多数のフリー女性アナウンサーが所属する芸能事務所「セント・フォース」とWEBザテレビジョンがコラボした月イチ連載「Museの素顔」。本連載では、多くの情報・報道番組やバラエティー番組、さらにはCMやモデルといった幅広いジャンルで活躍中の「セント・フォース」所属の女性アナウンサーに、仕事に懸ける真摯な思いから、テレビからは伺い知れないパーソナルな一面まで、彼女たちの魅力や素顔に迫っていく。

【写真を見る】その美しい瞳にうっとり…2021年も大活躍の鷲見玲奈  

■第4回は2021年、ドラマ出演や写真集の発売などマルチに大活躍の鷲見玲奈アナ

第4回は、テレビ東京のアナウンサーからフリーに転身後、バラエティー番組やドラマ出演など、新しいことに果敢に挑戦し続けている鷲見玲奈アナウンサー。2020年4月、図らずもコロナ禍となってしまったフリー転身前後の心境のほか、話題となった写真集の発売をはじめ、大活躍だった2021年を振り返っていただきつつ、今後の目標や充実のプライベートについても話を聞きました。

■やりたいことが見つからなかった学生時代。気付きのきっかけは母親の一言

――アナウンサーを目指したきっかけを教えてください。

漠然とテレビへの憧れはずっとあったんです。そもそも、お芝居がしたくて、高校から大学時代までは芸能事務所に入っていました。就職活動の時期になって、両親から「社会人経験を積んでほしい」と言われて、会社説明会に行ったんですけど、いまいちピンと来なかったんです。それまで、進学校の高校に行っていたし、周りの皆が行くからとりあえず大学に行く、みたいな感じで流されるように生きてきたので、急に自分の道を選択しなくてはいけなくなったとき、何も選べませんでした。自分が何をしたいかも分からないし、何が合ってるかも分からない。親にも「やりたいことがない」というような話をしたら、母から「就職の面接に役立つかもしれないから」とアナウンススクールを勧められたんです。

――それまでアナウンサーは選択肢にもなかったんですね。

そうなんです。スクールで現役のアナウンサーの方の講義を聞いて、「アナウンサーって今からでも目指せるものなんだ」って初めて知って。まず、会社員ということも知らなかったぐらいです。でも、やっぱりお話されている姿は、すごくキラキラして楽しそうで、充実している感じが伝わってきたので、「アナウンサーになりたいかもしれない」って。そうなってくると、今までの自分の経験が全部つながってくるなって思えたんです。それまで私、いろんな習い事や経験をしてきたけど、全部中途半端に終わってしまって。それがコンプレックスでもあったんですけど、アナウンサーは広い視野と好奇心を持って挑戦していくという仕事でもあるから、私に合ってるかもしれない、と気付いて。そこからもう、「何としてでもアナウンサーになろう」と頑張って勉強しました。

――そこからアナウンサーの方に注目するように?

はい。当時、「ズームイン!!SUPER」(2001年~2011年日本テレビ系)をやっていた西尾由佳理さんを見て、漠然とではありますが、「あぁ、すごく素敵だな。こういう人になりたいな」と思っていました。

――主にテレビを通してですが、“人前に立って話す、伝える”ということに対しては苦手意識はなかったんですか?

あまりなかったですね。むしろ、小さい頃からピアノや詩吟を習ったり、学校で学級委員長応援団長、指揮者などをやったり、人の前に立って何かをするのがすごく好きだったので、この性格も役に立つなと思いました。ただ、いざアナウンサーになってみると想像と全然違って、自分って実は、すごく“緊張しい”なんだなって思いましたね。

■“新しいことに挑戦したい”フリー転身1年目から幅広いジャンルで活動

――‘13年にテレビ東京に入社し、’20年3月まで7年間、アナウンサーとして、スポーツ番組やバラエティー番組など、多岐にわたるジャンルで活躍されていました。振り返ってみて、その経験は鷲見さんにとってどんなものになっていますか?

スポーツ中継に臨むための取材はすごく頑張りました。放送で使われるかどうかも分からない状態で、早朝、仕事前に空港に行って選手を待ち構えて取材する…というような“足で稼ぐ”ことは多かったです。あと、中継ものの大会では、もし放送中にトラブルがあったとき、その場をつなぐために取材をしておくとか、実況の先輩たちに提供するために選手のインタビューを文字起こししたり、選手にインタビューして資料を作ったり…とにかく体育会系でした。もちろん雑用もたくさんやったので、社会人経験として、すごく良かったなって。華やかな場所だけだったら、勘違いしていたかもしれないなって思います。

――そういった下準備の経験はフリーになってから活きていますか?

