眞子さんの結婚に至る過程においてはマスコミ情報があふれた。

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 また、森喜朗・前2020東京五輪パラリンピック大会組織委員会会長は女性蔑視発言をしたとしてマスコミとそれに同調する国民の糾弾で辞任に追い込まれた。

 眞子さんの結婚については真偽綯交ぜての情報が入り乱れ、森氏の発言については問題化したいマスコミが発言の一部を切り取ったもので、その後の検証によると、発言全体はむしろ女性の活躍を称賛したものであることが判明した。

 今日では、SNSで容易に情報に接することができる。しかし、そうした情報はほとんどの場合、約められ、あるいは発信者の意図する方向への誘導目的で曲げられる可能性がある。

 本来の情報が逆転し、発信者があるいは受け取り手が期待する方向で、同意の「いいね」という形で拡散していく。これが世論調査に反映されることになる。

 今日はサイバー戦争の時代と言われるように、ロシアの偽情報がクリミア併合を容易にした。また、中露は先の米国大統領選挙に干渉したことも判明している。

 このように、いまや偽情報が氾濫し、また発信源は多様化し、自国からだけとは限らない。

 日本の世論を誘導したいと思う外国からも、国民の世論形成を意図した偽の情報がやってきて、国民の意思決定に他国の干渉が容易に行われる危険性が存在する状況である。

日本とは何か

 国民が住む領域や国民が形成する国家の主権が守られて初めて独立した国家と言える。しかし、領域に国民がいるだけでは烏合の衆にも似てまとまりがない。

 内戦などが起きるのは、国家をまとめ上げるカリスマ的人物や組織がないからである。

 幸い日本では肇国以来、権力が購えない、当初は大王などと呼ばれ、後には天皇と呼ばれる人物とそれを守る皇室が存在し続けてきた。

 国家の非常時にあっては、天皇は国民が我が身を擲ってでも守ろうとした至尊の存在であり続けた。これほどの団結が日清戦争日露戦争の勝利をもたらした。

 20世紀に入ると天皇制廃止を掲げた共産主義に対処するために大陸に出兵し、これが米英との戦争に発展した。

 戦争指導に当たる大本営は陛下を「大元帥」として迎え戦うが、兵站力の不足などから敗戦する。

 マッカーサー元帥の部下の一人であったボナー・フェラーズ准将は、「15年先、20年先に天皇制があろうがなかろうが、天皇個人がどうなっていようが関心はない。占領継続間は天皇制も存続すべきだ」と語っている。

 かつて権力を握った徳川家康らは万世一系の天皇を「権威」として崇めた。

 絶大な権力を手にした元帥は日本の歴史や天皇とは関りはなく、いとも簡単にその存在を消し去ることができる立場にあったが、天皇と会見して考えを一変させた。

 戦前は「国体」という言葉があった。すなわち天皇・皇室を中心とした日本ということであるが、戦後は主権が国民に移り、国体という言葉は使わなくなった。

 しかし、「日本」という場合、自然発生的な天皇・皇室があって、天皇が大御宝としての国民の幸せを祈られ、国民は天皇の祈りを大御心とみなしてきた。

 国民は大御心に包まれた大御宝であり、大御宝が支える天皇・皇室という、国民と天皇は切っても切れない関係が連綿と続き、天皇は男系男子で世襲されてきた。すなわち、君民一体が国柄である。

 天皇に男子がいないときは何代も遡った皇子が皇位を継承した。

 古代から慣例化してきた皇位の継承であったが、明治の欽定憲法で初めて成文化され、「皇位は皇男子孫之ヲ継承ス」と定められた。

 現憲法下でもこの規定通りに皇位が受け継がれてきたが、男子の誕生が少なくなり、安定的な皇位継承が危惧され、議論が続いている。

憲法改正は4項目でいいか

 ここ数年、憲法改正問題が政治と国民の関心事項で、常にテーブルに乗せようとしてきた。その内容も、安倍晋三政権で絞り込まれた4項目が暗黙の了解であった。

 国際情勢の緊張の高まりや災害などの頻発から、非常時に強権的に機能する緊急事態条項がまず挙げられ、そうした事態で主体的に行動する自衛隊に憲法上の地位を与える必要性が論じられてきた。

