佳子さまは一時金を「そんなにもらえるんですか!」眞子さんに報告された“結婚と男女交際”への意見《ダンスに打ち込み“精神的な乱れ”を…》 から続く

 秋篠宮家の長女・眞子さんが小室圭さんと渡米し、ニューヨークで新生活を始めました。「文藝春秋」編集部特別取材班による「秋篠宮家『秘録』この3年間に何が起きていたか」(「文藝春秋2021年12月号)を一部公開します。(全2回の2回目/前編から続く)

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2018年に何が起きたか

 眞子さんのことを深く知る、ある宮内庁関係者が語る。

「秋篠宮は今も結婚には納得していませんが、親子の分裂を食い止めるには結婚を認めるしかありませんでした。それほど秋篠宮ご一家の苦しみは深刻化していたのです。幸せそのものに見えたご一家の親子関係が完全にこじれたのは、今から3年前、2018年のことでした」

 今年10月1日に行われた、皇嗣職大夫の会見で、眞子さんが「複雑性PTSD」という病気であると発表され、波紋を呼んだ。会見には、眞子さんを診断したNTT東日本関東病院元精神神経科部長の秋山剛医師が同席し、

2018年から19年頃にかけ、状況を変えることが困難である、という無力感を感じる状態になられ、結婚後には平穏で幸福な生活を送りたいという願いが、不可能となってしまうとの恐怖を感じるようになられた」

 とコメントをした。

 先の宮内庁関係者は、秋山医師が下した「複雑性PTSD」という診断に首を傾げるものの、「2018年から19年頃にかけ」という時期については、「たしかに眞子さまが不調を訴えていた時期だ」と認める。

 2018年に秋篠宮家の内部では一体、何が起きていたのか。

紀子さまが思わず吐露された弱音

 前年末に小室さんの母の金銭トラブルが初めて報じられ、2月にはご結婚に関する儀式の延期が発表された。8月には小室さんが国際弁護士を目指し、米国に留学をしたことが世間に衝撃を与える。金銭トラブルが解決の兆しを見せないままでの突然の留学に、疑問の声が噴出。小室さんへの批判が高まった。

 つまり18年は二人のご結婚が完全に暗礁に乗り上げ、見通しが立たなくなった時期にあたる。

 ちょうど小室さんが留学する前後の頃、紀子さまは近しい人物に苦しい胸の内を吐露している。

「私はもう駄目かもしれない……。もうこれ以上、公務はできません」

 悠仁さまは順調に成長し、紀子さまは積極的に公務に臨むようになっていた。皇室という環境になじめず「適応障害」と診断された雅子さまとは対照的に、美智子さまを模範にして公務に励まれる姿は、時に「過剰適応」とも評されたほどだった。

 その紀子さまが思わず弱音を吐いたのは、当初は小室さんとの結婚に賛成していたのに反対に回ったことを眞子さんに責められ、自らの判断の誤りに苛まれたからだった。

 以来、紀子さまは、近しい人物に不安な心境を吐露することが増えた。涙を流しながら、止めどなく喋り続けることもあったという。

 眞子さんの結婚に、はっきりと反対意見を述べることもあった。

「お相手の方も問題のある方だから、娘は本当に馬鹿なところがあって、その辺もよく分からないので。私は非常に困っていて……」

 そんな母親に眞子さんは反発心を抱かれ、会話を交わすことはほとんどなくなった。

眞子さんは「きれいに隅々まで検査をしてほしい」

 実は同じ夏頃に眞子さんの身にも異変が起こっていた。

 この年の7月、眞子さんは日本人移住110周年を迎えるブラジルへの訪問が予定されていた。それに備えて、直前には宮内庁病院で検査を受けている。その際、体の不調を訴えられ、「きれいに隅々まで検査をしてほしい」というのが本人の希望だった。ただ結果的に身体的な異常はどこにも見つからなかった。

眞子さんの本当の悩み

 この時、眞子さんは精神面での不調も訴えられている。ある近しい人物に、「食欲がなくて、いつもと違う感じがする」と相談を持ち掛けた。その人物は、「これだけご結婚のことが批判的に報じられていて、影響を受けない人なんて、この世の中には誰もいませんよ」と言って励ました。

 眞子さんは「もちろんそれもありますが……」と一度は納得の表情を浮かべたものの、すぐさま堰を切ったように、自身の本当の悩みを打ち明けたのだった。

「『夕食時など家族で団欒をしている際に、自由に話ができないことが苦しい』とおっしゃいました。秋篠宮さまは家長としてのお立場上、眞子さまに話しかけづらい。一方、紀子さまは結婚には絶対反対なので、眞子さまのほうが会話をしたくないわけです。妹の佳子さまは、お姉さまの味方なので、眞子さまに同調して両親と話そうとはしなかったそうです。

