韓国のサバイバルテレビシリーズイカゲーム」が大人気です。その人気は日本にとどまらず、世界90カ国で視聴回数が1位となり、ネットフリックス史上最大のヒット作とも言われています。

ところが、ネットSNS上では、イカゲームは日本の漫画、ドラマなどの良いところを模倣したパクリ作品だという声もあがっています。今回はこの問題を取り上げます。

「パクリ」はたまた「劣等感の裏返し」という泥仕合

パクリ元としてヤリ玉にあがっているのは、まず「賭博黙示録カイジ」。中学生の殺し合いというストーリーでは「バトル・ロワイアル」。

高校生のデスケームをテーマとした「神様の言うとおりに」との類似性や、さらにハリウッドサバイバルゲーム映画「ハンガー・ゲーム」の要素もミックスされているという声もあるようです。

このような意見が、最終的には「BTSなどのK-POPJ-POPパクリだし、韓国は日本のエンタメをパクッているだけ」という声にもつながっているようです。

もちろん、日本のネット民の憤りは韓国にも伝わっていて、韓国・誠信女子大のソ・ギョンドク教授はイカゲームに対する、このような日本の反応を、“劣等感の裏返し"と解釈できるとコメントしています。

なんだか、もはや泥仕合のようですね。

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もともと「パクリ」といえば日本が本家!?

あくまで個人的な嗜好ですが、泥試合は決してキライではなく、さらに火に油を注ぐような記事をノンフィクションライターの窪田順生氏が書いています。

それは、“我々日本人にも「模倣民族」の過去という暗黒史がある"ということです。氏によれば、つい数十年前まで、日本のあらゆる産業・業界でパクリが横行していたとのこと。

記事から引用します。

自動車も家電も海外メーカーのものを忠実に模倣した。年配の方ならばご記憶にあると思うが、松下電器も “マネシタ電器"なんて馬鹿にされた。今、我々は中国や韓国の偽ブランド品やパクリ商品を見て、“いやあ、民度が低いですなあ"とあきれているが、当時はそれと全く同じように、欧米からあきれられていたのだ」。

小気味よいまでの切れ味の文章ですが、たしかに一面の真実ですよね。

さきほどの、韓国の大学教授の“劣等感の裏返し"というコメントも、超裏読みすれば「オマエらさぁ、もうロクにパクリもできないじゃん」とも読めます。微妙な日韓関係ですから、これ以上書きませんが。

これに対する現在の日本人の標準的な反論は、「当時はパクリもやったかもしれないが、今や日本は世界の誰も真似できない、独自の技術、独自の文化を生み出している」だと思います。

これが果たして正しいのか、素晴らしいことなのかを、次から検証してみます。

模倣と創造の関係

イカゲームが本当にパクリかどうかはさておき、日本ではいわゆる“パクリ認定"の風潮がどんどん激しくなっているようです。その原因として「模倣民族の暗黒史説」も個人的には一理あると思うのですが、やはり、これは日本ではスタンダードではないでしょう。

「時代が違う! いまは知的財産を守る厳格なルールがある」。これが標準的な意見だと思います。

しかし、多くの人々が絶賛する発明でも、細かく検証すれば既存の技術の組み合わせであるという例は存在します。特許技術の基本的な考え方も、既知の技術の組み合わせが特許の対象に絶対にならないということはありません。

その技術のもたらす便益が既知技術の合算ではダメですが、合算以上の新規性や進歩性があれば特許の対象になる場合もあります。

日本人は決して単なる模倣民族ではないと思う。吸収消化する民族である」。これは、松下幸之助の1965年の言葉です。“模倣民族ではない"というあたりに、やはりコンプレックスを感じてしまいますが、吸収消化の先に模倣を超えた創造があるのは事実です。

もちろん日本人の模倣が、すべてその高みに到達していたとは考えませんが、少なくない成功事例はあると思います。

模倣も素晴らしいじゃないですか。どこが悪いのでしょうか。

模倣を忘れてしまった悲しい日本人

「いや、現在のイノベーションの本質を理解していない」というご指摘もあるかもしれません。たしかに現在のイノベーションは、既知技術の組み合わせよりも、未知の“気づき"を根幹とするものが増えています。しかし、組み合わせ系が完全に否定されたわけではない。

ここで話は現在の政治の話に飛びます。いま一つよく分からない「新しい日本型資本主義」。

先日、BSニュース番組に出演していた山際経済再生担当大臣が「分配と成長の好循環」のキモは“イノベーション"だと力説していました。グリーンデジタルという成長産業を、国をあげて応援していくそうです。

正直、ガッカリしました。そんなことは、どこの国もすでにやっています。全然、新しくない。しかし、ここでのガッカリの正体は新しくないことではなく、“新しくない"ことを平気で“新しい"と言う、その「性根」です。

そんな性根では、模倣もできないのではないか。パクリや模倣という言葉に問題があるなら、“キャッチアップ"とかの言い方もあると思います。“物は言い様"ですから。

そして、この新しくもないことを新しいと言うことと、いまの日本人の過剰なまでのパクリ認定が、どこかで相通じている気がするのです。

なぜ、日本人が最大の得意技とする模倣を自ら否定するのか。これがどうしても理解できません。

一番、悲観的な仮説は「その模倣力も、もはや衰えてしまったから」でしょうか。だとすれば、かなり絶望的な気も、ちょっとしますね。

参考資料

「イカゲームはパクリだ!」と騒ぐ日本人が隠したい、模倣民族の過去ダイヤモンドオンライン 2021年11月11日