文・写真=沼田隆一

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迷走飛行のアメリカ

 アメリカは相変わらず二分化が顕著になり、政治的にも外交的にも多くの難問が山積している。支持率の低下が目立つバイデン大統領のこれからの手腕によっては、民主党共和党の比率の逆転というシナリオも単なる絵空事ではない事態になるだろう。なんだか今のアメリカは、現代版南北戦争の感がぬぐえない。

 ヨーロッパもそうであるがアメリカでも長距離輸送網のマヒ、とりわけトラックドライバーや港湾施設のマンパワー不足などにより、原油価格と相まって庶民の生活に様々な影響が出ている。物流の滞りは、モノ不足による物価を押し上げ、また品不足は、感謝祭やクリスマスシーズンの旺盛な購買欲にブレーキをかける心配もでてきている。

 共和党民主党との深まる対立だけが問題ではない。民主党さえ一枚岩ではなくなり、重要法案がなかなか可決できない。そんな内情を知る諸外国の眼からみると、大国アメリカがすでに民主主義の守護者としての力を失ってきていると映っている。それでもアメリカを目指して多くの難民が押し寄せる現状に、効果的な解決策を見いだせてない。

 この国がデス・スパイラルに陥るかどうかは、ワシントンの為政者だけでなく、国民ひとり一人が真剣にこれからのアメリカをどういうふうに作りあげるかを考え、行動することにかかっている。もはや白人は圧倒的多数ではなく、今年8月の国勢調査では白人の比率は過去最低となった。カリフォルニア州などはヒスパニック系が白人を上回り、その他の5つの州では白人の人口比が5割に満たない状況である。このように白人がマイノリティになる可能性があることを危惧し、共和党が強い州では一部の白人たちがラテン系、黒人系の選挙への参加をあの手この手で阻止しようとしている。

 国勢調査の結果、下院議員の定数が再分配されることにより、下院定数は共和党基盤の南部での定数が増加することは、下院での民主党の立場を危うくする可能性がある。それは今の民主党政権が盤石ではないことを表している。アメリカの行方はいまだ不透明である。

 

長い眠りから覚め、強い鼓動が再開したニューヨーク

 こういったネガティブな話が最近のメディアでは目立っている。が、少なくともニューヨークでのCOVID-19対策は確かに成果を上げ続けている。毎日の感染状況が改善され、重症者や死者数がワクチン効果で減っている。ただしワクチン接種にためらいを持ち個人の自由と信条から、接種に反対する人たちもまだまだいることで接種率の伸びはゆっくりである。

 ニューヨーク市ではワクチン2回接種率が66%に達している。ワクチンによる成果をしっかり伝え、接種をしない場合のリスクの大きさを辛抱強く説明するしかない。街には無料でCOVID-19のテストをしてくれる車両があちこちで見られる。市当局は医療従事者や政府機関で働く人の接種義務化を、企業では従業員の接種の義務化(もしくは頻繁な陰性検査)が進められている。いよいよ3回目のブースターショットも始まり、5歳以上の子供たちへのワクチン接種も始まる。

 この数カ月、街を行き交う人々の表情はとりわけ明るい。ハロウィーンも今年は仮装した子供たちでにぎやかである。大人たちも迫ってくるホリデーシーズンの準備にワクワクしている。なんだか健康な心臓が体中に血液を元気よく送り出しているような感じだ。賑わいの戻った街で、ワクチン証明の果たす役割は大きい。市内では飲食や劇場など娯楽施設で接種証明と身分証の提示が必要となり、これに従わない店舗や施設は法律で罰則金が課せられる。ブロードウェイやメトロポリタンオペラなども2019年から約2年ぶりに再会され、マスクの着用は厳しく求められるが入所者数に制限はない。どこの劇場も熱気を帯びている。やっとタイムズスクエアにあの喧騒が戻ってきた。

ライペリアム エンターテインメント

 こんな言葉を耳にしたことがあるだろうか? マンハッタンの西にハドソン川、東にイーストリバーという二つの大きな川があり、長い河岸には緑があり水鳥もいる風景はまさしく街全体が「ライペリアム」(riparium=主に水生植物で小川や湿地周辺の環境を再現する園芸)を思わせる、と。

