中学校から帰る途中で横田めぐみさん(当時13歳)が北朝鮮に拉致されてから44年、北朝鮮の国家権力が拉致したことが明らかになってからもすでに33年が過ぎた。

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 政府認定の拉致被害者は十数人であったが、2002年に政府が掌握していなかった人を含め5人が帰国しただけで、その後は進展が見られない。

 被害者を救出する民間団体と警察の調べでは、800人前後の日本人が現場状況などからみて北朝鮮に拉致されているとされる。

 両親は子供を取り戻すために仕事を奪われ、日々悩んで過ごさなければならない状況である。拉致被害者を抱えた家族は政府や国民に呼びかけるだけで、どうすることもできない。

 時間だけが過ぎて高齢となり、息子や娘を見ることなく亡くなっている。

7人の首相にお願いしてきた

「これまで7人の首相にお願いしてきた」

 この言葉は横田早紀江さんが72歳の時、すなわち今から13年前に拉致被害者家族として当時の麻生太郎首相に面会したときに語った言葉の上の句である。

 下の句が「とにかく結果が出ない。願わくば麻生さんの代できちっとやっていただきたい」と続いた。

 長い間耐えてきた苦しさと悲しさの吐露であり、さらには政治に対する失望であったかもしれない。

 7人というと、逆順に麻生、福田康夫安倍晋三小泉純一郎森喜朗小渕恵三橋本龍太郎の各首相となる。

 橋本内閣の1996年9月、石高健次氏が元北朝鮮工作員を取材して『金正日の拉致指令』を出版し、日本人拉致が明らかになる。

 翌97年になると、西村眞悟議員が拉致に関する質問主意書を政府に出し、また国会で横田めぐみさんらの実名を挙げた質疑を行い、拉致問題が大きくクローズアップされた。

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)もこの年に結成され、横田さん夫妻が中心となって動き、政府にも働きかけてきたというわけである。

 こうした中で民主党政権が誕生する。

 鳩山由紀夫首相は無関心の体であったが、中井洽(ヒロシ)国家公安委員長民主党拉致問題対策本部長でもあったことから、就任会見では「対話と圧力」では生温い、「圧力と圧力」だとし、自民党政権より踏み出すかと思われた。

 次に首相となった菅直人氏は韓国で刑に服していた辛光洙(シン・ガンス)の釈放に署名していたが、辛は帰国した地村夫妻、曽我さん、めぐみさんの拉致実行犯であり、菅氏が動くはずもなかった。

 野田佳彦首相のときには朝鮮総連中央本部ビル売却問題があり、売却阻止したい総連トップが拉致問題を絡ませてきたことから、首相は「解決するならいつでも北朝鮮に行く」と直接交渉への意欲を示すだけに終わった。

言い古される「私の手で解決する」

 そして期待されたのが再登板の安倍首相であった。

 小泉政権の官房副長官として被害者5人の帰国に尽力した関係から、「私の手で解決する」「私の内閣で取り戻す」の言葉は、高齢化する家族会には心強く聞こえたに違いない。

 安倍首相はしばしば拉致被害家族とも面談し、また歴代の米国大統領にも働きかけて協力を依頼した。

 特にドナルド・トランプ大統領(当時)は国連演説の中で「日本の13歳の少女が自国の海岸から誘拐された」とさえ言及し、北朝鮮による日本人拉致を批判した。

拉致問題は最重要課題」「自分の内閣で解決する」という言葉が、民主党政権時代は別にして、安倍第1次内閣以来の首相就任時の合言葉にさえなり菅義偉首相を経て岸田文雄首相と続いている。

 首相の発言を被害者家族はどう聞いているだろうか。

 ここ15年間、「有言不実行」に終わり、歴代の首相は黙って去っていったことを思うと、いたたまれない。言葉がバトンタッチされているだけで、実行が伴っていないからだ。

 国民には取り戻しが実現していない現実しか見えないが、家族会には首相在任間の行動(努力)が何らかの形で伝えられ、我慢してくれとでも言い含められているのだろうか。

 被害家族がさほど激高して政府を詰ることもないように思えるのは、そうした含みからか、あるいはもはや政府に何を頼んでもだめだという諦めの境地からであろうか。

「拉致の非人道性」を訴えてきた効果

 他国に侵入して、将来のある人間を家族と引き離して連れ去り、自由や希望を奪うという、人道に悖り、人権を蹂躙する行為は、断じて許されない。

 その国家はいかなる仕打ちを受けようとも甘受する以外にない。

 穏便な交渉を基本とすることは重要であるが、日本以外の国が拉致被害者を取り戻している背景には軍事力がちらついている。

 人道上許されない行為であるが、北朝鮮は言を左右していっこうに返そうとしない。北朝鮮との話し合いの機会は何度かあり、日本が譲歩しても状況は進展しなかった。

 軍事力を持たない日本は、政治的・経済的な圧力、加えて外交を駆使しながら奪還する努力をやってきたが成果は上がらなかった。精々「対話と圧力」から「圧力と対話」にするくらいでしかできない。

 新たな発想が求められている。

 これまで、北朝鮮との直接交渉のほかに、国連の場や外交関係のある国々に拉致の現状を話し、協力を要請してきた。

「理解する」「認識を同じくする」「協力する」などと言われても、対処となると当然ながら異なってくる。理解し協力してくれるが、圧力まではなかなか行かない。

 米国は自国人が一人でも拉致されたことが分かると、硬軟両様の行動で対処する。

 軍事力、もっと明言すれば核兵器さえちらつかせながら交渉し、最後は相手国に高官が乗り込んで連れ帰る。

 経済的な圧力には限界があり、最終的には軍事力がものをいうという現実である。

 正しく国家が人命・人権を保障している姿を可視化してくれ、国家に対する信頼も向上する。

 日本人拉致問題でも、トランプ大統領が拉致家族とも面会し、国連の場で「日本の13歳の少女が…」と訴えてくれたのが関の山である。

家族会はもはや「信長の心境」では?

