きているのは未知のウイルスによる感染症アウトブレイクという自然現象なんですけれども、それを人為的な「罪」に読み換えて、「諸悪の根源」たる標的を見つけて、そこに憎悪を集中させるということを多くの人たちが当然のように行うようになった。そして、この疾病について自分と違う考え方をする人たちに対して敵意をむき出しにするようになった。感染症についてという科学的な論点なのにもかかわらず、「自分と意見が違う人間はいくら攻撃してもいい」という正当化を多くの人が行った。

 僕たちはずいぶん長い間、ふつうの市民が隣人を告発したり、社会から排除することに加担するという風景を見ていません。僕たちの親や教師たちの世代は、戦中派ですから、人間がどれくらい暴力的になったり残虐になったりできるか、戦地で実際に見て知っていました。ふだんは気のいいおじさんや内気なお兄ちゃんが、暴力をふるうことについて大義名分が立つと平然と略奪し、焼き払い、殺し、強姦するということを目の当たりにしてきた。その男たちもまた戦争が終わると、ふつうの顔に戻って、平凡な市民になった。でも、心の中には底知れない邪悪さや暴力性を抱え込んでいる。それを見てきた戦中派は「人間は怖い」ということが骨身にしみていたと思います。だから、ふつうの人たちが自分の攻撃性をリリースする口実を与えないように、法律や良識や「世間の目」や「お天道さま」がいつも見張っているという仕組みを周到に整えてきた。僕たち戦後世代は、幼い頃は、そういう仕組みをずいぶん微温的で偽善的なものだと思ってみくびっていましたけれど、それは僕たちが間違っていたと思います。

 僕自身は戦中派に比べるとはるかにスケールは小さいですけれど、学園紛争の時代に、「革命的正義を実行する」という大義名分があると、見も知らぬ他党派の学生の頭に鉄パイプを振り下ろしたり、石で人の頭を殴りつけることができる人間が想像よりはるかにたくさんいることを知りました。

自分の攻撃性や暴力性に対して鈍感な人間が一番怖い

 今回のコロナは戦争の時とも学園紛争の時とも違いますけれど、「今なら自分のふだんは抑制されている攻撃性を解放しても、大義名分が立つ」というふうに感じた人たちが出現してきたことは間違いありません。

 SNSでの差別的な書き込みとか罵倒とか、ほんとうに目を覆わんばかりですけれども、たぶん書いている人たちは「別に身体的な危害は加えてないからいいじゃないか。ただの言葉なんだから」と言い訳するつもりでしょう。でも、自分の暴力性を他者に向けてリリースすることに「寛大」な人間は、条件さえ揃えば、実際に人を殺すような人間かも知れないと思っておいた方がいい。自分の攻撃性や暴力性に対して鈍感な人間が一番怖いんです。実際に、SNSで執拗な攻撃を受けて、精神的に傷ついて、重篤な病気になる人はいるわけですから、「言葉の暴力」と「身体的暴力」の間に境界線なんかありません。地続きなんです。感染拡大の過程で、「感染抑制に協力しない人間はいくら攻撃してもいい」という空気をメディアを通じて醸成した人たちは、政治家や言論人も、人間性の暗部についてあまりに想像力が足りないと思います。

 コロナ禍による社会不安を背景に、アメリカではこの1年間で、殺人件数が前年比の30%も増加したそうです。外に出て人と会えなくなったとか、雇用を失ったとか、そういうような社会条件の変化だけで、人間は簡単に攻撃的になることができる。人間というのはそういう「危険な生き物」だということをよくよく勘定に入れて、社会制度を設計することがコロナ後の大きな課題だと思います。

――日本では、2020年度のDVの相談件数が過去最多の19万件を超え、前年比1.6倍に急増しました。虐待の疑いで警察が児童相談所に通告した子どもの数も過去最多で10万人を超えていますね。

内田 アメリカにおいては殺人の多くが家庭内で起きています。日本では、銃がアメリカのように家庭内にありませんから、その代わりにDVや虐待という形で暴力性が現れている。コロナ禍で長期間にわたり外での社会活動を制約されて、家庭内に閉じ込められてしまうと、「不快な他者との共生」が非常に心理的にはストレスフルなものになってきます。

「他者との共生」の耐え難さは、現実的には確保できる「パーソナルスペース」があるかどうかで変わります。だから、露骨に階層格差が出る。つまり、広い家に住んでいて、十分なパーソナルスペースを保証されている富裕層の家族なら「顔を合わさないで済む」。家族が家にいて、リモートワークをしていても、顔も見えない、声も聞こえないなら、別にストレスにはならない。でも、狭いリビングに家族全員が集まって、その横でディスプレイ相手に仕事をしているということになると、家族たち全員が「自己実現の妨害者」として登場してくる。家族がお互いのことを「目ざわり」だと思うようになる。