局アナ時代はちゃんと準備や調べる時間を与えてもらっていたというか。逆に今は、前日に台本をいただいて「あ、これを私がやるんだ」みたいなこともあるんです。とっさに振られてフリートークしなければいけないこともありますし。そういう意味では、脳の使う部分が全然違う感覚です。活かされていることというと、局アナとして番組制作の一員として携わっていたので、制作スタッフの方が、どんな準備をして、どんな視点で演者さんを見ていて、どういう思いで構成しているのか。そういった裏方の立場がある程度理解できている、というのは、すごく良かったなと思います。

――鷲見さんがフリーとして活動を開始した‘20年4月頃は、コロナ禍で緊急事態宣言が出ていましたね。どんな心境でしたか?

4、5月は、決まっていた仕事もなくなって、仕事がない状態だったので、「どうなるのかな…」という不安な気持ちはありました。でも、世界的にそうだったこともあって、“人生の夏休み”と前向きにとらえて、局アナ時代、すごく忙しくしていたので、とりあえず心身ともに、ゆっくり休めるための時間にあてよう、と。仕事が始まったときにエピソードとして話せるようなことがあったらいいかな、といろいろ興味を持って手を付けてみましたが、結局何も続きませんでした(笑)。

――その後、コロナ禍ではありながら、徐々にテレビ業界なども動き出しました。フリー1年目の‘20年はどんな1年でしたか?

そもそも明確な理想像が描けていたわけではなく、ただただ“もっと新しいことに挑戦したい!”と思って会社を飛び出したので、そういう意味では、思っていた以上に、いろんな経験をさせていただいたなと思います。一日一日、いただいた仕事を頑張っていたら、すごく充実した1年を過ごせた感じがします。

――充実の1年目を経て、‘21年は、ドラマ出演や写真集発売など、また新たに活動が広がり、飛躍の年になったのではないでしょうか。

お芝居は、高校・大学時代にやりたかったことが一周回って、こういう環境でやらせてもらえるってすごいことだなって思いました。とはいえ本業ではないので、周りに迷惑をかけないように、という思いが強かったんですけど、とても新鮮でした。撮影方法も、当然ながら想像できないようなものでしたし、役づくりや表現の仕方も、とにかく本当に難しかったです。ドラマは好きで普段よく見ていますし、もともと映画が大好きで映画館でアルバイトをしていたんですけど、演じる経験をさせていただいたことで、映像作品を見る目がまた変わりました。

■自分自身の“見せ方”や“見られ方”の難しさを痛感した1年

――話題を呼んだ写真集「すみにおけない」(集英社)は“ファースト&ラスト”だと決められていたそうですが、どんな思いで挑戦されたのですか?

ファンの方や家族、友達が見て、喜んでくれるような写真集がいいなとは思いましたが、一番は、ファンの方に“会いたい”とか“感謝を伝えたい”という思いですね。むしろ、そういう機会を持ちたくて、発売イベントをするための写真集と言ってもいいかもしれません。7、8割はそういう気持ちで、残りは、記念として出しておきたいな、っていう。今の自分の写真を作品として残せるってなかなかない機会ですし、本当にありがたいお話だったので、ぜひやらせていただきたいなと思いました。

――ご自身もいろんな写真集を持っていて、読者としての目線も撮影に反映させたそうですね。

そうですね。それで体重を少し、増やして臨みました。撮影にあたって、どうしたらいい絵が撮れるんだろうって思いながら、家の鏡の前で「こうかな、こうかな」ってポーズとか表情を結構、試しました(笑)。現場でも、鏡があったので、「ちょっと待ってくださいね。こうかな? じゃあ、これでいきます」と確認しながら。やっぱり自分ではできていると思っても、写真で見ると違うものですよね。

――そうして“自分を見せる・伝える”という機会は、フリーになってとても増えたのでは?

増えましたね。自分の見せ方・見られ方って、本当に難しいなと、この1年で痛感しました。局アナ時代は、情報を伝える仕事なので、どんな風に見られようとあまり気にしていなかったので。例えば、私が言ったこと・やったことが、自分の意図と違うように伝わってしまったり、私はそういうつもりはまったくなく、自然にしていたのに、オンエアで自分のことを見たときに、“何だかイヤな表情をしているなぁ”って思ったり…。自覚しているものでは、何かをすぐに目で追ってしまう癖があって。モニターの画面が切り替わることに対して毎回反応しちゃうし、カンペが出されると、別の人のためのカンペでも見ちゃうんです。たぶん局アナの時代の癖なのか、条件反射で見てしまって。“気をつけなきゃ!”と思うことはまだまだたくさんあります。

――SNSでの発信もとても積極的に行っていますが、局アナからフリーに立場が変わったことで、発信する意識や、ファンの方との交流の仕方も変わりましたか?

