「昔、現役やってんで」かんなみ新地で“営業”を続けるシャネル風ジャケットの知的ママの“身の上”と“妖艶な電気が灯っていた時代”《現地ルポ》 から続く

 11月23日、ついに兵庫県尼崎市の風俗街「かんなみ新地」が、約70年の歴史に幕を下ろした。同月1日に尼崎市長と尼崎南警察署署長の連名で営業の中止を要請したことで、約30軒あった店は風俗営業を休止していたが、23日に「かんなみ新地組合」が解散した。すでに10店が廃業申請をしているというが、一部は一般の飲食店などとして営業を続けているという。

 いま、かんなみ新地は一体どんな状況になっているのか。そもそもかんなみ新地とはどんな場所だったのか――。 “取材拒否の街”大阪市西成区歓楽街飛田新地」を12年かけて取材し、2011年に「さいごの色街 飛田」(筑摩書房・新潮文庫)を上梓したノンフィクションライターの井上理津子氏が現地入りし、その実態に迫った。

◆◆◆

 夜、かんなみ新地を歩いていると、1軒だけ扉が少し開き、灯りがついている店があった。「え? え? 営業してるんですか」と、半歩入って訊ねると、「そうですよ、飲み屋としてね」と、カウンターの向こうから、シャネル風のジャケットを着た、おそらく50代の知的美人ママ。

「お酒とおつまみセット1000円。明朗会計ですよ」というので、ママとサシで話すことに。当たり障りないことを話していると、不意にママが「私、昔、現役やってんで」と言った。

阪神淡路大震災後、女の子が若返った」ワケ

——昔っていつ?

「25年くらい前かな。かんなみは、自分で店を持って自分で働くっていうのが多かったから、私もそうやったの。阪神淡路大震災のあと、女の子がばあっと増えてきてね」

——えっ? 以前は経営者自身がお客を取って働いていたってこと?

「そうそう」

——全然知らなかった。独立独歩やったんや。阪神淡路大震災のあと、女の子が若返ったと聞いてました。

「そういう頃に1回目、来てん。100人体制」

——ん? 100人体制?

「元々は、自分でお家賃払って自分で仕事してっていうのが多かった、って言うたでしょ」

——う、うん。そうすると搾取の構造なし、言うこと?

「そらそうやんか。当たり前やんか。震災の後、若い女の子が入り出して、1軒が入れたら、このへんはがめついおばはんばっかりやから、『うちもうちも』となって」

——派手になっちゃった?

「そうそう。派手になって、夜通し営業するようになって……。そやから100人体制で警察がいっぺんにきてん。1軒の店に、警官が2人も3人もドヤドヤときた」

——うわ~。

「その時は1年くらいで復活したかな」

——どうやって復活したの?

「その時の組合長がよかったんちゃう? 警察と交渉とか、したんちゃうかな。警察から、『飲食店で営業届け出てるのに、看板も暖簾も出てないのはおかしい』と言われて、みんな暖簾を出しました」

ネットと違う実態「(役所の)言うこと聞いてたのに」

——飲食店としての体裁を整えたってこと? 飛田みたいに。

「飛田は特別やねん。税金とかもきっちり払ってやるし」

——そうかな?

「そやで。組合がしっかりしてるから。飛田はちょっとは西成のためになってる、いうか、支えてるとこあるから。ここは、そういう知恵がなかったんちゃう? 組合に。私が思うに、1年に1回くらい寄付するとか、市長の後援会に入っとくとか、してなかったんがあかんかったんちゃう?」

——なるほど。このタイミングで警告が出たのは、休業要請に従わなかったからと、ネットニュースに出てたけど、そうなん?

「何言うてるの。休業要請の期間は36軒全店閉めてたし、時短営業の期間も時間もきっちり守って、この2年近く(役所の)言うこと粛々と聞いてたのに」

——ネットに出てる情報と違うね。

コロナは関係ないの。余力のないママさん多かった。この2年間ほとんど仕事してなかったんやもん。『持ち店』やったらええけど、その間も家賃発生するし……」

 そうか、そういうことだったのか。かんなみ新地の店は「飲食店」として登録されているが、業態が業態だけに経営者たちは飲食店へのコロナの感染拡大防止協力金等を申請できかった。今回の「警告」は、経営者たちが経済的に疲弊し、再び開くハードルが高くなるタイミングを狙ったのだと私は思った。

 ただし、摘発ではなく「警告」の形だったのは、行政側の温情なのか、長く看過してきたことの取り繕いなのか、微妙だとも。

経営者も従業員も「全員が女性」の異質な色街

——そりゃあ、キツいよね。

「でも、(警告が出る)予感はあってん」

——どんな予感?

