最近、「自己肯定感」というキーワードを多くの媒体で目にするようになりました。専門家だけではなく、タレントや芸能人などがこぞって、「自己肯定感の上げ方」を解説するなど、ちょっとしたブームのようにも感じます。「いろんな自己肯定感の解釈があるものだ」と思いながらも、いまいちしっくりきていませんでした。

 そのような中、興味深い本に出会いました。精神科医の樺沢紫苑氏が紹介していたので手に取ってみました。「ドイツ人はなぜ『自己肯定感』が高いのか」(キューリング恵美子著、小学館)。ユニークなのは、ドイツ人を「自己肯定感」の視点から分析していることです。見えてきたのは「ありのまま」を大切にするドイツ流の生き方でした。

ノーメークが一番大切である

 結婚を機にドイツへ移住したキューリング恵美子さんは、ドイツと日本の文化・習慣・考え方の違いに触れ、毎日が驚きの連続だったといいます。日本では小さい頃から、「礼儀正しくしなさい」「人に迷惑をかけてはいけない」「思いやりの気持ちを持つ」などの道徳を教え込まれます。

 ほかにも我慢や忍耐を美徳とし、個性より調和が重視され「あうんの呼吸」「空気を読むこと」「何事も控えめ」が求められます。このようなしつけは自信を持ちにくくさせ、自己肯定感の低さにつながります。大人になってからも低い自己肯定感はそのままです。

 著者はドイツに移住してすぐに「ある違和感」に気付きました。近所でも街中でも、多くの女性がノーメークで過ごしている点です。日本では、身だしなみとしてメークをすることが当然として教えられますから、その衝撃はかなりのものだったでしょう。

 そして、友人や同僚に「なぜ、メークをしないのか?」と質問をしたところ、次のような答えが返ってきました。「えっ、普段はする必要ないし…なんでそんなことを聞くの?」。調べてみたところ、他者の評価や視線を気にしないことが分かったのです。当然、「私ってきれいでしょ?」とこびる人などいません。

 自己肯定感が高く、自分に自信があるからこそ、周りにどう見られているのか、どう思われているのかなど、問題ではないのです。大切なことは「自分の気持ちのあり方」で、ノーメークだろうと、自分の価値は何ら変わらないことを知っているのです。なお、著者が調べたところ、ドイツ語に「すっぴん」を表す言葉はないそうです。

ファッションを追う必要がない

 ドイツに移住後、ファッションについても驚かされたそうです。服装の流行などを追う人がいないのです。著者の夫は会社員ですが、毎日の通勤はジーンズにTシャツを着て、ウインドブレーカージャンパーを羽織るのが定番です。

 著者は仕事の関係でよく、州政府の外国人局にも行くそうですが、そこでも普段着がスタンダード。公務員でも普段着で仕事をしています。「公務員だから、決められた服装をしなければいけない」というものがありません。

 中には、高級ブランドで固めている人、リーゼントや革ジャンの人、フレアスカートをはいている人もいます。しかし、それは着飾るのではなく、「着心地がいい」「機能性に優れている」ことが重視されています。

 著者は次のように言います。「自分が他人にどう映っているのか、他人が自分をどう思うかなんて気にしない、ドイツ人の生き方が表れています」と。

グラスはつがず、サウナもすっぴん

 著者が食事に出掛けたとき、次のようなことがあったそうです。同僚のグラスが空きそうだったのでビールをつごうとしました。同僚は「まだ飲み干していないのだから、つがないで」と怒ります。ドイツでは、自分のタイミングで自分でつぐことが大切なのです。それ以降、お付き合いでは「一切、お酌をしない」ようになります。

 また、サウナは混浴が基本です。とはいえ、他人の視線は気にはなるものです。すると、夫に次のように言われたそうです。「なぜ、サウナに入るのに自分の体をいちいち隠すの? 隠していると、何か変わったところがあるのか興味を持って、かえって注目されるよ」と。サウナもすっぴんが基本だということです。

 整形外科では次のようなことがありました。著者が通訳で、学生に対して下着になるように伝えると嫌がるのだそうです。日本の整体では、下着になることが当たり前ですが、ドイツではわいせつ行為になりかねません。これも、日本人の感覚からすると驚きです。

「忖度(そんたく)しない」「残業しない」「休暇取得100%」「流行を追わない」「お・も・て・な・しはしない」「子どもの成績が悪くても責めない」。ドイツ人の生き方を通して、改めて、日本人の生き方を検証してみる。そのようなきっかけになる一冊です。

コラムニスト、著述家 尾藤克之

「自己肯定感」がちょっとしたブームに?