不妊治療中の40歳で乳がんが発覚し、43歳で再発、そして45歳で妊娠しただいたひかる。その経験をまとめた著書「生きるために、捨ててみた。」を出版しただいたは、かつて一世を風靡した「どーでもいいですよ」のフレーズを引用し、「どうでもよくないこともあるんだなと思い知らされた。やっぱり命はどうでもよくない」と40代を笑顔で振り返る。乳がんになったことで“絶望を治すのは希望しかない”との心境に至り、「未来のことに集中するようになった」というだいたは、掃除に力をいれるようになった。そしてがん再発後、治療を中断して不妊治療を再開したことを振り返り、「私は“夢”を取りました」と表現した。

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■乳がんで実感「命にはタイムリミットがある」希望を持つための“将来に繋がる行動”

――新著「生きるために、捨ててみた。」では、だいたさんが普段の生活で行っている“お片付け”について向き合うことから始まります。そもそも、片付けに目覚めたきっかけは何だったのでしょうか。

私、もともと買い物が大好きで、以前は家の中がモノで溢れていたんです。でも、40歳の時に乳がんと診断されてからは、自分にもしものことがあった場合、残された家族に迷惑を掛けたくないと考えるようになりました。

――なるほど。掃除を始めたきっかけは乳がんだったんですね。

そうなんです。乳がんになって、人間には時間が平等に与えられていること、命にはタイムリミットがあることを実感しました。それからは、「今をどう大切に過ごすか」と、過去ではなく未来のことに集中するようになったんです。一人で考えても「もう死んじゃうかもしれない」と絶望するだけで、絶望を治すのは希望しかない。希望を持つためには、将来に繋がる行動が必要だと思いました。じゃあ自分は何をしようかとなった時に、一番手軽にできそうなことして掃除を選んだんです。

■がん告知を回顧「最初はヤブ医者だと思った(笑)」乳房摘出も「寂しさは最初だけ」

――2016年に、がんだと告知された時はどんな心境でしたか。

私、最初はヤブ医者だと思ったんですよ(笑)。クイズ番組の早押し問題くらいサッと触っただけで「右にしこりがある。乳がんの可能性があります」って言われたものだから、信じられるわけがなくて「何言ってるんだろう?」という感じでした。でもその後、細胞を取って確認したらやっぱり悪性だとわかり、お医者さんから「早く手術をしたほうがいい」と言われるうちに、ようやく「これはほんとなんだ」と理解できましたね。

――乳がんの治療として右胸を摘出する判断をされましたね。

最初は寂しい気持ちもありました。これまで数十年間、ずっと助さん格さんみたいにずっと一緒にいたわけですから。けど、がんだと告知されてから、うつ伏せで寝てるだけでも、全身にがんが回ってしまう怖さをなんとなく覚えるようになって。なので、寂しさは最初だけで、すぐに早く切って欲しいという気持ちに変わりました。

■がん治療をストップ「死んでもいいからやってみたい」不妊治療再開「私は“夢”を取りました」

――がんだと告知される約2年前の38歳からは、不妊治療を始めていますよね。

はい。独身時代は子供が欲しいと強く思ったことはなかったのですが、38歳の誕生日に結婚してからは、「年齢的になるべく早く授かりたい」と思うようになっていたんです。そして婦人科の病院に行って、不妊治療を開始することを決めました。タイミング法から始めて様々な方法を試しましたが、どれもうまくいきませんでした。

――がん治療中、不妊治療はどうされていたのでしょうか。

中断してました。不妊治療はがん治療と真逆のアプローチで、強制終了というかたちでしたね。右胸を全摘出して終わりだと思ったら、今度は、リンパ節への転移がわかって抗がん剤治療をやらなきゃいけなくなったんです。抗がん剤は、全身を攻撃するものだから、子宮もダメージを受ける。年齢的にも、その治療の流れで閉経する可能性があると言われて、「ああ、もう不妊治療はダメかな」と思いましたね。

――その後、2019年1月には乳がんが局所再発して摘出手術を行っています。

あの時は完全に諦めました。抗がん剤治療の後、生理がちょいちょい戻ってきていたので、もしかしたらこのまま何事もなければ…とかすかな希望を抱いていたのですが、再発して何回も放射線治療をすることになって、踏んだり蹴ったりだなと。まあ、夫と二人、仲良く暮らしていく人生も悪くないと考え始めていました。

――そして今年の5月、妊娠を報告されましたが、そこまでの流れも教えてください。

実は40歳の時に凍結した受精卵を、一つだけ残しておいていたんです。凍結卵って1年に1回、「延長しますか?延長料金を払いますか?」っていう通知が来るんですよ。私は凍結卵を破棄する気がまったくなかったし、だからこそ、何十年後かに「こんなにお金を払って、なんで40代のあの時に勇気を出さなかったんだろう」と後悔するのかなとも思いました。だったら悔いが残らないように、ちょっと寿命が縮まっても、死んでもいいからやってみたいなと。それで、2020年10月に乳がんの治療を一旦ストップし、不妊治療を再開したんです。

――がん治療を中断することに恐怖はなかったですか。

いや、怖かったです。がんは一回かかってしまうと再発・転移が常に頭の片隅にあるものですし、もちろん治療をやめるとリスクも上昇します。それに、卵を戻したからといって妊娠する可能性は高くはありません。でも、どうせ再発や転移のことを気にするんだったら、夢を持って気にしていたほうがいい。「もしかしたら妊娠するかもしれない」という希望を持って生きているほうが毎日楽しいですし、再発・転移への恐怖が自然と薄れてくるんです。そんな感じで、一種の賭けみたいなものですが、私は“夢”を取りました。

■妊娠に「奇跡が起きたという実感」、激動の40代で心境変化「命はどうでもよくない」

――そして、今年5月14日に受精卵を体内に戻し、5月21日に妊娠判定が出たわけですね。その後の数か月を振り返ってどう感じますか。

奇跡が起きたんだなという実感があります。私、もともと人間ってあまり好きじゃなかったんですよ(笑)。だからモノに執着して、捨てられなかったという側面もあります。でも妊娠を通して、「みんな奇跡的に生まれてきて、すごい確率の中で一人ひとりと出会っているんだ」と考えるようになって、人を嫌いになりにくくなった気がします。あと、自分のことも可愛がれるようになりました。昔は自分のことが嫌いだったんですけど、いい感じで身体も40歳まで元気だったし、好きな仕事もできたし、十分じゃないかなと。そんな感じで欲張りじゃなくなりました。

――出産予定日は来年1月30日です。現在はどのような心境ですか。

妊娠初期はとにかく怖くて。ゴールが見えない中、濃霧の中を「大丈夫か…大丈夫か…」と一歩ずつ綱渡りしている感覚でした。今はワクワクが大きいですね。

――乳がん、不妊治療、妊娠などを経験した40代の6年間を振り返っていかがでしょうか。

心が忙しい6年間でした。20代~30代の仕事が忙しかった頃は、肉体的に忙しかったけど、40代はがんのことも知らなかったし、妊娠がこんなに難しいことだとも知らなかった。知らないことだらけでアワアワしているうちに過ぎていきました。そして、“どうでもよくないこと”もあるんだなと思い知らされました(笑)。やっぱり、命はどうでもよくない。私、基本的に痛い目に遭わないと気付かないみたいで、病気や不妊治療を経験して、大切なものが明白に分かるようになりましたね。

文=こじへい

だいたひかる/※提供写真