2000年代の初め、小泉純一郎首相(当時)の第1次訪朝に向けた北朝鮮側の交渉役となり、日本では「ミスターX」として知られた柳敬(リュ・ギョン)国家安全保衛部副部長。金正日総書記から絶大な信頼を寄せられた最側近だったが、2010年2月、突如として処刑された。

その内幕については一説に、金正日氏の義弟である張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長が柳氏のパワーを警戒し、スパイの濡れ衣を着せて処刑に追い込んだと言われていた。

柳氏本人のみならず、家族全員が銃殺されたとも言われている。

そして最近、この件について新たな証言が出てきた。証言者は、1990年代後半から2007年の途中まで国家安全保衛部(現在の国家保衛省)に勤務し、2016年末に韓国に入国、最近になって韓国で回想録を執筆した脱北者のク・デミョン氏である。

同部は、北朝鮮の防諜と反体制の監視を担う秘密警察だ。その中でク・デミョン氏は、主に外国に派遣された北朝鮮人の監視を担当する海外反探局に所属し、局長の運転手を務めたという。

北朝鮮で高位幹部の運転手は、非常に重要なポジションだ。秘密主義が徹底された社会で、権力層の動静に日々、触れることになるからだ。実際にク・デミョン氏も、飛ぶ鳥を落とす勢いだった柳氏と何度も言葉を交わし、一緒に酒を飲んだこともあったという。

ク・デミョン氏によれば、柳氏は小泉訪朝後も、米国のクリントン大統領の訪朝を実現するなどして、保衛部で足場を固めたとされる。2009年8月に実現したクリントン氏の訪朝は、同年3月、2人の米国人記者が中朝国境地帯で拘束されたことが発端だった。北朝鮮は解放の条件として、クリントン氏の訪朝を要求。この過程を北朝鮮側で仕切ったのが柳氏だったという。

しかし、ある出来事を境に柳氏の運命は暗転した。

2010年12月5日、南北首脳会談実現のために特使としてソウルを訪問した柳氏は、李明博大統領から面会を断られ、何の成果も出せないまま北朝鮮に帰国した。このとき、柳氏はソウル滞在を1日延長したが、「帰国後に提出した報告書で、その際の行き先をきちんと記載しなかったことが問題視され、張成沢によってスパイの濡れ衣を着せられた」というのが従来の説だ。

ク・デミョン氏は、この「スパイの濡れ衣」説を否定。訪韓で、首脳会談に積極的な姿勢を韓国側から引き出したなどと虚偽報告を行い、それが露呈して金正日氏の怒りを買ったのが処刑の理由になったと証言しているのだ。

だが柳氏の処刑後、在日朝鮮人出身の妻を除く彼の家族が悲惨な運命を辿り、柳氏と近かった部下らまでが粛清されたという点においては、ク・デミョン氏の証言と従来の説はおおむね一致している。

北朝鮮の権力中枢が、「一寸先は闇」であるというのは事実だということだ。

金正日総書記(左)と金正恩氏