2006年2月、神戸市小学校で当時小学5年生の男子児童が同級生から暴行を受けたり、金銭を要求されたりしたことが発覚した。被害者側は調査を求めて陳情してきたが、16回目でようやく実現した。

 いじめは具体的にどんなものだったのか。父親によると、男子児童は「きしょい」「うざい」「死ね」「消えろ」などと言われていた。“K-1ごっこ”と称して暴力を受けたり、ものを隠されたりしたという。さらには金銭の恐喝にあった。総額で50万円ほど(ただし、学校調査では20万円ほど)だった。

 この問題をめぐっては、加害者との民事裁判で、男子児童側が勝訴した。その過程で裁判所からの問い合わせに対して、神戸市教育委員会(以下、市教委)は「いじめかどうかわからない」などと答えていた。しかし、関係者が入手した未公開の学校作成資料によると、いじめが発覚した当初から学校側は、加害者被害者、両者の保護者から詳細な聞き取りを行っていたことがわかった。

市教委が「ない」としてきた学校からの報告書が見つかる

 神戸市垂水区では2016年に市立中学3年の女子生徒が自殺した。このとき、いじめの内容を記した学校側の聞き取り調査のメモがあったが、市教委の首席指導主事の指示で隠蔽された。実は、同じことが、その10年前にもあったことになる。関係者によると、市教委が「ない」としてきた学校からの報告書が見つかり、「いじめの隠蔽の証拠ではないか」として注目されている。

 市議会への陳情は、「いじめの事実を『真剣に、積極的に』確認することを求める陳情」。その内容は、当時の教頭と担任に対して、市教委保有の資料と突き合わせて、いじめの事実を確認した上で、その結果を明らかにすること。それを拒否するなら参考人として招致することを求める内容だ。この陳情が2019年11月に採択されたことで、市教委のもとに調査委が設置された。

 男子児童の父親(58)は言う。

「本来はもっと早く調査委員会が設置されないといけない。この陳情の採択は、何十年に一回の奇跡だった。これまで自民、民主(当時)、公明の与党が多数を占めており、否決されてきました。しかし、このときの市議会(文教こども委員会)は、維新が躍進をしたことで、与党が5、維新や共産などの野党が5、無所属が1という構成でした。維新の議員がまとめてくれたのです」

 いじめが発覚したのは2006年2月4日。「校長はいじめでした、と言ってくれました。しかし、加害者側には“いじめではない”と二枚舌を使っていたので、いじめがますますひどくなった」と振り返る。

「市教委が、学校作成の資料を隠蔽したと思っています」

 男子児童は、加害者3人とその保護者を相手に提訴した。その過程での神戸地裁の学校への調査依頼(調査嘱託)で、市教委は、いじめを事実上否定する回答をした。また、恐喝に関する部分でも、男子児童側に「お金やろうか」などの発言があったことを理由に、恐喝との認識を否定した。さらなる調査については、被害児童から転校などで事情を聞くことが困難になった、としていた。

 神戸地裁の判決は、「原告(男子児童)が被告児童(加害児童)らに金銭を交付した行為は、任意で行なったものではなく、被告児童らの要求に対して困惑ないし畏怖した」として、「たかり行為」であると認定した。また、日常的に暴力行為が行われていたことも認定された。大阪高裁でも、神戸地裁の判決を概ね認めた内容で、判決が確定している。しかし、これまで市教委としてはいじめを認めてはいない。

 資料を入手したのは、2002~2003年度に神戸市の教育長を務めた西川和機氏。これまでの市議会の議事録を読んでいた。また、15年前のいじめ事件の調査が始まったことを伝える新聞記事を読んで、辻褄があわないと感じていた。西川氏はこう指摘する。

「もともとは、(聞き取り調査メモを隠蔽した)垂水区の女子中学生の自殺事件のニュースの関連で、このいじめ問題も取り上げていました。記者の質問に対する、教育長の、『子どもたちがはっきり言うていない部分もあるだろうし』などの回答がおかしいなと思ったんです。市議会の議事録や、調査委員会の設置が決まったときの新聞記事も読みました。どうもおかしいと思ったので、独自に調べました。僕は、市教委が、学校作成の資料を隠蔽したと思っています。隠蔽しただけでなく、裁判所の調査嘱託への回答を偽造したことにもなるのではないか」

友人に渡した金額を過小評価

 西川氏は、独自のルートで資料を入手した。その中には、市教委作成の「時系列」と学校作成資料(日誌記録)、担任作成資料(学級指導記録)がある。なかでも、「学校作成資料」は、調査委設置後に初めて、外部に出てきたものと見られている。しかも、市教委作成の「時系列」は、「学校作成資料」の要点とは言えない、としている。つまり、市教委が独自に調査を行い、事実を隠していると思われる内容になっているというのだ。

 その学校作成資料には、発覚日の記述として、担任教諭宅に母親が電話をした時間が書かれている。そして内容としても、「子ども□□□□さん)が家のお金を合計で10万円以上持ち出し、友達に渡している」というものだった。一方、市教委作成の「時経列」では、時間が明示されていない。発覚日の記述では、「□□がゲーム機の購入を依頼するため□□、□□に15,000円渡すところを□□の父親が見つける。これまでの金銭のやりとりが発覚し、学校に連絡が入る」などと、過小評価するかのような内容に変化している。

資料を都合のいいように書き換えている?