変わりましたね。写真集のイベントをやらせてもらったんですけど、そこで初めてファンの方とご一緒して。今でも、「あの人、元気かなぁ…」なんて思い出すんです。すごくいい経験になりましたし、自分を応援してくれている人が本当にいるんだ、っていう実感がすごく湧いて、モチベーションにつながりました。

――テレビの向こうの視聴者ではなく、初めてちゃんと個人とつながった感覚が。

ありました。落ち込んだときには、“この方たちが応援してくれてるから大丈夫”と思うようになりましたし、本当に支えてもらっているなという気持ちは強いですね。あとは、SNSのコメントを拝見すると、本当にいろんな方に反応をいただいて。プラスになるときもたくさんありますし、もっと頑張らないとなって気が引き締まるときもあって。局アナ時代よりもそういうところに目を向ける機会は増えたように思います。今は何と言いますか…自分自身が“商品”みたいなものですよね。不思議な感じがするなと思いながら、でも応援してくださる方がいる以上、喜んでもらいたいなと思うので、期待に応えられるように何事も1つ1つ頑張っていきたいですね。

■目指せ100切り! 現在はゴルフの上達に奮闘中[/HEAD] 

――写真集や雑誌のグラビアもそうですが、とても健康的な美しさが印象的です。鷲見さんが美しさを磨くために心掛けていることはありますか?

何でしょう…基本的なことだと思うんですが、自分を知るっていうのはすごく大事だなとは思っています。似合う体型って人それぞれだと思いますし、例えばスレンダーなモデルさんを見て、「わぁ、素敵だな」と思って、頑張って痩せても、骨格が違うので、その人の体型にはなれない。私はガリガリすぎてもダメだし、あんまり太くてもダメで、自分の中で“このぐらいがいいな”っていう理想の体重があるので、それをちゃんと把握して、キープする努力をします。自分のことを知らないとアプローチもできないので、とにかく自分に合うものを見つける。自分に合った体型で生きていきたいですね。

――プライベートでは今、ゴルフにハマっているようですね。

めちゃくちゃ頑張ってますよ~! 今思えば、ゴルフも今年の大きな出合いの一つでした。たまたま事務所の方に声を掛けてもらって一緒にゴルフに行ったんです。それまで、コンペで1、2度回って、いっぱい叩いてしんどかった経験があるので。もういいかな…と思っていたのですが、行ってみたら、いろいろアドバイスをもらいながら、わりといい感じで回れたんですよ。それで「楽しいかも!」と思って、インスタで「やろうかな」みたいな話をして、ゴルフウェアとかもアップしていたら、ゴルフの番組のお話をいただきました。そこからはトントン拍子で番組が決まったり、テーラーメイドさんのスポンサーが決まったり。家族や友達にもやっている人が多いし、一生続けられるスポーツなので、本当にうまくなりたいっていう気持ちが今、仕事以上にあるかもしれないです…(笑)。

――続かないのがコンプレックスだともおっしゃっていましたが、ゴルフの手応えはいかがですか?

まだ1年も経っていないんですが、続いている方です。しかもネガティブなイメージがあったところからなので、よく続いてるなと。今、本格的にちゃんと通って、練習しています。昨日(※取材前日)もラウンドに行って、終わってからまた練習場に行って練習して…。

――かなり熱心ですね! スコアの目標というのもありますしね。

そうですね。運動神経はもともといい方だと思っているんですが、だからといって上手くできるわけではないし、奥が深いスポーツだなと思っています。テーラーメイドさんの企画で、半年で100切りをめざしているので、引き続き頑張ります!

――ほかに最近のマイブームはありますか?

カメラにハマっていて、特にフィルムカメラで写真を撮るのが好きなんです。インスタのアカウントは最近ちょっとサボり気味ですけど(笑)、カメラはもうちょっと頑張っていきたいですね。

――どんなものを撮りたい、というのはあるんですか?

ポートレートを撮りたいです。フィルムカメラって、人だけじゃなくて、そのときの空気とか雰囲気まで閉じ込められる気がして、素敵だなぁって。それで最近、「週刊プレイボーイ」さんの企画で女の子を撮らせてもらっていたものが、デジタル写真集「スミ撮。」として発売されました!

――写真集では被写体だった鷲見さんが、今度はカメラマンデビューですね! 

そうなんです! 自分で言うのも変ですが、ちょっとすごくないですか? だから、カメラも続けて頑張りたいなって。今欲しいカメラがあるんですけど、最近のフィルムカメラブームでちょっと価格が上がっていて…悩ましいところです。

――お忙しい日々ですが、普段、休みの日はどんな過ごし方をすることが多いですか?

