「吉原のソープランドも辞めた」薬物乱用、度重なる整形、入れ墨、過食…“依存症子”が30歳で堕ちた「ドン底」 から続く

 あらゆる依存症に苦しんだ「依存症子」こと、湯浅静香さん(42)。現在は「私のクソみたいな人生を明らかにすることで、今同じような悩みを持つ人やその家族の力になれるかもしれない」と、これまでの半生をブログなどで公開している。

 幼少期から虐待を受け、思春期の頃になると当然なことのように違法薬物やギャンブル、売春に手を染めた(#1)。

 20代前半の頃には、大宮・南銀のキャバクラで人気ナンバー1になるなど、華々しい生活を送っていたが、度重なる向精神薬睡眠薬オーバードーズで言動がおかしくなり、30歳を超えると客がどんどん離れていった。吉原のソープランドでも同僚との約束をすっぽかすなど、周囲の信用を無くしていった。

 しかし、31歳の頃に運よく「ごく普通の男性」と結婚することになる。夫はある士業の「普通の人」で金銭的にも余裕があり、暴力をふるうこともない。転落し続けていた人生が好転するかに思えたが、逆に湯浅さんの転落は加速していった。(#2

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万引き依存”の精神疾患「クレプトマニア」に

「結婚生活がめちゃくちゃつまらなかったんです。仕事をしなくてもお金はあるし、恵まれているはずなのにね。でもそれまではキャバクラソープでチヤホヤされてきたので……。結婚してからが一番薬に依存したんじゃないですかね。日々の暮らしに刺激がないから」 

 湯浅さんは刺激のない日々に鬱屈し、33歳で高校生以来の万引きをした。

ユニクロで商品をバッグいっぱいに入れて、そのまま店を出るんです。すぐに車に乗って帰って『今日も捕まらずに帰ってこれた』とスリルを楽しんでいました。旦那もいて、なんでも買えるのに、盗むことのスリルにはまっていたんです。盗むために、朝早起きをしたりもしていましたよ。いわゆる『クレプトマニア』ですよね」

止められない万引きの末“警察沙汰”に発展

 クレプトマニアとは、物欲による窃盗ではなく、反復的に万引きを繰り返してしまう精神疾患だ。摂食障害やアルコール依存などと併発も多い。湯浅さんのケースでは、薬物のオーバードーズによる情緒不安定な中、結婚生活への不満などが相まって発症したようだ。

「初めて捕まったのは、34歳の誕生日を目前に控えている時期でした。洋服屋の店員さんに見つかりました。警察も来たけど、店側が被害届を出さずに、商品代を払って帰らせてもらいました。2度目にバレたのは翌年の夏、ショッピングモールの警備員に捕まって大宮警察署に行きました。罰金刑となり、夫が50万円を支払いました」

 そして罰金刑となった2度目の万引き事件からわずか数ヶ月、またしてもショッピングモールでの窃盗が露見する。

「また同じショッピングモールで捕まりました。薬の影響かわからないけど、自分がどこで何をしたのか、本当に覚えていることができなかったんです。大宮警察署の同じ刑事が担当になり、かなり怒られました」

 そこで簡易精神鑑定を受け、湯浅さんは初めて自分の万引きが依存症なのだと知った。

「『窃盗も覚醒剤向精神薬も整形や入れ墨が止まらないのも、依存症という病気だよ』と言われたとき、初めて『自分は病気なんだ』『病気なんだから直るのかもしれない』って安心したような気持ちになったんです。もしかしたら自分はダメ人間じゃないのかもしれない、って。3度目は裁判の結果、執行猶予2年のついた懲役1年半でした」

 しかし病気だと分かったところで、依存症の類は一朝一夕には改善しない。湯浅さんは治療を望んでいたが、どこへ相談すればいいかわからず、執行猶予期間中にまたしても万引きをしてしまった。

「私はこれまでドクターショッピングで向精神薬睡眠薬を乱用していたので、『病院=薬』のイメージから夫にも病院へ行かせてもらえなかったんです。執行猶予2年の判決が出てからもほぼ毎日万引きをしていて、2週間くらいでまた捕まりました。その時に盗んだのは洋服です。前回の分も合わせて、懲役2年半の実刑判決になりました」

懲役2年半の実刑で見えた「一筋の光」

 ついに受刑者となってしまった湯浅さんは、立川拘置所へ収監された。「落ちるところまで落ちた」と絶望したという。しかしこの懲役によって、湯浅さんの人生に一筋の光が差す。

「薬物を乱用していたときは、『こうしたらこうなる』という普通の思考ができないんです。車を運転していて横断歩道を人が渡っていたら、停止しないとひいちゃうと分かりますよね。でも薬の影響ですぐ先の単純なことすらわからない。それが、薬が抜けて分かるようになったんです。後は、夜に眠れるようになったのも精神状態にはとてもよかったですね。自分では分かりませんでしたが、オーバードーズ特有の舌っ足らずな喋り方も直ったようです。20年ぶりに、そんな普通の状態を取り戻すことができたんです」

 湯浅さんは拘置所で強制的に薬物や万引きができる環境から引き離され、徐々に冷静さを取り戻していった。そこで耳に入ってきたのが、拘置所での「講話」だ。

拘置所では、小松政夫さんやビートきよしさんの講話が流されていました。でもここまで落ちているのに成功者の話なんか聞いても、まったく染みてこなかった。『ここから這い上がる方法を教えてくれ』って感じになっちゃうんです。