「あまりにも派手になってたから。ほんまは女の子暗黙の了解いうのを守らなあかんやん、風俗街では。飲食店をやってます、いうテイをはみ出すと、警察にしても市にしても『風俗街でしょう』と、言わざるを得なくなるやん。それを昔の『100人体制』とか知らん新しいママさんたちが、勘違いして」

——風俗として堂々と営業して大丈夫と勘違い? 

「そうですそうです。認められてる、と思ってたんちゃうかな。(警察、市とは)探り合いながらやらなあかんかったのに」

——バランスというかトレードというか大人の駆け引きというか……。

「そう。公然の秘密であっても、やっぱりちょっと体裁とらなあかんとこあるやん」

——それを真っ正面からやってしもてたってことなんや。経営者はママさんが多いって聞いたけど。

「全部、女ですよ」

 え? 経営者全員が女性って。私は驚きを隠せなかった。飛田の経営者は圧倒的に男が多かったし、ほかの風俗街だって同じだろう。飛田では、新地全体のルールを決める「料理組合」の役員たちも歴代男だ。女という「商品」を使って稼ぐのが買売春街と相場が決まっていると思っていたが、ここでは真っ向から覆されたのだった。

飛田新地との違い「店より女の子が儲かるんやから」

——つまり、めっちゃ女の砦やったってこと?

「そうや。暴力団も昔から入ったらあかんてことになってるし。みかじめもない。暴力団はお客としては来とったけど、そんだけや」

——私、管理売春はあかん、搾取がなされてることが問題やと思ってきたけど、かんなみはママさんが自分で客を取っていた時代は明らかにそうでなかったということか。でも女の子を無理やり働かせたりってことは、やっぱりあったん?

「そんなん、あるかいな。今日びの女の子は自分から進んで仕事に来る子ばっかりやんか。ホストに入れあげたいとか、そんな子ばっかりやん。店より、女の子の方が儲かるんやから」

——何割何割?

「ここは基本は四分六や。女の子の方がええねん。20分1万円。女の子6000円。飛田は20分1万1000円、30分1万6000円で、5−5−1(女の子5000円、店側5000円、遣り手1000円)やろ。こっち(かんなみ)の方が、女の子、率がいい」

——飛田と交流あるんや。

「交流いうか、私は働いたことあるし。若いとき」

——そうなんや。青春通り?

「うん」

——飛田との違いは、女の子の取り分がいいことと、経営者がママってこと? 

「そやで。それでいけたんやんか。けど、いまの若い子、裸みたいなカッコするやん。それを1階の椅子に座らせるようになってしもた」

ワンルームの部屋を割り、どんどん部屋が小さくなった

——飛田は、上がり框に女の子ちょこんと座る。和風やけど、ここは洋風ってこと?

「そうそう。女の子5人おったら、5人ずらっと椅子に座るわけよ。そんな感じでやっとったん。うちは4部屋」

——建物を外から見たら、室外機だらけやん。室外機の数だけ部屋あるってことやんね

「いや、エアコン1台で2部屋使ってるとこもあるから、部屋の数のほうが多いよ」

——そっか、部屋は6畳とか4畳半とか?

「そんなんあるかいな。1畳やで。さっき言うたように、元々は経営者と女の子を兼ねて1人でやってたから、2階はワンルームだったんだよ。ところが、女の子を置くようになってから、ワンルームを割って、『布団さえ敷けたら』に小さくなったんよ」

——家賃は?

「いろいろ。一軒一軒家主さんが違うから、ややこしいんです。昔は、5万円とかやったけど。いま、ママやってるのは、私みたいに昔自分が女の子やったんが多いわけさ」

——そうかそうか。四分六と良心的なんは、ママさんたちが女の子のエラい労働を体で知ってるからなんかな。たとえば「働きたいんです」とやって来た女の子は選別する?

「いや、一応置いてあげるんちゃう」

——飛田には、中にはかなり高齢の女の子もいはるやん。でも、かんなみには高齢の女の子はおらん?

「昔、1人で店開けて、1人で(性的サービスのために2階の部屋へ)上がっての時代は、おばちゃんばっかりだったわけだよ、40代とか。熟女とか流行ってなかった時代においては、40代はおばちゃんやってんね。そういうおばちゃんしかおれへんかったんが、1軒にたまたま若い女の子入って、そこの店が流行ったから、私も私も……となって、若い女の子、置くようになって、お客さんも増えて。派手になってきたわけやんか」

——それが阪神淡路大震災の後。

「そうそうそうそう。そのタイミングで」

——被災して経済的に困ったから、「働きたい」と女の子が集まって来たってこと?

