(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

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 秋篠宮家の長女の眞子さま小室圭さんが、いよいよ26日に結婚される。

 午前中に婚姻届を提出して、午後には「小室眞子さん」として、2人で記者会見に臨む。

批判と祝福、真っ二つに分かれた世論

 この結婚と日程について宮内庁が正式に発表したのが、今月1日のことだった。だが、その4日前の9月27日には小室さんが米国から帰国。さらにその2日前の25日には、眞子さまが結婚によって皇室を離れられる際の一時金について、国が支給しない方向で調整を進めていることを、報道各社が関係者の話として一斉に伝えている。私の知る限りでは、9月1日に「眞子さまが婚約の内定している大学時代の同級生、小室圭さんと年内に結婚される方向で宮内庁が調整を進めていることが分かった」とする一報から、横並びのリーク報道が先行していった。SNSの発達したこの時代に、それが結果的にフラグとなって世論を熱くしていった。

 そこで起きたことは分断だった。眞子さまと小室さんの結婚について、賛否両論の声があがって、それも攻撃的に二極化していく。

 そのひとつの要因が小室さんの抱える「金銭トラブル」だ。2017年の秋の婚約会見のあとに報じられた小室さんの母親とその元婚約者との「金銭トラブル」で、結婚がここまで延期となったことは事実だ。秋篠宮さまのご意向もあってのことだろう、この件について今年4月にようやく小室さんが正式に説明する文書を公表した。そこでは相手方に「解決金」を支払って解決する意向であるとしていた。だが、その後の進展についてはまったく伝えられていない。これが解決しないままの結婚への反発だ。

 一方で、憲法で結婚は当事者同士の合意のみに基づくものと定められている。他者が当事者同士の判断を邪魔したり、妨げとなるようなことを言ったり、したりするものではない。まして母親が抱えた借金で、その子をバッシングするのはおかしい、という個人の自由と判断を尊重する主張が繰り広げられる。そこに、婚約発表から4年の歳月が過ぎての結婚に、好きな人と添い遂げたいという眞子さまの強い意思を賞讃する報道も散見するようになった。小室さんの男性版シンデレラストーリーとして好意的に評価する声もあがり、ラブロマンスとしての見立てが加わる。

 皇族の結婚における「公」と「私」に、どこで線を引くかによって、意見を異にしていく構図。SNSというアイテムが普及したこともあって、ここまで皇室についてさまざまな見解が乱舞するとは思いもよらなかった。10月に入ってからは、都内で眞子さまと小室さんの結婚に反対するデモまでもが繰り返し行われている。

 よく言えば、それだけ時代のニーズに従って多様化した、ということになる。しかし、多様性も裏を返せば、皇室の位置づけがそれだけ曖昧であることを摘示するものである。

複雑性PTSDと診断されているのに果たして国民が注視する会見に臨むことができるのか

 いまさらながらに、日本国憲法の第1条にはこうある。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」

 成人皇族には公務があるように、その一端を担うことはいうまでもない。まして眞子さまは、将来の天皇陛下の実姉にあたる。

 その皇族のあるべき姿が確固としたものであるのなら、ここまで論議も呼ばなかったはずだ。国民が発する多様な言葉、それもSNS上で飛び交うものは、そのほとんどが個人の価値観から発せられたもののはずだ。むしろ、個人の正義感が発言をより熱くさせ、それが許されると信じている。そうであれば、これだけ国民にとって皇室は無視できない存在であって、かつ「統合の象徴」としてあるべき姿が個人によって異なる、多様的で曖昧なものであったことを明らかにさせた機会はまたとなかった。

 さらにそこに加わるのが、眞子さまが「複雑性PTSD」(複雑性心的外傷後ストレス障害)と診断されたことだ。

 眞子さまは、ご結婚に関する、ご自身とご家族及びお相手とお相手のご家族に対する、誹謗中傷と感じられるできごとが、長期的に反復され、逃れることができないという体験から、「複雑性PTSD」と診断されたとして、10月1日の会見で宮内庁が明らかにしている。

 ここで判然としないのは、「誹謗中傷と感じられるできごと」がなにを指すのか、あるいはどの範疇を指すのか、わからないことにある。「感じられる」というのであるから、たとえばそれが「諫言」の類であるとしても「誹謗中傷」と感じれば、心の病の原因となっていることになる。これではまるで、眞子さまのご結婚や婚約者の小室さんに対する自由闊達な意見は、本人のお心持ち次第ですべてが「誹謗中傷」とされてもおかしくはない。

 案の定というべきか、これがあくまで批判的に書かれた記事についてでさえ、眞子さまに対する「誹謗中傷」としてSNSで攻撃する一派を生んだ。またあらたな分断の材料となった。自由な発言、批判は許さない。眞子さまを傷つけるな。これでは宮内庁が仕組んだ言論封殺にも等しい。

 複雑性PTSDについては、児童虐待の関係からも、これまでに解説してきた*1。その診断には疑問の余地も残る。刑事裁判では被告人の責任能力を問う精神鑑定が複数の意見に別れることも希ではない。たとえば、京都アニメーション放火事件の青葉真司被告には現在、2回目の精神鑑定が行われている。それだけに医師によって診断も違ってくる。眞子さまの場合でも、他の医師であれば、もっと違った分析と診断がついてもおかしくはない。その根拠となるのは、26日に予定されている会見に他ならない。果たして、複雑性PTSDと診断されている人物が、日本中が注目する会見に臨むことができるのか、首を傾げたくなる。

*1 眞子さまの複雑性PTSD公表、狙いが「批判封殺」なら逆効果に
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67184

いざ結婚が近づいてみると眞子さまが日本をひとつに

 今回のご結婚は、結納にあたる「納采の儀」や、天皇皇后両陛下に宮殿でお別れのあいさつをする「朝見の儀」など女性皇族の結婚関連儀式はすべて行われなかった。皇室を離れる際の一時金も支給されない。眞子さまの希望によるもので、戦後初めての異例の結婚となる。それどころか、前述のようにこのわずか2カ月の間に、国内を分断させる議論を呼んだ。これもまた異例のことだ。

 ところが、いざ結婚が近づいて気が付いてみると、その眞子さまが日本をひとつにしている。結婚当日の午後の記者会見で、眞子さまは何を語られるのか、小室さんは「金銭トラブル」についてきちんと説明できるのか、国民ひとりひとりの胸に期待するものは別としても、その記者会見に国民の注目をひとえに集中させる。ご自身の結婚に国民目線で日本中の視線を注がせてみせる。言い換えれば、結婚当日は眞子さまが小室さんといっしょに日本中をジャックする。分断を招いていたはずのものが、いつの間にか、そうやってひとつにまとめさせている。

 そのことに本人が気付いていないとしても、あるいは強かな計算の上に行われたものだったとしても、その天分の才には敬服させられる。そうやってご自身の結婚を国家の一大イベントに昇華させ、国民に意識をひとつにまとめ上げ、そして皇室を離れられていく。分断を招いたはずのものが、統合の象徴となっている現実。と同時に、これが新しい皇室の姿だとすれば、末恐ろしいばかりだ。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「ご結婚」の前に考える、秋篠宮家と小室家に流れるある共通項

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秋篠宮家の長女・眞子さま(写真:REX/アフロ)