(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授

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 正月早々、韓国の大統領選挙が大騒ぎになった。1月3日、保守系最大野党の「国民の力」で選挙対策委員会を構成する主要メンバーが揃って辞意を表明したのだ。

「国民の力」の大統領選候補は、元検事総長の尹錫悦(ユン・ソギョル)氏である。尹氏と「国民の力」代表の李俊錫(イ・ジュンソク)氏の間で確執があると報じられてきたが、ここに来て李代表の側近たちとの対立もついに表面化した。それに伴い、李代表の責任論も浮上している。

 これを受け、対する与党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)候補は、「当選した暁には韓国経済を飛躍的に成長させる」などの発言で攻勢をかけている。これまで2人の支持率は30%台で拮抗していたが、李候補にしてみれば、支持率をアップさせるまたとないチャンスである。

 尹候補をめぐる今回の事態は、ある程度予想できていた。というのも、公認候補になる前から様々な不安材料があったからだ。

 たとえば大統領選挙への出馬意思を表明していない時期から何度か失言を繰り返してきた。家族の疑惑も絶えない。義母が通帳残高証明書偽造疑惑で懲役3年の実刑判決を一昨年(2020年)7月に受けていた。また、昨年9月には妻の博士論文に関する不正疑惑が取りざたされ、さらに経歴疑惑まで持ち上がった。

 しかしその一方で、李候補にも家族の疑惑が絶えなかった。それが2人の支持率が拮抗した最大の理由である。

「誰を選んだらいいかわからない」

 とはいえ、疑惑はあくまでも疑惑だ。確定したわけではない。今のところ、大統領になるのは2人のうちのどちらかなのだから、有権者としては成り行きを見守るしかない。昨年の12月上旬までの韓国社会はそんな雰囲気に包まれていた。

 ちょうどそのころ、私は今年度最後の授業をしていた。コロナ禍なので、対面授業は卒業学年のみで実施されていた。残すは期末テストだけとなって、それが過ぎれば、恐らく卒業式は対面では行われないであろう。だから、これで学生の顔も見納めとなるに違いない。学生もこの2年間ほとんど対面授業が行わなかったことがあるのだろうか、感慨深そうで、物淋しそうな表情をしていた。

 さて、そろそろ何か一言付け加えて授業を締めようかと思っていたら、そういえば学生の多くは大統領選挙で初めて投票できるのだということに気が付いた。そこでふと、こんな言葉を学生たちに投げかけた。

「いろいろあるようですが、今度の大統領、きちんと選んでくださいね」

 ところがこの発言をしたとたん、学生たちの表情が一斉に虚ろになったのだ。

 予期せぬ反応に戸惑っていると、「誰を選んだらいいか全くわからないんですよ」と一人の学生が呟いた。ほかの学生たちは頷いていた。

 前回の大統領選挙のときは、朴槿恵大統領の疑惑で、多くの人が政権交代を望んでいた。候補者だった文在寅ムン・ジェイン)氏は社会の不公正と戦うイメージを打ち出しており、若者も進んで投票に行っていた。

 ところが今回の大統領選挙は、まったく状況が違う。有力とされる与野党2人の候補には、疑惑が絶えない。そのため、本当に国家元首を任せられるのかわからず、選挙の話をされると困惑するというのだ。しかも、候補者たちの間で政策議論もない。それどころか、各候補がどんな政策を掲げているのかもよくわからないと話していた。

 そういえば私自身も、各候補者の政策については断片的に報じられてある程度は知っているものの、全体像を説明しろと言われると、うまくできる自信はない。そんな状況で「大統領として誰を選びますか?」と聞いても、無党派層であれば回答に窮してしまうのが関の山だろう。

 私は学生の言葉に妙な納得をしながら、安堵感に包まれていた。幸いなことに、外国人である私には大統領選挙の選挙権はない。 疑惑の人物が選挙に立候補するというのは日本でもあるが、それでも、そうした人たちの中から国家元首を選ぶのは、私には重荷過ぎる。「韓国人でなくてよかった」と、心底思う。

「スロースターター」安氏が巻き返すか

 年末に差し掛かると、2人の有力候補のなかで拮抗していたそれまでの勢力関係が急変した。

 それまで幾度となくささやかれていた尹氏の側近と李代表との対立が12月22日に表面化し、党内は内乱状況にあると報じられた。さらに26日には尹候補の妻が会見を開き、経歴詐称を認めて謝罪。2007年に兼任教授として就任した私立大学に提出した書類の中で、職歴や受賞歴について「よく見せようと膨らませ、間違って書いたものもある」という。

 この謝罪会見を見た「国民の力」のある支持者は、前法務部長官の曺国(チョ・グク)氏を引き合いに出し、娘の入試などで不正を行った曺氏の妻と「やってることが同じ」だとして、このままだと尹氏には投票できないと声を荒げていた。

 このような状況下で、選挙戦の勢力図に大きな変化の兆しが表れてきた。中道の「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)候補の支持率が上昇の気配を見せ始めたのだ。1月4日には「私だけが李在明候補に勝てる」と自信を示した。

 韓国の国会で「国民の党」の勢力は300議席中、3議席にとどまる。したがって通常であれば、ここまでの自信を持てるはずがない。だが、その発言にはある程度の根拠がある。「国民の力」と「国民の党」には、統一候補の擁立を求める声もあったからだ。今後、安氏が統一候補になる可能性も十分にあり得る。

 昨年3月に行われたソウル市長選挙では、安氏が身を引いて、タッグを組んだ呉世勲(オ・セフン)氏を当選へと導いた。そのため、保守派支持層の印象も良い。

 それに安氏は「スロースターター」を自認しており、政策議論がいまだに行われない今回の選挙は自分にとって有利だと思っているかもしれない。

 ともかく、投票日までおよそ2か月なのだから、そろそろ政策の全体像を国民に分かりやすいように提示してほしいものだ。なんでもせっかちな韓国にしては、ずいぶんと遅すぎる。

 ここへ来てにわかに三つ巴の様相を呈してきた韓国大統領選だが、荒れ模様はまだまだ続きそうだ。李候補には、甥の犯した殺人事件の弁護を担当したことに関しても疑惑がある。最近では遺族が損害賠償を求めて訴えたが、李候補の受領までに2週間かかったのだ。李候補の自宅へ送られた訴状を意図的に受け取らず、訴訟を遅らせる意図があったのではとささやかれている。

 大統領選はこれから一体どんな展開を見せるのだろうか。

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