 非常事態に遭遇した場合は基本的人権の自由や権利を一時的に制限するなどが生じるし、また自衛隊は「身を賭して」任務の達成に邁進しなければならないから、緊急事態条項自衛隊問題はまさしく憲法事項である。

 他は合区の解消と教育の無償化の2項目があるが、これは憲法問題ではなく時代の状況に応じて法律で規定すればいいことではないかと筆者は思料する。

 ところで、こうした国民の犠牲の上で守ろうとしているのは何なのだろうか。

 国家は国土(領域)、国民、それに主権(独立の維持)で構成されるといわれるが、国民の犠牲の上に守るのは国土と主権だけであろうか。

 天皇は日本の国家と国民の歴史的・文化的な芯柱であり、俗に「天皇がいなくなれば日本ではなくなる」とさえ言われる。

 憲法の第1章は「天皇」であり、その第1条は天皇を「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」と明記している。

 いうなれば、天皇あっての日本であるということである。

 主権こそ国民が有するようになったが、日本という国家は象徴としての天皇を有しているということである。

 幸い、これまで天皇条項が問題になることはなかったが、いま議論されている皇位の安定的な継承問題が煮詰まった段階においては、大きな争点になるのではないだろうか。

 その際においては「国民の総意」が問われよう。

 先に挙げたいくつかの事例からも分かるように、国民世論にSNS上の「いいね」や外国のサイバー攻撃が影響を与えることは容易に想定される。

 その世論が「国民の総意」と見なされれば、大きな問題をはらむことになる。

 端的に言えば、日本を「日本でなくする」、いうなれば「破壊」に直面する状況が出現しかねないということである。

 国土や国民が安全に存続し続ける平時において、天皇がいなくなるという危険があるならば、緊急事態条項自衛隊云々の前に、あるいは同時に皇位の「存続」を議論し、憲法に明記すべきではないだろうか。

汲み取り難い「国民の総意」

 現憲法では天皇について「この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」となっている。

 冒頭で今日はサイバー戦争の時代と触れたが、昨年(2021)の自民党総裁選やその後の総選挙でもネットの活用が話題になった。

 ネットで好印象を植え付けることも容易になっているからである。

 眞子さんの婚約から結婚に至る諸々の事象については、皇室が発表したのではなく報道機関が発表し、宮内庁長官が後追い記者会見などを行ってきた。

 皇室発表ではないため、憶測が相当あったことは眞子さんの結婚会見時の発言からも明らかになっている。

 小室圭氏の6万字に及ぶ文書についても、直接かかわりのある秋篠宮皇嗣殿下が「あれを読んでどのくらいの人が理解できるか」と疑問視された。

 西村泰彦宮内庁長官は「非常に丁寧」「理解できた」と述べ、小室文書を是認する形になり、殿下の疑問を吹っ飛ばしてしまった。

 長官といえども天皇・皇室と心が通じていない現実を晒したのだ。

 作家で皇族の血を引く竹田恒泰氏は「産経新聞」令和4年1月24日付「正論」欄で、戦前の宮内省は天皇直属の機関で、皇室を守る役目というか皇室の真の姿を報知する機関であったが、戦後の宮内庁は皇室を行政的に管理するだけで「守る」任務はない。従って、マスコミが憶測や間違った記事を書いても、反論し訂正を要求することなどしないと書いている。

 また、氏は「メディアが多様化し、特に近年はSNSにより民間人一人ひとりが情報の発信者になった」と書いている。

 日本人なりすましてSNSで天皇廃止論さえ発信できる。

 国民の総意は総選挙などに反映されるとなれば、外国からの選挙干渉もある今日では、国民の総意が外国の干渉で歪められることは容易に想像できる。

 戦後も国民の天皇・皇室に対する尊崇の念は一層高まり、「国民の総意」という文言は問題にもされなかった。

 ところが、眞子さんの件があって以降は、天皇家を支える皇室に不安を抱かざるを得なくなってきた。

 いまも週刊誌などが真偽綯交ぜでいろんな情報を発信しているが、一国民には信じていいのかどうか、さっぱり分からない。

 元来、「国民の総意」には現在を生きる日本人だけでなく、過去に生きた日本人を含み、さらにはこれから生まれ来る日本人までも含むという幅広い解釈もある。

 しかし、SNS上で行きかう意見は未来どころか、過去も含まない現在の自分だけである。いやそれだけでなく、サイバー戦で日本人なりすました非日本人までもが参加している可能性が多分にある。

