政府が海外半導体企業の国内誘致を促す法案について閣議決定を行った。政府が事業者を認定し、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)に設置する基金を通じて資金支援を行う。企業誘致に力点を置いた今回の施策については賛否両論があるが、国力が低下している日本の現状を考えると、将来的にも重要な意味を持つ施策である。(加谷 珪一:経済評論家

JBpressですべての写真や図表を見る

競争力を失っている日本の半導体産業

 政府は以前から半導体受託生産(ファウンドリー)の世界最大手「台湾積体電路製造(TSMC)」に対し、日本での工場建設を働きかけてきた。TSMC側はなかなか首を縦に振らなかったが、工場の建設資金の約半額に相当する4000億円を日本政府が拠出するなど、多額の支援を行うという条件で合意が成立。同社は熊本県での新工場建設を発表した。

 今回の法案は、TSMCが建設する新工場を認定第1号にすることを前提に準備が進められている。TSMCをモデルケースに、今後、国内で半導体の確保できる体制の構築を急ぐ。

 一連の法改正には主に2つの狙いがあると考えられる。1つ目は国内半導体産業の支援である。

 よく知られているように日本の半導体産業は壊滅的な状況となっている。近年、世界の半導体産業は水平分業化が進み、工場を持たずに半導体の設計に特化する企業(ファブレス企業)と、ファブレス企業から製造を請け負う企業との間で明確な役割分担が出来上がっている。

 世界最大の半導体メーカー米インテルは、製品の開発から製造まで一貫して行うが、画像処理チップを手がける米エヌビディアやスマホ向け半導体を開発する米クアルコムなど米国半導体メーカーの多くはファブレスとなっており、自らは製造は行わない。

 一方、台湾メーカーは製造請け負いに特化することで急成長を実現しており、今では半導体製造の多くを台湾メーカーが担っている。中でもTSMCは群を抜いた存在であり、米アップルのiPhoneに搭載されているチップの製造も同社が一手に引き受けている状況だ。

 日本メーカーは半導体の設計や製造の部門で完全敗北しており、国際的な競争力はゼロに等しい。だが半導体の製造装置や検査装置、あるいは半導体の製造に必要となる各種素材に関しては何とか競争力を保っている。これらの業種は一部を除いてあまり高収益とはいえないが、国内に半導体の製造拠点がなくなってしまうと、当該分野での競争力も失ってしまう可能性があり、政府はこれを回避するためTSMCに日本進出を要請した。

 もう1つの狙いは経済安全保障である。先にも述べたように半導体の製造については台湾メーカーの存在感が圧倒的に大きいが、台湾が地政学的リスクに直面する可能性は日増しに高まっている。万が一、中国が台湾に侵攻するような事態となれば、台湾からの半導体供給が停止し、日本経済が麻痺してしまう可能性も否定できない。国内に工場があれば、こうした地政学的リスクを軽減できることから、資金援助を行う価値があると政府は判断した。

実は雇用政策として大きな意味がある

 政府のこうした方針に対しては、一部から批判の声が上がっている。台湾とはいえ海外企業に対して多額の支援を行うことの是非や、仮にプロジェクトが成功しても、国内半導体メーカーの復活にはつながらないといったあたりが主な論点となっている。一連の主張はもっともであり、支援を行うのであれば日本メーカーを対象にするのが本来の姿であり、海外メーカーが進出してきたところで日本メーカーの設計や製造能力が強化されるわけではない。

 何より、海外企業に国内進出を要請するというのは、典型的な途上国的施策であり、このニュースを聞いて落胆した人も多いことだろう。

 だが筆者は著しく国力を低下させている日本の現状を鑑みた場合、一連の施策は妥当であり、今後の日本経済にとっても重要な意味があると考える。

 非常に残念なことだが、日本は製造業における国際競争力をほとんど失っており、製造業大国として復活するのはほぼ不可能である(将来の技術力を担保する論文の引用数ランキングにおいて、日本は中国や米国の10分の1と致命的なまでの差をつけられている)。日本が持続的な成長を実現するためには、国内消費を軸にした内需主導型経済に転換する必要があるが、国内労働者は低賃金にあえいでおり、消費したくてもお金を使えない状況に陥っている。

 国内企業は内部留保を溜め込み、設備投資を縮小している状況となっており、今のままでは賃金は上がりようがない。こうした八方塞がりの状況を打開できる可能性として考えられるのが、海外メーカーの日本進出である。

