国民的人気ナンバー1ながら、9月の自民党総裁選では岸田文雄総理に惨敗した河野太郎自民党広報本部長。その父で元自民党総裁の河野洋平氏(84)が長年の沈黙を破って「文藝春秋」に登場。息子・太郎氏の敗因と、岸田政権への懸念を語った。

右に振れっぱなしの振り子

 まず洋平氏が岸田政権について指摘したのは、自民党の「右ぶれ」である。

河野 清和会(現在の細田派)を軸にした政権が第2次安倍晋三内閣から9年間も続いてきた。途中の民主党政権期を除くと、森喜朗内閣から麻生太郎政権を別として20年以上です。こうした経緯と総裁選後の人事を見れば、岸田さんも清和会の影響を受けざるを得ないでしょう。

 これまで、自民党総裁が交代する時は「振り子の原理」が働いたものです。ある路線が支持を失うと、党は別の路線に乗り換え、従来の路線を担ってきた人たちは一歩退く。左に行っていたら次は右へ、右へ行っていたら次は左へ戻すことで、幅も広げ、党は変わらないが、疑似的に政権が代わって、国民政党としての基盤を維持してきました。

 ところが最近は振り子が右に寄りっぱなしで、糸を吊る支点そのものがぐっと右にズレて、左どころか中央にさえ振り戻さなくなったのではないかとの懸念を持ってきました。

安倍の「羽織」を脱げるか?

 そのうえで洋平氏は、かつて中曽根康弘総理が「闇将軍」田中角栄の力を借りて総理になりながら、最終的に「脱田中」を果たした故事を引き合いに出し、岸田総理が安倍元総理の影響を脱することができるかどうかがカギだと指摘する。

河野 かつて権勢を誇った田中角栄さんの支援の下で総裁となった中曽根康弘さんは、政権発足当初、角さん側近の後藤田正晴さんを官房長官に迎えたのをはじめ、田中派を重用し、「田中曽根内閣」と揶揄されたものです。それでも中曽根さんは我慢を重ねて2年経ち、3年経った時に、とうとう「脱田中」を宣言し、角さんの羽織を脱ぎ捨てました。

 もし、岸田さんが中曽根さんのようなしたたかな政治家であれば、1年、2年をかけて安倍さんの羽織を脱ぎ捨てることができるかもしれません。その時に本来の宏池会の衣装が現れるなら、ホッとできるのですが、ずっと脱ぐことができないままなら、困ったことだと思います。

人気があれば総理になれるわけではない

 そして洋平氏は、「改革」を掲げて総裁選にチャレンジした息子・太郎氏の闘いぶりについて、「国民的人気があれば総裁になれるかというと、そんな簡単なことではない」と指摘する。

河野 やはり既得権を守りたい人は多いですから、改革派というのはなかなか難しいですよ。それを乗り越えなければ改革はできない。例えば世代交代なんて、相当なエネルギーがないとできませんよ。「世代交代だ」と声を張り上げた程度では、進まないね。

 それでも今回の総裁選は、相当な改革のエネルギーが発揮されたと思いますよ。でも選挙というのはなかなか思うようにはいかないものでしょう。

 皮相的な見方をすれば、国民的人気があれば総裁になれるかというと、そんな簡単なことではない。単純に人気だけなら田中真紀子さんが総裁になったかもしれない。橋本龍太郎さんの人気も大変高かったけれど、実際に橋本さんが総裁になったのは人気絶頂期ではなかったですよね。

 どうも自民党という党内の力学は、国民的な待望論みたいなものとは若干違うんですよね。その良し悪しは別として、そういう党なんだから、その枠組みの中でどうやれば勝てるかっていうことを考える必要はある。

「力がなかった」

 そして太郎氏の敗因をズバリこう指摘した。

河野 私にはわかりませんが、もう一つ、力がなかったということでしょう。選挙は競争ですから、相手にこちら以上の力があれば負ける。その力が「権力」の時もあるし、「金力」の時もある。それ以外に「経験力」とか、いろいろな力が作用するものです。

 もちろん、全てを持っている人はいない。だからといって、太郎自身は何も変える必要はない、ということではありません。総裁選に負けた後、党広報本部長を拝命し、毎日、日本中を歩いて回っています。今日もどこかの街角で演説をしているでしょう。そうした日々の中で、身に沁みて感じているものがあるでしょう。きっとそこから、進歩は始まっていると想像しています。

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 ほかにも太郎氏の少年時代エピソードや、父・一郎氏とソ連のフルシチョフに面会した際の秘話を明かした河野洋平元自民党総裁のインタビューは、「文藝春秋12月号(11月10日発売)に掲載されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2021年12月号)

河野洋平氏