人を殺して死刑になりたかった――。10月31日に起きた京王線刺傷事件で、殺人未遂などの疑いで逮捕された容疑者の男性は、警察の取り調べにこう供述したと報じられている。

「死刑になりたい」背景には何があるのか。死刑制度について考えるシンポジウム「被害者・加害者対談『今、死刑を問う』」(主催:「犯罪に巻き込まれた人々の支援」)が11月27日、オンラインで開催されて、被害者家族や加害者家族の支援者らが議論を交わした。

●世の中に「死刑」という言葉があふれている

加害者家族を支援するNPO法人「World Open Heart」理事長の阿部恭子さんは、ある女性から「息子が事件を起こすのではないか」との相談を受け、「死刑になりたい」と口にする息子と話をしたことがある。

対話を重ねるうちに、彼の中に「人生がイヤ。死にたいけれど、死ねない」「苦しい思いをしているのは、自分だけだ。誰かを巻き込むことで、復讐を果たしたい」などの気持ちがあることがわかったという。

「誰でも、うまくいかないときはあります。自分だけが孤独だと感じているときに、その痛みを周りにもわからせたい、と考えてしまうことはあると思います。大事な人、夢、やりたいことなど、歯止めとなるようなものを作っていくことが、事件の抑止につながるのではないでしょうか」(阿部さん

阿部さんが話を聞いた女性の当時の夫(息子からは義理の父)も、食卓で犯罪報道を見ながら、「こんなやつ、死刑になれ」と常に口にしていたという。阿部さんは、インターネット上をはじめ、世の中に「死刑」という言葉があふれていることにも危機感を募らせる。

「死刑にならないような事件に対しても、ネット上で『死刑にしろ』という発言をみることがありますし、このようなことを実際に言われた家族もいます。『犯罪者の言いわけは聞きたくない』『なぜ、税金で食べさせなければならないのか』などの言葉をみるたびに、命が軽視されていると感じます」(阿部さん

自身も3度の服役経験があり、受刑者や出所者を支援しているNPO法人マザーハウス」理事長の五十嵐弘志さんは「刑事施設に入るということは、24時間、ガラスのケースの中にいるということ、監視・規律の中で生きていくということです。『死刑になりたいから』人を殺すという人は、死刑というものを知らないのでは」と語った。

●加害者、生きていれば「怒りや悲しみをぶつけられる」

シンポには、被害者家族も参加し、加害者と被害者の対話の必要性を述べた。

1983年愛知県で起きた「半田保険金殺人事件」で弟を殺害された原田正治さんは、事件当初は「極刑しかない」と思っていたという。しかし、加害者と対話を重ねるうちに、死刑制度に疑問を抱き始めた。「対話ができれば、加害者に文句を言ったり、罵声を浴びせたりすることもできます。怒りや悲しみをぶつけられる」と語る。

画家の弓指寛治さんは、母親が2015年に交通事故で負傷した被害者家族だ。母親はその後、リハビリをしている中でうつ状態となり、自死している。弓指さんが事故の加害者に対面したのは、今年の夏のこと。加害者は、事故後にがんを発症し、手術を繰り返すたびに、人の生死や事故について考えていたという。

「一緒に母親の墓参りに行きましたが、相手はずっと泣きながら、謝罪していました。『こわかった』『罪悪感があった』そうです。正直、僕も事故当時に言われたら、相手を受け入れられなかったと思います。時間が必要だったんですよね。タイミングがたまたまあい、被害者・加害者ではなく、同じ人間として対話ができました」(弓指さん)

●「亡くなった3人」思い描きながら、絵をかく死刑囚

死刑囚の思いも紹介された。荒牧浩二さんは2010年、妻子と義母の3人が殺害された「宮崎市家族3人殺害事件」で、死刑判決が言い渡された奥本章寛死刑囚の支援活動をおこなっている。

奥本死刑囚は、これまで色鉛筆を使って絵を描き、ポストカードなどを販売して得た収入を被害者遺族に送金していた。「最初は楽しかったが、今は自分の罪を忘れないために、殺害現場の様子や、亡くなった3人のことなどを思い描きながら絵を描いている。今はつらい」と書かれた手紙が、荒牧さんのもとに届いたことがあるという。

ところが、コロナ禍の影響で、身体をうごかす運動や請願作業(自ら願い出て、作業に従事すること)が制限されたことに加え、法務省訓令の改正によって、色鉛筆の使用が禁止された。奥本死刑囚は、国に改正訓令の取り消しなどを求めて提訴しているが、荒牧さんによると、現在「精神的に落ち込み、体調が優れない状態」という。

「死刑にしろ」 いのち軽視の言葉あふれる日本社会、犯罪加害者・被害者がシンポで議論