日本にも中国にも鎖国の歴史があり、長期間にわたって西洋諸国との接触を持っていなかった時期がある。日本は江戸時代の頃、中国は明や清の頃がそれに該当する。だが日本は清と違い、開国とその後の発展に成功したと言えるだろう。この違いはどこにあったのだろうか。中国メディアの網易は27日、「開国後の日本と清のたどった道が大きく違った理由」を分析する記事を掲載した。

 記事はまず、開国に際して日本と清はほぼ同時期に西洋から学ぶことを決め、日本は明治維新により、清は当初は洋務運動、後に戊戌(ぼじゅつ)の変法で改革を行おうとしたが、結果は全く違ったと伝えた。戊戌の変法では、明治維新の政治制度を倣ったと言われているが、結果を出せずにたった100日あまりで終わってしまったために「百日維新」とも呼ばれている。

 その理由は、日本が西洋の強さを痛感するとすぐに方向転換して「全面的に西洋から学ぶ」ことにしたのに対し、清の改革は名ばかりで西洋化に抵抗があったからだと指摘している。この違いは、清の政治改革には「痛みが伴った」のに対し、日本のほうは「無痛」だったという違いから来ていると分析した。

 何千年も儒家思想を受け継ぎ、科挙試験をくぐってきた清のエリートが西洋化を受け入れるのは並大抵のことではなかったのは想像に難くない。その点、科挙制度を取り入れなかった日本には捨てるものが少なく、メンツも気にする必要がなかったため、その分有利だったと指摘している。

 これに加えて、日本の政治体制はもともと「朝廷と幕府」が併存していて、地方では「自治」が認められており、「エリートが実用主義」だったことも、清には無い要素だったと振り返った。商人が政治の関与を受けずに豊かになれたことも幸いしたという。

 日本人には、良いものは良いと認め、強いものは強いと認めて学ぶ良さがある。そのおかげでここまで発展することができたのだが、それにはお国柄の違いが大きく関係していたようだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

ともに鎖国を経験した日中、開国後にたどった道が大きく違ったワケ=中国