(藤原 修平:在韓ジャーナリスト

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 爽快な一冊と言うほかはない。『帰属財産研究』(李大根著、文藝春秋2021年10月発行)は、それまで視界を遮っていた濃霧がすっかり消えたような読後感だった。

 終戦により朝鮮半島から引き揚げた日本人が現地に残した莫大な「帰属財産」は、その後、十分に生かされなかった。これまで誰も語ろうとしなかったその真実を、沈着冷静に剣を振り下ろすかのような鋭利な分析力で明快に解き明かしている。

 韓国で暮らしているとそんなことは小耳にも挟まない。それどころか、「私たちは解放後、本当に貧しかった」という話が、神話のように延々と語り継がれ、だから日本支配が悪かったんだ、と言うのだ。

潤沢だったはずの日本資産

 著者の歴史学者、李大根(イ・デグン)が本書に取り掛かろうとしたのは、韓国戦後史のこうした固定観念に対して疑問を抱いたからだ。まずこの著書では、日本の台湾・朝鮮統治の特殊性が指摘される。

 西洋列強の植民地支配と大きく異なるのは、日本はこれらの地域のインフラを整備して産業化を極めて積極的に進めた点だ。資料を見てみると、戦後に引き上げていった日本人は財産をすべて処分したわけではない。それどころか朝鮮半島の各地には、日本が統治時代に築き上げた近代的な建造物やインフラに満ち溢れていたはずなのだ。

 監訳者の黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員)もまえがきで触れているが、1951年から14年もかかった日韓国交正常化交渉のなかで、そうした資産をめぐる「日本側の請求権」が問題になっていた。日本資産はそれほど膨大な額に及ぶ。

 本書はまず、解放直後どころか1960年代に入るまでの韓国は、日本統治時代からの「高度な工業化と経済発展」の延長線上にいたと指摘する。そしてそれをあえて無視した「世界最貧国」という、韓国が自国に対して抱き続ける固定観念こそ、そうした事実への「全面的な無知の所産であり、言語道断」だと切り捨てる。

 では、潤沢だったはずの日本の資産は、いったいどのような扱いをされたのか。

 解放後、まずはアメリカの軍政がすべて接収して、一部小規模のものを韓国の民間人に払い下げるなどしたのち、残る大部分を1948年に成立した大韓民国政府が譲り受けた。だが米軍政にしても韓国政府にしても、膨大な帰属財産の管理が実に杜撰であった。そのため活用が不十分で、その状態が朴正煕政権の成立時点まで継続する。本書の読みどころは、その全容が数々の資料をもとに暴き出されていく点である。

韓国政府の「でたらめ」な管理体制

 詳細はご一読を乞うのだが、米軍政の場合は「米国式の理想主義に偏りすぎて韓国の実情に合わない非現実的な政策を追求したり、確固たる原則や一貫した方針もなく」管理していた。

 これは大韓民国初代大統領の李承晩(イ・スンマン)の姿勢と重なっている。李承晩は「米国式の自由企業主義に対する確固たる信念を持っていた」うえに、帰属財産の譲渡を受けた際に、アメリカと「帰属財産の引き受けと管理を行う別途の機構を設置することで合意」したのにそれを履行しなかったのだ。

 もちろん、アメリカは痺れを切らして韓国側に抗議する。だがその後も、「でたらめ」で、いわばだらだらとした管理体制が続いていく。

 帰属財産を効果的に活用したのが、日本式の経済構造を積極的に取り入れた朴正煕パク・チョンヒ)政権であった。だがそれ以前の韓国政府は、自分の政治的イデオロギーに侵されて、本来活かせるはずの産業資産を、活かすことができなかった。それが成立直後から60年代初頭までの韓国政府の失態であったのだ。

 ここで紹介したのは、ごく一部でしかない。本書を紐解けば、米軍政が帰属財産の扱いでいかに手をこまねいたか、そして、引き継いだ韓国政府がそれをいかに蔑む資材として見ていたか、そのうえ、それを取り巻く韓国社会がいかに利己的で自分たちの利益に固執していたか、が手に取るようにわかってくる。

「開港前の未開社会」に戻りかねない

 そしてもうひとつの醍醐味を最後に挙げておくと、元々は2015年に韓国で発行された本書は、まるで大統領選挙を控えた今現在の韓国を物語っているようにも思えるのだ。日本との関係改善を政策の前面に押し出す尹錫悦(ユン・ソギョル)氏と、日本統治時代の痕跡を全て消し去ろうとする李在明(イ・ジェミョン)氏。

 李氏は、日本統治時代に入ってきた日本語由来の韓国語を別の言葉に代えようと躍起になっている。先日も「産婦人科」という名称は「日帝の残滓」であるから「女性健康医学科」に健康すべきだと発言している。

 国境を越えた関係を築くべきグローバル時代において、まったく逆行する話だ。そういえば、最近は法律用語を変えようという動きもあると聞いている。

 これを予言するかのように、本書の最終章の最後には、次の言葉が置かれている。

〈ひと言でいって「言語民族主義」の極致である。専門的な学術用語は言うまでもなく、法律、行政、経営、技術などの分野での専門用語が日本式表現であるからといって「使用不可」のレッテルを貼ったとすれば、結果はどうなるであろうか。恐らく韓国は、再び1876年の開港前の未開社会に戻るであろう。〉

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「中華」に対する屈従と日本に対する病的な「反日」の共通点

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