 ニューヨークと言えばデザインコンペのような超高層ビルが林立し、コンクリートと鉄のできた喧騒の街を想像しがちである。しかし住んでみると水辺の景色を楽しめる場所が多くあり、セントラルパークをはじめとする池や噴水のある公園も多くある。そしてそれらは、ボランティアの人たちのおかげで美しく整備されている。

 だからこそ市内に公共交通機関としてフェリーという船も存在するのである。フェリーだけでなくニューヨーク州の北部へは物資輸送船バージも大活躍している。この街の風景に水上交通は不可欠である。

 数年前、現市長がマンハッタン島の周りで運行していたフェリーボートの会社を市営交通の一部とし、地下鉄やバスと同じ一律料金で乗れることになった。そのためフェリーの船着場がいくつも整備され、マンハッタンだけでなくクイーンズやブルックリンなどにある船着場の周りには高層のアパート群が出現し、地域の再開発の引き金になっている。安さもあって観光シーズンなどは観光船に乗る代わりに、このフェリーを利用し遊覧を楽しんでいる観光客が多くみられる。

 このフェリーで毎日通勤する人は、イーストリバー沿いでかなり増えてきている。また、ハドソン川を隔ててニュージャージ―州の街とマンハッタンを結ぶNY Waterwayフェリーも昔から運行され通勤の足である。映画『ハドソン川の奇跡』で不時着した飛行機にいち早く駆けつけて救助活動をしたフェリーボートを記憶している人も多いと思う。

 市営のフェリーを乗り継げば、1時間ほどでロングアイランドのファーロッカウェイという夏は海水浴サーフィンで有名なビーチタウンまで行ける。ちょうど日本からJFKに向かうフライトが、着陸アプローチするため高度を落としていくため海に出るとき眼下に見えるビーチがそれである。

 ニューヨーク市を構成する五区の1つのスタテンアイランドは、文字通り島である。この島とマンハッタンを結ぶ無料のスタテンアイランドフェリーも、長い間ニューヨーカーの通勤の足となって活躍している。このフェリーは20分くらいの所要時間であるが、フェリーが自由の女神やその昔移民の人たちが入国・検査や検疫を受けたエリス島のそばを通っているため、知る人ぞ知るの写真スポットである。その当時の光景は、映画『ゴッドファーザ―PART II』に活写されている。

  もちろんフェリーには自転車の持ち込みが許されている。市内にはバイシクルレーンを充実してきたので、フェリーと自転車を組み合わせた移動手段ができた。マンハッタンからロングアイランドなどに行く水上飛行機によるフライトサービスや、JFKなどの空港に交通渋滞を避けて川端のヘリポートからヘリコプターで移動するサービスを使う人もいる。

  イーストリバーには小さな島がいくつか存在する。ルーズベルトアイランドとランドールズアイランドである。ランドールズアイランドは市民のスポーツイヴェントや様々な催し物に使われ、一方ルーズベルトアイランドは、かつて伝染病の隔離療養施設やホスピスなどがあった。がしかし、再開発された今では世界的企業や大学の研究センターが多くあり、それとともにマンハッタンよりも少し安価なアパート群があり、学校、ショッピングセンターなども整備されて島内で職住を完結している人も多い。

  島内では無料の巡回バスが走り、マンハッタンとはトラムというロープウェイが行き交い、クイーンズとは橋で結ばれている。もちろん前述のフェリーの船着場もある。ともすると見過ごしてしまいがちだが、この島の南端にはフランクリン・D・ルーズベルト大統領を記念する公園も整備され、マンハッタンの喧騒をよそに人々がこの公園で水辺の景色を眺めながらのんびりくつろいでいる。

  川のある風景は素敵だ。ゆっくり流れる水面を見ると日常の憂さを忘れさせ癒される。川端をカミニート(そぞろ歩き)すると、季節によっては様々な渡り鳥たちが羽を休めている光景に出くわす。また、満潮時には川に海水が上がってくるので釣り糸を垂れる人も多くいる(このことは開高健氏の著作に詳しく描かれている)。