 海外メーカーが日本に工場を建設すれば、雇用は拡大し、その分だけ国民の所得は増える。工場に製品を納入する国内メーカーの収益も拡大するので、関連産業の賃金も上がるだろう。工場から得られる利益は海外メーカーのものだが、利益よりもコストとして国内に落ちる金額の方が圧倒的に大きい。政府にその意図はなかったかもしれないが、今回の施策は産業政策や安全保障政策というよりも、むしろ雇用政策としての意味合いが強いと筆者は考えている。

 実際、海外から先端企業を誘致するという戦略は、先進国であっても国民の所得向上に大きな効果を発揮することが経験則的に分かっている。その代表例と言って良いのがアイルランドである。

海外企業の誘致で高所得を実現したアイルランド

 1980年代までのアイルランドは欧州の劣等生などと呼ばれ、低成長と高失業率に悩まされていた。失礼な言い方になってしまうが、当時のアイルランドといえば、失業者が街に溢れ昼からパブでギネスを飲んでいるというイメージの国だった。

 こうしたアイルランドの大きな転換点となったのが米インテルの工場誘致である。アイルランドは思い切った優遇税制を武器にインテルの工場を国内に誘致。その後、次々とグローバル企業を国内に呼び込むことに成功した。

 同国は平行して大学無償化など教育政策を充実させ、IT分野を中心に優秀な労働者の育成を図った。その結果、現在では多くのIT企業がアイルランドに開発拠点を構え、グローバルな金融機関がアイルランドオフィスを開設するまでになった。こうした取り組みの結果、アイルランドの賃金はみるみる上昇し、今では世界トップの労働生産性を実現している。

 アイルランドと日本ではGDPの規模が違うので、日本では平均賃金を一気に押し上げるまでの効果は期待できないが、優秀な海外企業の誘致は、確実に賃金上昇効果をもたらすことを同国の事例は示している。

 筆者が海外企業の誘致に意味があると指摘しているのは、それだけが理由ではない。中長期的に見た場合、優良企業の対内直接投資を増やすことは、国際収支の変化にスムーズに対応するという意味合いもある

 現時点において日本の経常収支は黒字を維持しているが、黒字のほとんどは貿易によるものではなく、海外投資から得られた利子や配当などである(所得収支)。つまり日本は貿易で稼ぐ国ではなく、投資で稼ぐ国というのが現実の姿である。

日本はそろそろ経常収支の悪化に備える必要がある

 経常黒字の大半が所得収支であれば、投資で失敗しない限り、半永久的に収益が得られるように思えるが、日本の場合そうはいかない。日本の所得収支のうち相当割合が、海外への証券投資ではなく直接投資からの収益でカバーされており、直接投資の多くは東南アジアなどへの工場移転に伴う現地法人への出資である。

 つまり、名目上は投資収益ではあるものの、実態は中国や韓国とのコスト競争の結果として設立された海外現地法人から得られる利子や配当である。近年、中国はもはや高コストな国となっており、ベトナムなど、より賃金の安い国が世界の工場として台頭している。日本メーカーの現地法人は近い将来、こうした新興国の企業に取って代わられ、その分だけ日本が得られる所得収支は減少する、つまり日本の経常収支は今後、悪化する可能性がそれなりに高いと考えられるのだ。

 マクロ経済の理屈上、財政赤字に変化がなければ、経常収支が悪化すると貯蓄率が増えない限りバランスされない(ISバランス論)。日本の財政赤字が減少する見通しはほぼゼロであり、高齢者の進展によって貯蓄率の低下もほぼ確実視されている。結果として経常収支の悪化と貯蓄率低下が同時に進む可能性が高く、最終的には経常収支の赤字転落も視野に入れる必要があるだろう

 経常収支が赤字になった国がスムーズに資金調達を行うためには、海外からの直接投資を拡大させる必要がある。海外から優良な企業を国内に誘致することは、国力が低下した日本にとってマクロ経済的にも意味がある。一連の施策は産業政策や安全保障政策としてだけではなく、雇用や賃金そして国際収支というマクロ経済な動きにもつながっていくのだ

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「TSMC熊本工場」建設を喜ぶのが大間違いである理由

[関連記事]

TSMC新工場ができても日本半導体の復活にはつながらない理由

歓迎ムード一色だが台湾TSMCの進出で加速する日本の頭脳流出

台湾・新竹市のTSMC本社(写真:AP/アフロ)