「ちゃうちゃう、お客さんが増えてきたん。震災のあと、アマは水道とおっとったから、神戸からじゃんじゃかじゃんじゃか、お風呂屋さんに入りに来たんよ。そしたら、それまで知らんかった人がここ通って、こんなとこあるんやってなって、広まっていってん。同時に女の子も増え~の、お客さんも増え~の。で、めっちゃ盛り上がったわけよ。そこに警察が来たんよ、100人体制。派手になってきたら来るんよ、警察が」

「昔は1日で女の子1人あたり20本近くいったなー」

——震災のとき、この建物は?

大丈夫やってん。木造やけど、家財道具置いてないから軽すぎて倒れへんかったんちゃうの」

——100人体制の後、閉まったけど1年ほどで復活したって、さっき聞いたよね。

「そやで。閉まってる時、近辺で痴漢とかわいせつ事件増えたから、復活が黙認されたって聞いたけどな」

 ——近ごろは、若いお客さんが多かった?

「そやね。地元の子より、京都とか岡山の子が多いねえ。車で来るねえ。遊びがてら、わちゃわちゃ言うて来るんちゃう?」

——1日に何人くらい?

「昔は1日で女の子1人あたり20本近くいったなー。平日でも15本くらいあったかなー」

——それは昔?

「う、うん、ふふふ

——サービスの仕方、ママが教える?

「うん、教えるよ」

——そうなんや。

「もっとも、お客さんとの相性あるしね。飛田でもここでも私がお客さん選んでたほうやから。この人嫌やなと思ったお客さんと(2階に)上がっても、100パーセントサービスできる自信がないので。初めから、『あの人は無理』って断るほうがええやん。そういう仕事の仕方してきたよ、私は」

——ママ、めっちゃ儲けてきたんやろね。なんで飛田からこっちに来たん?

「元々、ここの子やからや。『100人体制』あって閉じた時、しばらく飛田に出稼ぎに行っとってん。でも、私は若くて根性あったから、飛田12時に終わって、こっち来て、警察が帰った後、店開けとった。たまに通るお客さんおったから、それ引っ張って」

「私の体で私の借金払って、なにが悪いねん」

——根性ある。

「私さあ、結婚する前の彼氏の借金を返すために、足突っ込んだんよ。彼氏に、私の名前でお金借りてあげてたから。その3000万の借金を私が返す代わりに別れてくれ、言うて、別れたん。若かったから、3000万くらい直ぐに払えると思ってたからなあ」

——すご~。

「お金のためやったら、できるんちゃいます? 別に悪いこと、違う。私の体で私の借金払って、なにが悪いねん、思ってたね」

——めちゃめちゃ主体的。体は壊せへんかった?

「まったく大丈夫。定期的にマイシン、膣の中に入れる抗生物質やね。それ飲むとか、自分でケアしてきたしね」

——そうなんや。

 2階を見せてほしいと頼んだ。

 少しの間を置いて、「う~ん、ま、いいか」と応じてくれ、「改装したばっかりやから、うちは特別きれいで」と。お言葉に甘えて、急階段を上がる。半階分ほど上がったところに、1部屋の入り口。さらに半階分ほど上がったところにもう1部屋の入り口があった。

かんなみの“お店”に潜入「想像以上に狭く…」

「まあこんな感じやね」

 ママが1部屋の戸を開け、電気のスイッチを押すと、暖色の照明が灯った。

 シングルの敷布団が敷かれて、3段のシェルフがあるのみで他になにもない。あとは布団の前後左右に30~40センチほどの空き空間があるだけ。想像以上に狭く、シンプル極まりない部屋だった。

「いろんな客きたんやろね」

「そうやで。職業選択の自由やと思うわ。女の子かて、働きたくて仕方なくて、ここに来てるんやもの」

 さばさばした口調だった。

 1階に降りて、最後に「これからどうすんの?」と訊いた。

「さあ、どうしよ。私はしばらくこうやって飲み屋で開けていく。1000円とかで、これでいく」

 と言い切った。

 言い切ってから、「(今の飲み屋へは、以前に)上がってた人が飲みに来る。このへん好きな人が『火を消さんといてくれ』って言うてくるけどね」と小さく笑った。

 この稿の最後の最後に、後日、とある人の紹介で会うことができた、もう1人の元経営者がこう言ったことを書きとめなければ。

「警察との根気比べやね。私は引き下がれへんよ。飲食店では家賃払われへんでしょ。ある程度下げてもらうように大家さんと交渉中やけど、厳しいのちゃう? ほとぼり冷めるのを待つだけやね。今、女の子は飛田や松島に行ってるけど、かんなみ再開したら戻ってくる、言うてる」

〈生きていくため、体を売って何が悪い〉

 そういう主旨の宣言文を、かつてかんなみ新地の南東角に、高らかに掲げていたそうである。

写真/井上理津子

(井上 理津子/Webオリジナル(特集班))

かんなみ新地