最近は溜まっていたドラマを見たり、大好きなNiziUのグッズ整理をしたり…あとはやっぱりゴルフの打ちっぱなしとラウンドに行くのが、今は一番多いかもしれないです。

――ちなみに、年末年始の定番の過ごし方や、印象深い思い出は?

局アナ時代は、わりと年末は中継ものがあったので、年明けに実家に帰って、家族と過ごすことが多かったですね。思い出というと、2年前、初めて海外で年越ししたんですよ。両親に「ごめん!今年は海外に行きたい」って言って。長期で休みが取れたのもあって、友達と相談して、近場で盛り上がりそうなところがいいということになり、韓国へ。日本と全然違ってすごく派手でした。タワーのビルに数字が表示されてカウントダウンして、年明けの瞬間、花火がバーッ!ってあがる中、「ハッピーニューイヤー!」って盛り上がる、みたいな。花火の火の粉が降ってきて、熱くて走って逃げたのもいい思い出です(笑)。アメリカのニューヨークとか、よくテレビで見ますけど、すごいですよね。いつか行ってみたいです。

[HEAD]自分のことを支えてくれる人のために、日々頑張る

——では最後に、言葉を生業にするアナウンサーということにちなみ、「仕事で大切にしている言葉」、「誰かに言われた心に残っている言葉」、「好きな言葉」、この3つを教えていただけますか?

■仕事で大事にしている言葉:人を大切にする

本当にいろんな方とお会いできますが、その場だけになってしまうことも多いので、一つ一つの出会いを大切にして、仕事に向き合わないといけない、と思っています。番組そのものもそうですし、スタッフさんや共演者の方も。少しでも多くコミュニケーションを取るなど、意識して取り組んでいます。やっぱり一緒に仕事するのは“人”なので。人を大事にしていきたいなと思っています。そして「また一緒に仕事したいな」って思ってもらえるような人でいたいなと思います。

■誰かに言われた心に残っている言葉:僕たちは運命共同体だと思っているので、何かあったら何でも言ってくださいね

ちょっと仕事でいろいろあったときに、マネジャーさんたちに言っていただいたんです。フリーってやっぱり心細いじゃないですか。一人で頑張らなきゃいけないっていう気持ちがすごくあったんですけど、ここまで一生懸命になって考えてくれてる人たちが近くにいるんだって思ったときに、“この人たちのためにも頑張らなきゃ”ってより思えました。

■好きな言葉:禍福は糾える縄の如し

最初に聞いたときは頭の中が「?」になったんですけど、ずっと心に残っているんです。私が進行を担当した講演会で、登壇された方がおっしゃっていた言葉で。いいことと悪いことは、縄のように交互にやってくる、と。だから、落ち込んでつらいときだって、いいことは必ず巡ってくる、という意味ですね。私、「この言葉、座右の銘にしよう」って思ってもすぐ忘れてしまうタイプなんですけど(笑)、この言葉は素敵だなって思って、覚えました。

鷲見玲奈 プロフィール

すみ・れいな=1990年5月12日生まれ、岐阜県出身。B型。現在は「炎の体育会TV」(TBS系)にレギュラー出演するほか、多数の雑誌のグラビアを飾るなど幅広く活躍。自身が撮影した「週プレ プラス!写真集『スミ撮。』2021.9~2021.11」がデジタル限定で発売中。

交流のある同事務所所属のアナウンサーは「岡副麻希ちゃん、馬場ももこちゃん。最近一緒にお仕事したこともあり、今井美桜ちゃん、高木由梨奈ちゃん、田﨑さくらちゃんとも会っています。あと、モッチー(望月理恵)さんは、SNSでは結構やりとりさせていただいているのですが、まだお会いできていないので、2022年はぜひ会いたいです。ゴルフもされるとおっしゃっていたので、いつか一緒に回りたいな。実は、この連載のモッチーさんの記事を読んで、いつも機嫌のいい人でいたいって。『めちゃくちゃ分かる、私もそう思ってる。でもできない』と思っていました。私、感情がとても顔に出やすいんです。凹んでいるときは暗いし、周りがすぐ分かるレベルで。といっても、あまり引きずらないタイプなので、それはそれで、自分にできるスタンスで無理のないようにいようと。理想は、モッチーさんのような“機嫌のいい人”でいたいんですけど、たぶん自分はできないので…。だから、せめて引きずらないようにしようって思っています」

文=四戸咲子

第4回は2021年も多数のテレビ出演、写真集の出版などが話題を呼んだ鷲見玲奈アナウンサー /撮影=下田直樹