 北朝鮮が2度、3度テーブルにつく期待はあったが、すべて裏切られた。

 日本の場合、軍事力を有しないので最大限の圧力は経済的なものとなるのであろうが、やはり限定的である。

 家族会が発足した当時は関係者の多くが40~50歳代で若く、政府の平和的交渉に期待し、家康の「鳴くまで待とうホトトギス」の心境でもよかった。

 その後、5人が帰国した2002年頃は、もう少し我慢すれば全面解決が・・・という期待も持てた。

「圧力と対話」へ手法が代わり、いわば秀吉の「鳴かせて見せよう」となっても、耐えて待とうという気に変わりはなかった。

 しかし、それからも間もなく20年が過ぎようとしている。両親のほとんどが90歳前後で、亡くなる人も増えており、残された時間は少ない。

 娘を、息子を、兄弟・姉妹をこの目で見たい、会いたいと思う心境は想像する以外にないが、もはや信長の「鳴かぬなら、殺してしまえ」ではないだろうか。

 すなわち首謀者の「拘束・殺害計画」である。

 軍事力を持ち、相手国に潜入できる特殊部隊も有する国では、こうした行動が有力な選択肢となる。

 米国は、この手を喧伝しながら、外交交渉に弾みをつける。日本にはそうした組織はない。

 しかし、従来の方法に新しい発想を追加することはできよう。

 カネはかかるだろうが、潜入能力を有する個人などを雇い入れ、周辺に放つことはできる。

 そして、喧伝で怯えさせ、被害者の解放以外にない解決の方法はない状況に染め上げることである。

 こうした策を練り実行を行えるのは米英・イスラエル、さらにはドイツなどの高度な組織を持っている国の、現在は政府組織に関係しない個人しかいない。

「人命は地球より重い」と考える日本人にとって、ひと一人がいなくなるということは、大変な問題である。

 日本はいくら経費をかけてもいいから、そうした複数の国と接触して策謀しなければならない。

 拘束・殺害の情報は必ず当人に伝わり、精神的に追い詰められ、側近さえも信じられない状況になるに違いない。

 計画も期日を含めた調整のすべては秘中の秘であるが、噂だけが流れ、伝わる。

 そして、被害者の解放が遅れれば遅れるほどトーンが上がるなどして、包囲網が狭められていることを相手に悟らせる。

 国家を挙げての宣伝戦・心理戦である。

おわりに:問いかけられる「国家とは」

 拉致問題では、国家とは何かが問われている。

 国家とは、国民がいて、国民の生活する領域があり、その領域には主権が保証されるというものである。

 領域や主権を守るために、国民の意志を反映した政治を行う統治機構があり、対外的に軍隊が存在して国防の任に当たる。

 残念ながら、今の日本には国家意思を反映する政治が部分的に機能していない。その結果、国防の任が果たせない状況に陥っている。

 国防には軍隊という組織が必要であり、軍隊は防御力と反撃力との双方を有して初めて、自己完結的に機能する。

 しかし、米国の占領を受けた日本では、軍隊が廃止され、その任を在日米軍が果たした。

 朝鮮戦争在日米軍が半島に出兵したため、米国は治安を維持する目的の警察予備隊の創設を命ずる。

 その後、日本が民主主義国家として発展すると、国土防衛の任を加味する保安隊、次いで自衛隊となるが、日本は盾の役割を分担し、日本に不足する矛は米国が分担することにした。

 世にいう「専守防衛」で、今日に至っている。

 しかし、中国の台頭もあり、世界の警察官を自認してきた米国の軍事力の相対的弱体化が顕在化し、米国自身が「自国は自国で守る」ように呼びかけ始めた。

 ましてや、世界の2位(現在は3位)のGDP(国内総生産)を有してきた日本が軍事力を米国に依存する片務性を厳しく糾弾したのはトランプ大統領であった。

 この機を奇貨として、日本は軍事力の最小限の「自己完結性」を追求すべきである。その能力が発揮されて初めて、日米同盟も機能することを肝に銘じなければならない。

 具体的には、尖閣諸島の防衛は日本の責務であり、尽力してこそ米国の協力・支援が期待できることは、福島原発事故における放射能対策で退散しつつあった米軍を引き留めたのは自衛隊の現場上空におけるヘリコプターによる散水であった。

 平時においてかくのごとしであり、有事においておやである。

 ましてや、拉致被害者を米国などのように軍事力を背景に取り戻す力は有していない。新たな発想での解決策を模索する以外にない。

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日本に帰国した拉致被害者(2002年10月15日、撮影:ロイター/アフロ)