心に沁みた“ヤクザ牧師”の講話

 でもここで、進藤龍也牧師の講話が流れてきたんですね。進藤牧師も、かつては私と同様に辛抱できない人間だったことに激しく共感しました。模範囚でいることの価値などを説く内容でしたが、他の人の話と異なり、とても身に沁みました」

 進藤牧師は「文春オンライン」でも取り上げた、元ヤクザの牧師だ。主に元ヤクザや受刑者といった人に対する「刑務所伝道」に力を入れている。

「だって、元ヤクザなのに、刑務所で講話が流れるくらい法務省に認められているってことですよ。私はクリスチャンではありませんが、そんな経歴を持つ進藤さんに感銘を受けました。『私も出所したら、人のために役立てるような人間になりたい』と思ったんです」

 そして4年前の10月末、38歳のときに出所した。

「絶対に薬物の過剰摂取やギャンブルには手を出さない」

 湯浅さんはそう固く誓い、第二の人生に向けてさまざまなことを考えていた。そこへ、1通の手紙が届いた。送り主は大宮の役所だった。

「母が癌で余命宣告されていること。そして会ってみないか、という内容でした」

母親の余命宣告「虐待され、DVし…共依存関係だった」

 実は、波乱に満ちた日々のなか、湯浅さんは母親とずっと一緒に暮らしていたのだという。#1で明かしているように、湯浅さんは母親から幼少期に虐待やネグレクトを受けているが、どういう関係だったのだろうか。

「今思うと、母とは『共依存関係』でした。険悪な仲がずっと続いていましたが、離れることができなかった。実家にいるときはもちろんですが、私が21歳のときに父が亡くなって以降、ずっと一緒に暮らしてきたんです。彼氏と同棲していたときもそうですし、結婚してからも旦那が買ったマンションに3人で住んでいました」

 しかし、湯浅さんが万引きで逮捕される直前、その依存関係に深刻なヒビが入り始める。

「この頃は荒れに荒れてしまい、母にかなり激しく暴力を振るうようになってしまったんです。首根っこを掴んで引きずり回したり、叩いたり蹴ったりしてしまいました。幼少期の虐待された記憶が蘇り、『お前がろくな教育をしなかったせいだ!』と責任転嫁し罵倒していた。今思えば、人工透析をしていた母によくこんなことができたなと思います」

 湯浅さんが逮捕されると、母親は「このままじゃあの子に殺される」と言って、同居していたマンションを出て行ったのだという。湯浅さんは「こんな人生を送っているのは母がしっかり育ててくれなかったから」という考えを拭うことはできなかったが、一方で母親と向き合って話したい気持ちもあった。

1人で亡くなった母親「母も虐待を受けて育った」

「悩みましたが、会ってしっかりと話そうと思いました。でも会う予定だった数日前に、また役所から電話がかかってきました。母が亡くなってしまったんです。『やっぱお母さん、最後まで逃げるんだね』と……。今話していても涙が出てきます。

 本当は、自分が悪いんだって分かっていました。母も子供時代に虐待を受けていたので、それが連鎖したんです。母も子供の愛し方を知らなかっただけなのかもしれない。最後に警察署の留置所の面会室で会って以降亡くなるまでの3年間、一人で生きさせてしまいました」

 湯浅さんは鼻をすすると、「でも母が私を産んでくれたから、今の活動ができる」と話を続けた。

「まずは私の経験を生かしてあらゆる依存症に苦しむ人と、その家族の相談に乗りたいんです。だから産業カウンセラーの資格を取りました。『碧の森』というインターネットサイトを作って、相談を受けています。インターネットで〈受刑 相談〉と調べると、弁護士事務所がだいたいヒットします。でも私に相談してくれる人は『話を聞きたいのは弁護士じゃない』とみなさんおっしゃいます。私が依存症だからこそ、みなさん話をしてくれる。私のような人間でも役割があるんですよね。

「いまでも薬の売人からDMが来る」

 もう一つは元女子受刑者の働き口を作りたいんです。将来的にはネイルサロンアロマやエステ、盆栽作りで女子受刑者を雇用して居場所を作りたい。刑務所でも仕事の斡旋をしてくれますが、肉体系とか女性に向かない職業ばかりでした。中にいたからこそ分かる実態です」

 大きな目標を掲げているが、もう依存症は克服したのだろうか。

「依存症に完治という言葉はないんです。回復し続けることが大事なんです。ツイッターには、いまでも薬の売人みたいな人からDMが来ます。時折、スロットに触れそうになることもあります。先日の歌舞伎町の違法スロット摘発のニュースを見ているときに、昔の私がやっていた頃の機種があってすごく懐かしくなった。

 でも、またそんなことをしたらここまで寄り添ってくれた旦那を裏切ることになります。『今の生活を失いたくない』という思いで天秤は依存症に傾かないようになっていますが、何かあると傾いてしまうかもしれない。だからこそしっかり生きていきたいんです」

 90年代00年代と青春期をやりたいことだけやってきた半生。「子供を作るつもりはない」と、残りの人生は人のために生きる決意をしているのだという。しかし依存症克服も更生も、そうやすやすと達成できるものではない。湯浅さんの今後の道のりが、どのようなものになるのか注目したい。

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

28歳頃の湯浅さん