もう何度目か知れない「香港の死」という言葉を、今日もまた使わねばならない。

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 10月27日、「映画検閲(改正)条例案2021」(Film Censorship [Amendment] Bill 2021)が、香港立法会で可決した。

 香港には一応、1988年に施行された「映画検閲条例」があったが、これまで「映画製作の自由」は、ほぼ全面的に保証されてきた。自由や民主をテーマにしたドキュメンタリー映画も、数多く作られてきた。それが今回の改正は、中国大陸の法律に準拠した厳しい内容となったのである。

「映画は共産党政権の宣伝物」

 例えば、以下のような文言が入っている。

<映画の内容が国家安全の利益に反していると政務司長(CS)が判断した場合、政務司長に、その映画の承認や免除の資格を取り消す権限を付与する>

<違反者には100万香港ドル(約1460万円)以下の罰金、及び3年以下の禁固刑を科す>

 中国大陸では現在、「習近平思想」(習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想)に基づいて、「映画は共産党政権の宣伝物」という発想で製作することが求められている。これは「人民解放軍とメディアは中国共産党を支える二本の剣である」と述べた毛沢東主席の思想を踏襲する考え方だ。

 共産党政権は、10月1日の国慶節(建国記念日)の7連休に合わせて、9月30日から全国の映画館に、『長津湖』を上映するよう指導した。これは朝鮮戦争1950年1953年)に参戦した中国人民志願軍が、世界最強のアメリカ軍を倒していく様を描いた戦争映画で、「共産党の正義」が描かれている。監督は、著名な陳凱歌(チェン・カイコー)だ。

共産党の指導」が実って、公開から1カ月近く経った10月27日現在で、興行収入53億4400万元(約950億円)! 日本で『鬼滅の刃』が記録した興行収入記録(403億円)の2倍以上の額を、わずか1カ月も経ずに突破してしまったのだ。

共産党政権が望む作品ばかりに

 陳凱歌監督は、1993年に香港と合作で『さらば、わが愛/覇王別姫』を製作。カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。この映画の主役も、香港人の張国栄(レスリー・チャン)である。京劇役者の激烈な同性愛を描いた映画で、私は中国・香港映画の最高傑作と思っているが、現在の共産党政権では許されないだろう。そこで「天下の陳凱歌監督」も、「共産党政権に望まれる映画」を作っているというわけだ。

 香港人で最初に世界的スターとなったのは、日本でもよく知られた李小龍(ブルース・リー 1940年1973年)である。香港の沙田地区にある香港文化博物館では、『武・芸・人生――李小龍』と題した李小龍特別展を行っている。2013年に始まった特別展だったが、あまりの人気ぶりに、期間を大幅に延長して、ついに2026年まで続けるという。

 私はコロナ禍直前の一昨年の年末に観に行ったが、600点余りの遺品や日記などが展示されており、改めて李小龍が遺した偉大な足跡に触れることができた。日本では単なる「カンフー映画の主役」と思われているが、李小龍が目指したのは、マフィアのような連中が支配していた香港映画界を、ハリウッドのように健全な娯楽産業に発展させることだった。わずか32歳で不可思議な死を遂げており、いまだに香港マフィアによる暗殺説が飛び交う。

成功を夢見る香港の若手スターが手本にする「親中派スター」ジャッキー・チェン

 香港映画界で「李小龍の後継者」と言われたのが、日本でもファンの多い成龍(ジャッキー・チェン 1954年~)である。成龍は初期の頃は、アクション映画のスターだったが、21世紀に入って中国で映画産業が発展してからは、香港を代表する「親中派スター」となった。2008年の北京五輪の親善大使を務め、来年2月に行われる北京冬季五輪の開幕式にも登場するのではと噂されている。

 成龍は、香港のスターが「親中派」になれば、中国大陸で莫大な富を築けることを証明してみせた。そのため今世紀に入って、若い香港人スターたちが、次々と「親中派スター」として、中国大陸の映画やテレビ番組で活躍するようになった。

 同時に、香港映画界に大量の中国大陸資本が入ってくるようになった。もとより750万人の香港市場と14億人の中国市場では、市場規模がケタ外れに違う。コロナ前の2019年の中国の興行収入は1兆円を超え、約1.2兆円のアメリカに迫る勢いだった。中国資本が香港で中国市場向けに映画を作れば、それは当然、「親中派映画」になる。

 そうした延長線上に、今回の映画検閲条例の改正があったというわけだ。そこには、北京の共産党政権の二つの意図が見て取れる。

 一つは、改正された条例の文面にあるように、「反中映画を作らせないこと」である。それは、昨年6月に香港国家安全維持法を制定した時からの既定路線と言えた。同法の第9条、10条で「メディアやインターネットなどでの国家安全の維持と保護」が謳われているからだ。

 だが北京当局は、香港映画界に対して、もう一つの意図も持っていると思われる。それは「親中映画を作らせること」だ。むしろ、この2点目の方を、北京当局が香港に迫ってくるのではないか。

 すでに中国では、9月9日、聶辰席・党中央宣伝部副部長兼国家広電総局長がテレビ局幹部らを集めて、「思想政治活動会議」を開催。「習近平思想で、頭脳を武装せよ!」と号令をかけ、来年1月から「習近平思想に合致した番組」を放映するよう命じた。中国の映画界も同様である。

デモ取締りのトップが香港政府のナンバー2に

 香港では今回の改正で、取り締まりの強大な権限を与えられたのが、上記のように政務司長である。政務司長は、CS(Chief Secretary for Administration)と呼ばれ、すべての司(局)を統括する、林鄭月娥行政長官に次ぐナンバー2だ。

 今年6月25日、このポストに李家超保安局長が就任した。李家超は、20歳で香港警察隊に入隊し、「テロ防止のプロ」としてキャリアを積んだ。2017年7月に保安局長に上り詰め、2019年6月から始まった香港のデモの取り締まり責任者を務めた。

 その実績を習近平政権に買われて、昨年発足した香港国家安全維持保護委員会委員に選ばれた。さらにデモ取り締まりから2年を期して、警察隊から初となるナンバー2ポストへの抜擢になったというわけだ。

 香港市民が李政務司長に付けたニックネームは、「香港のプーチン」。いま香港人が恐れているのは、「香港のプーチン」が来年7月、林鄭月娥長官に代わって第5代行政長官に就くことだ。

 香港が来年、「警察都市」に生まれ変わったら、もはやすっかり使い古された「香港の死」という言葉の代わりに、いったい何と呼べばよいだろう?

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