(町田 明広:歴史学者)

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大河ドラマと幕末維新

 2021年度の大河ドラマ「青天を衝け」が終了した。コロナ禍による放送開始の遅れや、東京オリンピックパラリンピック期間中の中断があるなど、関係者の皆さんのご苦労は、言葉では言い尽くせないのではなかろうか。筆者は全41回をすべて視聴したが、見応えのある素晴らしいドラマであったと感じている。

 本作に併行して、「渋沢栄一と時代を生きた人々」を27回にわたって連載させていただいた。今回は特別編として、私の主として幕末を扱った「大河ドラマ論」をお届けさせていただくことにした。締めくくりの回として、お付き合いいただければ幸いである。

 大河ドラマは、1963年(昭和38)の「花の生涯」から始まり、再来年2023年(令和5)の徳川家康までタイトルが公表されている。この計62作のうち、幕末を描いたのは「青天を衝け」を含めて15作品であり、およそ4本に1本に及んでいる。戦国時代の25本には遙かに及ばないものの、かなりの本数である。それにしても、戦国と幕末で全体の65%! やはり人気の時代である。

 しかし、その間の幕末維新期の大河ドラマは、等間隔で取り上げられたわけではなかった。「獅子の時代」(1980、昭和55)から「翔ぶが如く」(1990、平成2)までは10年、そこから「徳川慶喜」(1998、平成10)まで8年も空いたことがあった。それが「篤姫」(2008、平成20)以降は2、3年に1回は幕末が対象となっており、非常に増加していることが分かる。

 さて、その理由は何であろうか。最大の要因は、「篤姫」の大ヒットがあるのではないか。平均視聴率が24.5パーセントを記録しており、それまでの幕末は数字を取れないという定説を覆したのだ。

幕末大河の変遷

 どのような作品があったか、少し挙げてみよう。途中で主役が交代した「勝海舟」(1974、昭和49)、大村益次郎を中心に吉田松陰高杉晋作などの群像劇「花神」(1977、昭和52)、西郷隆盛大久保利通の友情と対立を描いた「翔ぶが如く」、満を持して42年ぶりの龍馬登場!の「龍馬伝」(2010、平成22)、吉田松陰の妹を主人公にした「花燃ゆ」(2015、平成27)、明治維新150年にちなんだ「西郷どん」(2018、平成30)など、維新を成し遂げた薩摩藩、長州藩や土佐藩から描いた作品が目立つ。一方で、負けた側からみた幕末史は「勝海舟」や「徳川慶喜」と、やや少ない印象がある。

 ちなみに、マイベスト大河であるが、「花神」「勝海舟」「翔ぶが如く」がベストスリーである。どうしても、幕末大河に偏ってしまうのが、そこはお許しいただきたい。なお、「青天を衝け」はその一角を脅かす存在となった。それだけ、心に残る素晴らしいドラマと感じている。

「青天を衝け」の秀逸さ

 さて、「青天を衝け」である。幕末編について言えば、本作は渋沢栄一という人物を通して、農民から幕臣に上り詰める幕府側の人物から描いたことが新鮮であった。しかも、徳川慶喜を準主役のように位置づけ、渋沢の地元の血洗島の人たちも巻き込みながら、優れた青春群像になっていた。

 筆者のみならず、「青天を衝け」は非常に評判が良かったのではないか。その理由を筆者なりに考えると、何より良かったのは、きめ細やかな時代考証に基づき、脚本が史実を丁寧に扱っていることではないか。

 もちろん、ドラマはフィクションであるが、史実をベースにしたフィクションなのか、フィクションの上にフィクションを重ねているのかでは、大きな違いが生じてしまうと考える。事実は小説より奇なりと言うように、史実ほど劇的で物語性に富んでいるものはありえないと確信している。

 たとえば、「青天を衝け」で印象的に描かれた、渋沢が馬に乗る慶喜を追い掛けて出会うシーンについて、あまりに身分の違う渋沢の慶喜との拝謁は本来ならあり得ず、フィクションであろうと思った視聴者が多かったのではなかろうか。

 しかし、渋沢の回顧録「雨夜譚」によると、仕官前の拝謁を頑なに願い出たため、それに根負けした平岡円四郎の指示に従って、馬で遠出する慶喜を待ち伏せして追いかけたことを記している。その後もドラマのように、渋沢は度々慶喜と会うことができたのかは定かではないものの、そうであってもおかしくない範囲で描かれていた。史実をベースにしているからこそ、安心感があり楽しめるドラマになっているのだ。