 反日外国人が発した文章に日本人が幾何級数的に「いいね」を積み上げ、それが「日本の総意」にならないとも限らない。

 こうした「国民の総意」で、万一皇位が廃止されたならば、皇室のない「ニッポン」となり、在来の「日本」ではなくなる。

 それは本当に日本国民の多くが望むことであろうか、断じてそうではないであろう。

招聘外人教師と三島が投げかけた問題

 明治時代の日本は外国人教授を招聘講師として招いた。渋沢栄一は、その一人であるメービー氏に帰国する際に日本についての所見を聞いている。

 教授は日本を「聞きしに勝ったる忠君の心の深きことは、亜米利加人などには夢想もできない。実に羨ましいことと敬服する。かかる国は決して他に看ることはできぬであろう」と述べている。

 そして「この有様を永久に持続するには、将来君権をしてなるべく民政に接触せしめぬようにするのが肝要ではあるまいか」と語ったというのである。

 渋沢は「われわれがその当否をいうべきことではない。しかし・・・一概に斥(しりぞ)くべきものではなかろうと思う」と述べている(渋沢栄一『論語と算盤』)

 民主化に動く皇室について三島由紀夫は、「(小泉信三氏は)国民と天皇との関係を論理的に作らなかったと思うのです。というのはディグニティ(威厳)をなくすことによって国民とつなぐという考えが間違っているということを小泉さんは死ぬまで気が付かなかった」と語り、民間人(現美智子上皇后陛下)との結婚によって皇室を国民に近づけようとした民主化の動きを「週刊誌的天皇制」と辛辣に批判したという(週刊新潮2021年12月30日・22年1月6日合併号)

 皇室の内側からも天皇と国民の間に壁を作ってはならないという空気が広がり、昭和天皇の侍従長であった入江相政氏は天皇の日常などの著作を次々に発表する。

 生真面目な天皇にユーモアあふれる人間性を見る点で筆者の愛読書でもあったが、読む人によっては天皇の威厳を下げるように働いたことは避けられない。

 天皇と国民の間合いが一気に縮まったのは、被災者を思われる天皇皇后陛下(現上皇上皇后)が被災者と膝を交えて言葉を交わされた東日本大震災の時であろう。

おわりに

 今は愛子内親王の国家行事への参加や、佳子内親王の今後と悠仁親王殿下の高校進学が大きな話題となっている。

 ここから見えてくるのは天皇家や宮家の教育のあるべき姿と自由がどこまで許されるかといったことである。

 秋篠宮家の教育や眞子さん問題の結果であろうが、「親王殿下が皇位に就くのを拒絶されたらどうなるか」ということさえ聞こえる状況である。

 こうした杞憂は現在の憲法体制(天皇条項や教育・結婚条項など)がもたらす必然である。

「政治とは破壊を食い止める静かな営み」(先崎彰容教授)であるという。

 今の憲法で日本破壊が進むことは想像できる。であるならば、政治が破壊を止める手を打たなければならない。

 こうした視点で、政治家と国会は日本のあり様、中でも皇室問題に真摯に、かつ早急に取り組まなければならない。

 付言するならば、元来、天皇や皇室の子女の教育のために学習院が創建された。しかし、今は学習院以外での教育が主流のようにも見える。

 しかも、親王殿下については東京大学への道が探求されているかのようにも見える。大きな政治問題ではないだろうか。

 学習院も創建当初とは違ってきており、必ずしも帝王教育にふさわしい科目ばかりではないかもしれないが、それは真に必要とする帝王教育を行うにふさわしい学長なり教育者を国家が発見できなかったからではないだろうか。

 学習院学習院として一つのバックボーンに裏付けられた教育理念を有しているであろうし、たとえその理念が薄らいでいたとしても、現存の国公私立大学にはない歴史があり、伝統(の一部)は厳然として存続しているに違いない。

 親王に必要なことは、先端分野を学んでいただくことではなく、将来の日本の象徴としての帝王学や、困難な時に直言できる学友を得てもらうことで、就職に有利な成果を目指す一般大学よりも学習院が相応しいのではないだろうか。

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眞子さんと佳子さま(2020年2月23日天皇陛下60歳の誕生日に、写真:ロイター/アフロ)