 残酷な言い方ですけれど、家の中で十分なソーシャルディスタンスが取れるなら家庭内暴力も起きにくいということです。コロナ禍で可視化されたのは、貧しい人たちが感染症に対して最も脆弱であり、それによって最も深く傷ついたということです。

政治もすべてコロナ対策が論点に

――新型コロナウイルスの第5波を受け、家庭内での療養を余儀なくされた感染者はピーク時で全国に13万人以上(9月1日時点、厚労省発表)いました。当事者もケアする側も自宅療養のストレスはただならぬものがあると思います。

内田 凱風館でも感染者が2人出ましたが、保健所も行政も何もケアしてくれませんでした。最初にPCR検査を受けて陽性が出てすぐに保健所に連絡したのですが、「然るべき医療機関での検査でないと陽性者と認定できない」と言われた。医療機関をいくつも断られた末にようやく検査を受けて、結局発熱してから保健所が「コロナ」と認定するまで5日かかりました。その間に重症化していたらと思うとぞっとします。そのあとも医療支援はなくて、ただ自宅で寝ているだけでした。だから、感染者の家に、道場の仲間たちで食べ物や飲み物を差し入れに行きました。国民皆保険制度があるのに、伝染病に罹患しても放置されている。これでは人々が怒り出すのも当然です。

――国民には緊急事態宣言を出して強い制約を課す一方でオリンピックは強行し、感染者が急増してもなんの説明責任も果たさず、医療的支援が満足に受けられない人々が大量に出ました。まるで国からDVを受けているような状況でした。

内田 政治家自身もまたふだん以上に攻撃的な言葉にさらされていると思います。どの政治家もそれぞれに関心の高い分野があります。外交なり安全保障なり財政なり教育なり、専門とする分野があり、そこで自分の能力を発揮するはずだった。ところがコロナ禍においては「感染症対策をどうする?」というシングル・イシューに政治的課題が絞られてしまった。すべての政治家、官僚たちが感染症対策の出来不出来という一点でその能力差を査定され、格付けされるということが起きたわけです。こんなことは、ふつうは起こりません。財政や安全保障や教育なら、どんな政策をとってもその成否がわかるまでにはかなりのタイムラグがあるし、解釈の違いだとか、誤差の範囲だとかいって、失政を糊塗することだってやろうと思えばできる。でも、コロナではその手が使えなかった。感染者数と死者数はリアルな数字ですから。政治家たちもこの1年半、メディアと国民からの査定的なまなざしにさらされ続けた。

警戒すべきは単一の仮想敵を攻撃する陰謀論

 こうした状況下で一番警戒すべきは、敵を見つけて一点集中する言説――「この人、この連中さえいなければすべての問題が解決する」といったタイプ陰謀論です。

――パチンコ店、ライブハウス、飲食店、路上飲みの若者たち、医師会……この1年半を振り返ってもやり玉に挙がるターゲットが次々と入れ替わっていきましたね。

内田 まさにそうで、「あいつが敵だ、諸悪の根源だ」と誰か言い出すと、何万人もの人が一斉に同調する。歴史を見れば分かる通り、こういう危機的な状況下では人々はすぐに陰謀論に飛びついて、単一の「敵」を探そうとするんです。

 本書の中で、フランス革命後、権力や財産を失った貴族や僧侶たちがフランス革命の「張本人」を探し出そうとして、「ユダヤ人の秘密結社」という陰謀論を作り出していったプロセスを論じましたが、同じことはそれから後も繰り返し、どこでも起きています。

 今の感染症による混乱は、革命や戦争の混乱に比べたらスケールは小さいですが、それでも「話を簡単にして、張本人を探し出して、そこに憎悪を集中させる」というタイプの議論は簡単に生まれてきます。十分な警戒心を持つ必要があります。

――こうした切迫した状況で一番大切なことはなんでしょうか。

内田 コロナについて話している人たちの言葉を聴いていると、多くの人がしだいに興奮して、怒声に変わってくるんですね。でも、ことは国民の生命と健康にかかわる医学上の問題です。できるだけクールダウンして、非情緒的な言葉で語るようにしないと、「これだけは確かだ」という客観的事実を共有して、その上で対策を講じるというふつうの手順さえ踏めなくなる。

 コロナウイルスはこの後も変異株が連続的に生まれると予測されています。ということは、この先も長期的にこうしたストレスフルな状況が続くということです。だとしたら、感染症が蔓延している状態を「平時」ととらえて、冷静に淡々と対処するしかありません。興奮しっぱなしでは、適切な疫学的対処ができませんから。

 感染症そのものはこちらがクールダウンしただけで収まるというものではありませんが、それでも、感染症から派生するさまざまな社会問題、とりわけ国民同士の対立確執は抑制できる。

内田樹(うちだ・たつる)

 1950年東京生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。他の著書に、『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『サル化する世界』『日本習合論』『コモンの再生』、編著に『人口減少社会の未来学』などがある。

(内田 樹/ライフスタイル出版)