  川沿いに作られたプロムナードをジョギングしたり、ランチを食べたり、ヨットやカヌー、ジェットスキーを楽しむ人も多い。自分のボートを横付けして食事ができるレストランもある。人間は胎児のときに母親の羊水の中で育つため、水というものが人に対して鎮静効果があると聞いたことがある。ニューヨーカーは近くにある川を利用するのに長けている。川や運河の多い東京や大阪などの都市もその昔のように今後、公共水上交通を充実させることを考えるのも一計かもしれない。

職住接近のマンハッタンは、よく働きよく遊び……

  ニューヨークで仕事をしている人たちは、ウェストチェスターやコネチカット、ニュージャージーに住み郊外電車で通勤している人もかなりいる。その昔、郊外電車の車両にバーが設けられ帰宅前の束の間に車内で一杯飲むという文化もあったようである。仕事関連で夜遅くまで酒を飲まないニューヨーカーは、日本のいわゆる飲み屋街のようなものと無縁である(筆者には日本で昔はやった「スーダラ節」の一節が懐かしい)。

  グランドセントラル駅ペンシルバニアステーションなどとは無縁に、マンハッタンに住む人も多い。自分のオフィスがあるビルから徒歩圏、もしくは自転車通勤圏にあるコンドミニアムに住む人たちは想像以上に多いのだ。マンハッタンの不動産価格が上げ止まり、マンハッタンの対岸のクイーンズやブルックリン、そしてお隣のニュージャージー州の高層アパートの建設ラッシュを生んでいる。

  またマンハッタンにも、どんなふうに建てたのかと考え込んでしまうくらいの、建築設計上の限界に挑むようなデザインのコンドミニアムがいろいろできている。なかには1000万ドル級の物件もかなりあるようだ。しかし、そんなドアマンもフロントデスクもいるようなコンドミニアムだけではなく、プロジェクトと呼ばれる低所得者用の公共住宅もある。第2次世界大戦ではニューヨークの街は戦禍にまみれなかったため、ニューヨークを舞台にした映画やテレビドラマに出てくる、ブラウンストーンと呼ばれる古い4階建てくらいのアパートも多い。

  世界のビリオネアが不動産を買いに来る街であるとともに、庶民が元気に生きている街でもある。ありとあらゆる階層の様々な人種がそのライフスタイルを崩さずに生きている街なのだ。もともとアメリカ人は画一性ということに重きを置かないが、とくにニューヨークは周りの目を気にすることもなく同調圧力もない社会である。自分の気に入ったものを季節に関係なく着て、住みたいように住む。また周りの人間もそのことに何も言わない。いわゆる流行を追い続ける人もいれば、まったく我関せずの人たちもいる。ひとり一人の自由がそこにある。

  市内に住むのにクルマはいらない。歩き(Zウォーク=スマートフォンをいじりながら信号無視でジグザグ歩行も含む)、スケートボード自転車モペッド、そしてフェリーボートやバス、地下鉄で充分である。さらにイエローキャブに加えて、UBERや乗り合いタクシーなどの新しい移動手段も活性化している。日ごろの買い物も高級スーパーから庶民のスーパー、量販店、街角に必ずあるデリなどで、自分たちの所得に見合った普段の買い物の場所が選べる。パンデミックのなかで大きく育った、料理や買い物の宅配業者の自転車が縦横無尽に活躍している。

 

ワークライフバランスを実践できる街

 この街には習慣として職場の仲間と昼食をともにする光景はあまりない。一人ひとり思い思いの食べ物を自分のデスクで食べたり、近所の公園のベンチで食べたりする。ランチブレイクを利用してジムに行くつわものもかなりいる。仕事が終わると仕事の仲間と立ち飲みのバーで一杯飲むことはあっても、職場の仲間との飲み会はほとんどない。仕事上の接待なども含め職場と関連する飲食はランチですまされてしまう。飲み会やら職場の付き合い、飲食遊興をともなう接待が慣習となっているアジアの国とは、やや別世界の感がぬぐえない。がむしゃらに仕事して思いっきり遊ぶ、プライヴェートは家族や友人たちと充実させている。みんなそれぞれ自由に自分のライフスタイルを創っている。この街はそれを可能にしている。