 眞子さまがいちばん懸念していたのは、悠仁さまへの影響でした。自分たちのギクシャクした関係が悠仁さまに伝わってしまう。それがまだ小学生だった弟の心に、どれほど深刻な影響を与えてしまうか、考えただけでもつらい、と。だから自分を偽って、紀子さまとはまるで仲が良いかのように振舞っている、そうおっしゃっていました」(同前)

仁さまに起きた夕食時の異変

 秋篠宮邸では、ご家族一人一人の好みに合わせて、料理の温度を微妙に調節するのが決まりだった。

 そばのキッチンで職員が料理を温め直していると、まだ小学生だった眞子さんが駆け寄り、「今日の晩ごはんは、何ですか?」と無邪気に尋ねる。そんな姉の陰に隠れて、後ろから控え目にのぞき込むのが妹の佳子さまだった。秋篠宮はソファに腰かけギターをつま弾きながら、料理がテーブルに配膳されるのを待っていた。

 しかし、2018年の段階ではそのような光景はすっかりなくなり、食卓は重々しい沈黙に包まれていた。眞子さんの懸念した通り、悠仁さまは、そんな家庭の異変を敏感に感じ取っていた。

 ある日の夕食でのこと。紀子さまは、悠仁さまが料理を食べ残しているのに気づき、

「今は成長する時期なのだから、出された食事はちゃんと全部食べなきゃ駄目よ」

 と叱った。悠仁さまは気が進まないようすだったが、残さず食べ切ったという。だが、母親が席を外していなくなると、食べたものを吐いてしまった。

 そばで一部始終を見ていた眞子さんは衝撃を受け、介抱しながら、「どうしたの? 大丈夫?」と声をかけた。悠仁さまは「ちょっと調子が悪いだけだよ」と答えたという。

 眞子さんはこの時、自分のことがきっかけで起きた家族の不和が幼い弟の心を蝕んでいる、と思ったようだ。いつも家族に気を配ってきた「しっかり者」の眞子さんにとっては、つらく苦しい出来事だった。

「しかし、眞子さまは、非常に芯の強い方です。当時は小室さんがどんなにマスコミに騒がれようとも、『彼は何も間違ったことはしていない。個人の人権が尊重される時代にあって、なぜ、ここまで寄ってたかって批判されなければならないのか』と心底疑問に思われていた。ですから、思い悩まれる家族を心配しながら、それでも結婚を諦めるという発想は眞子さまの中になかったはずです」(同前)

「目」の字を怖がるといけない

 眞子さんの「眞」の字は、正式には「目」の字が下の部分に付いた特殊な字であることはあまり知られていない。

「秋篠宮さまが名前を下賜される際、娘が将来、自分の名前の『目』の字を見て怖がるといけないから下に付けてくれと言ってきた。自分は何でもできるという秋篠宮さまの性格が現れていると思いました」

 とある学習院関係者は語った。

 現に宮内庁のホームページの「ご略歴」を見ると、作字したせいなのか「眞」の字だけが異様に大きく膨れ上がって表示されていることが確認できる。

篠宮さまのこだわりや頑なさ

 候補となった御名前の調査に協力した元宮内庁書陵部編修課長の米田雄介氏が当時を振り返る。

「秋篠宮さまが言われる『眞』の字は特殊だったので、作字にするか世間にならった通常漢字に変えるかで議論になった覚えがあります。

 官報に載せて公表する必要があるので、最終的には当時の大蔵省印刷局に『どうしたものか』と相談しに行きました。そうしたら担当者が官報でも『眞』の特殊な文字を使用できると教えてくれて、ホッと安心したんです。ただ、当時の秋篠宮さまの漢字へのこだわりや頑なさは不思議に感じました」

眞子さんにも受け継がれた秋篠宮さまの性格

 秋篠宮の長年の友人がこう語る。

「一度決めたことを絶対に譲らなかったり、皇族として前例破りの行動であっても敢えてやってみせたりするところは、秋篠宮さまと眞子さまは親子でうり二つです。秋篠宮さま自身も、紀子さまとの結婚を決められた際には、『昭和天皇の喪中なのに』とか、『兄の浩宮よりも先にするなんて』などと世間からのバッシングがありましたが、本人の意思は揺るがなかった。

 学生時代には自ら、『自然文化研究会』という新しいサークルを作って旅行に出かけたり、自分の興味がある生物学を学ぶために他大学の教授を招いて講義を聞いたり、一緒に飲み会を開いたりしていた。前例にとらわれず、自分の思うがまま、自由に振舞うことがお好きなのです。今回の一連の騒動を見ながら、そういった面が眞子さまにもしっかり引き継がれていると思いました」

秋篠宮家『秘録』この3年間に何が起きていたか」の全文は、「文藝春秋2021年12月号と「文藝春秋digital」に掲載されています。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2021年12月号)

3月23日、「講書始の儀」のため皇居に入られる眞子さま(当時)と佳子さま ©時事通信社