尊王志士として奔走!?知られざる渋沢栄一の真実
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脚本と時代考証の重要性

 それ以外にも、脚本と時代考証の妙がドラマを引き締めた。例えば、池田屋事件や禁門の変といった、この時代の象徴的な出来事であっても、無理に渋沢を立ち会わせたりさせない。江戸城が出てくる場面では、小道具の衣服や家紋を徹底的に考証している。

 堤真一さん演じる平岡円四郎が住む長屋も、当時の江戸の風景を見せる工夫をしていることがうかがえた。ワンカットのような、ぱっと通り過ぎてしまいそうなシーンでも、こういった丁寧な見せ方により、時代の息吹をきちんと伝えようとする努力に感服した。

 個人的な推測の域を出ないが、昔の大河ドラマは殺伐としていると感じるほど、史実に基づいて描いていたが、最近はフィクションの要素が強まっていると感じていた。たとえば、「西郷どん」で描かれた禁門の変において、家老である小松帯刀が一藩士に過ぎない西郷隆盛の前でひざまずいている、絶対に起こり得ない場面があった。そういう場面になんとなくでも違和感を覚えてしまうと、なかなかドラマを楽しめなくなってしまう。

 特に、幕末はわずか150年ほど前の話であり、研究者も多く、史実が知れ渡っている時代であることは間違いなかろう。今回の「青天を衝け」では、不自然な物語を入れなかったところに、筆者は非常に好感を持った。

主人公として抜群であった渋沢

 今回の「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一は、実は幕末維新期を語るのに非常に適した人物であった。渋沢は農民出身で、尊皇志士になって攘夷実行を画策していたのに、ひょんなことから一橋家(一橋慶喜)に仕官して武士となってしまう。さらに、慶喜がこともあろうに宗家を継いで、しかも将軍になったことで、渋沢はとうとう幕臣になってしまった。

 一介の農民が武士に身分変更を果たし、さらに武士として幕臣にまで登り詰め、幕府の瓦解後には静岡藩(徳川家)の家臣となり、明治新政府(民部省・大蔵省)に出仕して「官」の一員となった。しかし、「官」を辞して「民」として実業家の道を歩み、富国強兵・殖産興業に尽力したのだ。

 渋沢が劇的に階層や身分、立場を変える経験をして最後には新生国家の民間人に、そして経済界の重鎮になるという一連の流れは、日本の近世から近代への移行期に重なり、幕藩体制(封建国家)から欧米的近代国家(立憲国家)への大転換期であった。渋沢の生涯は、まさにその疾風怒濤の時代を体現する唯一の人物と言えよう。

 知名度では、同時代の著名人に比べて後塵を拝するかも知れない渋沢ではあるが、近代日本を描くにはもってこいの人物である。渋沢を知ることによって、日本の近代のスタートやその後の在り方を学ぶことが可能であり、現代に生きる日本人に様々な示唆を与えてくれる傑出した存在、それが渋沢なのだ。

大河ドラマの功罪

 最後に、歴史の研究者として大河ドラマの功罪は何かを考えてみたい。「罪」は、史実と違うことが事実のように受け止められて、一人歩きをしてしまう危うさである。一方で、「功」は扱われる対象に関心が高まり、研究や史料の発見が進むことである。また、隠れた逸材やいつの間にか忘れられてしまっていた人物にも、スポットが当たるようになり、「再発見」されることもある。

 古くは、「勝海舟」のときに萩原健一さんが演じた岡田以蔵、比較的最近では「篤姫」で瑛太さんが演じた小松帯刀であろう。小松について言えば、研究者ですらノーマークであった嫌いがあり、大河ドラマで知って関心を持ち、評伝を書いてしまったという話すらあるようだ。

 今回で言えば、そもそも渋沢栄一もそうだが、堤真一さんが演じる平岡円四郎ではなかろうか。平岡は活躍した期間は短いものの、この時期では、橋本左内らに匹敵するような人物だったのではないかと関心が高まっている。こういった発掘につながることでも、大河ドラマは大いに期待できるのだ。

知られざる偉人・平岡円四郎が一橋慶喜に気に入られた意外な理由
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65340

 

 大河ドラマは、日本の文化だと思っている。地域興しもあいまって、誘致合戦もあるようだ。以前ほどのパワーはないかも知れないが、やはり大河ドラマは侮れない存在であり、愛すべき仲間である。筆者も一視聴者として今後も見続けていきたい。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  渋沢栄一の生涯を知れば近代日本の流れがわかる

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