アミューズメントにあふれる街

 仕事終わりに劇場に行ったり、噂になっているレストランを試してみたり、自転車で川沿いを走ってみたり、セントラルパークでジョギングしたり、(ジョガーは街のどこでも見受けられるが)、ブロンクスの動物園や、足を延ばしてブルックリンにあるコニーアイランド(毎年ホットドッグの早食いコンテストがあるので有名)へ子どもと行ったり、とプライヴェートの選択肢は多い。もちろん、お金に余裕のある人はボートヨットを楽しみ、1時間数100ドルのテニスコートで汗を流すという人たちもいることは確かだけれど。

 庶民には公園がある。スポーツを楽しんだり無料のコンサートに出かけたり、家族でにぎやかにバーベキューをするし、川で釣り糸も垂れる。その時のニューヨーカーは眉間にしわを寄せて速足で歩くことを忘れる。この街が持つ多面的なエンターテインメントが、人々の日ごろのストレスやフラストレーションヴェントとなっているのではないだろうか? この街は様々なリクリエーションを考え実行できる場をもっている。自然を愛する人も、音楽や芸術が好きな人も、スポーツの好きな人も、何でも好きなことが自由に人目を気にせずできる街である。

 ニューヨークに住む人間は何やかやと文句や注文が多く、自己主張が強いところもある。が、やはりニューヨークを愛している。COVID-199.11などの苦難と闘う。ニューヨーカーにはこの街を守ろうとする強靭さがある。人種差別、銃犯罪、テロなど、常に多くの人種が共生するこの街特有の問題が存在し続けるのではあるが、そのようなネガティブなものとニューヨークの与えてくれるものとをリーブラにかけることなく、この街の与えてくれるものがあまりにも多いことをニューヨーカーは知っている。

 つい最近も昨年は開催延期となったグリニッジヴィレッジのハロウィーンパレードを開催するのに15万ドルが不足していることが伝えられると、ある金融関係の重役が個人で15万ドルの寄付を申し出た。どこかの国の起業家が数億円でクルマを買ったことをメディが取り上げる国とは隔世の感がある。

 

The Land of the Free

 東京のような一極集中型メトロポリスとは違うダイナミズムをこの街は持っている。日本は、確かに平和で素晴らしい国であるけれど、ニューヨークに住み慣れた私にとっては、いろんな有形無形の決め事が多すぎて自由度が低い。なんだか本当の自分を出しづらい感じがする。そんな中では何となく自分のアイデンティティを失い、パッションが萎え、仕事や生活に息苦しささえ感じる時がある。この街の自由度は高い。それはおそらく多くの移民が自由を求めてこの街にやってきたことと深く関係があるようだ。それ故、自由ということに時には過敏に反応する人たちも多いのかもしれない。

 ニューヨークはアメリカであってアメリカではない。そのユニークさゆえに自由であること、自分であることを許され、自分というものを主張し、自分の才能を磨き夢に向かう。世界各地の人々を磁石のように引き付ける街である。

 この街は誰でも幸せになる街ではない。この喧騒と競争に倦んだ人はこの地を去っていく。しかし何かを求めてやってくる人たちが絶えることはない。おかげで、この街は新陳代謝が常に行われている。そこから生まれた説明のつかない巨大なエネルギーの渦の中で、ニューヨーカーは自由を尊び、タフさを磨き、もがき、這い上がり、成功を夢見る。アメリカ国歌の……”The Land of the Free.”とは、まさしく、である。

 長いフライトの後空港で客待ちのイエローキャブに身をゆだねる時、そのお世辞にも清潔と言えない車内でむせるような芳香剤の匂いと、運転手の外国語なまりの英語を聞くとホッとする。そんなニューヨーカーは私だけではないと思う。

There is no place like New York.

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