「鬼死骸村(おにしがいむら)」は、およそ150年前まで現在の岩手県一関市に実在し、合併によって消滅した。「鬼死骸」といった強烈なネーミングも影響し、『鬼滅の刃』(集英社)ヒットとともに注目を浴びている。
【画像】鬼死骸村の風景とともに「伝奇物と相性が良い場所」とツイート。
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■ギャップがとても良かった
この地を今月6日に訪れた「かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン(@wak)」さんは、現地の様子をTwitterに投稿。
しらべぇ編集部の取材に対して「おどろおどろしい地名と、静かで穏やかな田園風景のギャップがとても良かった。おそらく民俗学や伝奇ミステリーが好きな方にはたまらない場所ではないか」と話す。
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■えみしを打ち首に
村があった一関市真柴地区の真柴市民センター小野寺所長は取材に、「平安時代にこの地域を支配していたえみしの『大武丸(おおたけまる)』がいた。えみしは朝廷にとって鬼のような存在で、大武丸を倒すまで38年かかったようだ」と話す。
結局のところ、えみしを討伐にきた坂上田村麻呂が大武丸を打ち首にした。その際に首は、宮城県大崎市鳴子温泉の鬼首(おにこうべ)まで飛んだといわれている。そのため、残った死体を埋葬し、その上に鬼石を置いた。これらのことが地名の由来だという。
■地域のヒーロー
周囲が12.8メートル、高さ1.5メートルある「鬼石」は、当時の村の中心に置かれており、小野寺所長は「大武丸は地域のヒーロー的存在だったと思われる」と話す。
この地域に存在した「舞草刀(もくさとう)」が戦いに使われたが、朝廷側が使っていた刀よりも強かったという言い伝えがあるそうだ。
■忘れ去られることを懸念
小野寺所長は「鬼死骸村の存在を地元でも知らない人が多く、また忘れ去れそうになっていることを懸念している」と話す。
そのため、伝説の地を巡るツアーを3年前から開催。先月には計3回のツアーが開かれたが、約120人が参加した。『鬼滅の刃』効果は絶大だといい、来年も同じ時期にツアーが予定されている。
■村の貴重な絵図
また、一関市博物館にはこの村の絵図が残されている。この絵図は元禄年間に仙台藩士が作成したものを、古くなったために一関藩士が作り直したものだという。
当時の人口は400人あまりで、この絵図には道、川、社寺、屋敷、田畑などが名称とともに絵画的に描かれている。また、図の周囲に村高、人数、御用林の範囲も表記。そのため、江戸時代の村の様子を知る貴重な手がかりとなっている。
■鬼死骸村の風景
「鬼死骸停留所」という、あまりにも伝奇物と相性が良い場所に来ている。 pic.twitter.com/j7WUSHw7ey
— かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン (@wak) November 6, 2021
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