 学校作成資料では、同年3月になっても調査している形跡がある。市教委作成の「時系列」でも同じで、3月になっても、校長が父親と会っていたり、警察署に出向くなどしている。3月8日時点で、授受があった金銭の額は「父親からの申告額56万4500円」と、加害側の7家族の金額の折り合いがつかないということも記載されている。

 父親は言う。

「『資料がないから、いじめがあったかどうかわからない』と市教委は市議会で説明していた。西川さんが入手した資料のうち、担任作成資料は、市教委作成資料と突き合わせているように見えるので、自分たちの都合のいいように書き換えている可能性がある。学校作成の資料の存在によって、十分、いじめがあったかどうかの調査をしていたことは明らか

「市教委側は議会で虚偽答弁を繰り返してきました」

 隠蔽や偽造が事実ならば、市議会への答弁も虚偽ということになる。市議会文教経済委員会(2012年2月27日)では、裁判所の調査嘱託への回答について、以下のやりとりがある。

委員 校長が教育委員会にいじめ・恐喝と断定して報告書を提出した後に校長自身がその報告書は間違いだったと訂正した。だが、間違いを訂正した資料は一切存在しない。校長にも確認していないという陳情内容がある。あらためて、資料がなく校長にも確認していないのに、なぜ訂正をされたのか。

 

教育委員会事務局指導部長 当時の学校長が保護者の質問に対して回答書を作成した。その校長がその文面の中で断定できないと保護者に返した。さまざまな指導をしてきた結果、断定ができないということが実際に校長の口から出ている。

 

委員 なぜ校長の言ったのが、いじめがあったというところから、いじめがあったか、なかったかわからないという、そこのポイントについては回答書だと言われた。06年12月に回答されている。そこには前提として、教育委員会の関係課とも協議の上回答する。答弁だと、校長が勝手に回答書を作ったことになる。校長の言い分は変わったと聞こえた。だけど、教育委員会とずっと協議して変わったんですよ。

 

指導部長 いじめがあったかどうかはわからないということですが、その判断はできなかった。06年4月から私は3年間指導課長として勤務していた。06年2月にこの件があって、その後2月の途中までの記録は残っておりますが、年度末までの記録がありませんでした。(中略)公の文書に残っているもの以外細やかな記録は私の手元にはございません。

 議事録では、「2月の途中からの記録がない」と断言していた。この“記録”について、父親は「市教委側は議会で虚偽答弁を繰り返してきました。ここでいう“記録”は、具体的なものを指しているわけではないと思います。2月途中までしか記されていない記録そのものがないですから」と言う。

「学校側が調査していたのは、裁判対策だったのではないか」

いじめ発覚後、学校側が調査していたのは、被害者に寄り添ったものではなく、裁判対策だったのではないか。虚偽のことを主張するにしても、本当のことを知らないといけませんし。これまで市教委は、市教委作成資料と担任作成資料に基づいて、いじめがあったかどうかわからないと主張してきました。新たに設置された調査委に資料を提出する過程で、隠していたはずの『学校側作成資料』を間違って出してしまったのではないかと思います」(同前)

 ちなみに、父親が情報開示請求をして開示させた「生徒指導に関する状況報告」(2月分)がある。その中の、「問題行動」欄に「恐喝」とある。その部分に性別としての「男」の欄に「7(人)」とあり、「件数」として「1(件)」とある。さらに「いじめ」の部分には、「男」の部分で「9(人)」、「女」の部分で「4(人)」とあり、「件数」として「1(件)」と書かれている。

「状況報告」には、「補足説明」が添えられている。これは、裁判所が市教委への調査嘱託で出させたものだ。「補足説明」には、被害のあった男子児童から聞き取りをしている記録が残されている。1学期の中頃からクラスの友達から、落書き、悪口、学用品を隠されるなどのいじめがあったこと、この段階で加害側の児童には20万円以上が渡っていることが記されている。ちなみに、こうした資料の存在について、裁判中、市議会には知らされていない。

「市教委は嘘ばかりつくしごまかしたり、問題から逃げている」

「『補足説明』は開示請求で非開示になっていましたが、加害者との訴訟で裁判所が調査嘱託で出させたものです。市教委の説明では、“これは校長が調査したものではなく、被害者の訴えを記録したもの”としてきました。そのため、この『報告書の作成マニュアル』も開示請求しました。そこには『学校が調査した事実のみ』とあります。被害者の訴えのみを記載してはいけないとあるので、調査結果のはず。それでも、市教委は内容を否定してきたのです」(同前)

 なお、神戸市議会への陳情は、学校事件事故被害者遺族の会の代表、西尾裕美さんが行った。2002年3月22日夜、西尾さんの長男は自宅で自殺した。その日、生活指導があり、呼び出しを受けた西尾さんの目の前で、長男は校長や学年主任から厳しい叱責をされた。西尾さんが涙するほどだった。その夜の出来事だった。こうした経験から、陳情を繰り返してきた。西尾さんは筆者の取材にこう答えた。

「陳情を出してから文教こども委員会を傍聴し続けてきたが、市教委は嘘ばかりつくしごまかしたり、問題から逃げていると思いました。この問題をなんとかしないと、全国のいじめ問題も解決しない。調査委には期待しています」

 神戸市教育委員会児童生徒課は、筆者の電話取材に対して、「市教委は当時、事案としては把握していました。当時のいじめの定義に基づくいじめの有無について、また、当時の市教委の判断の適否について、調査の対象になっています。調査委には我々が所有しているすべての資料を渡しています。学校作成の資料が当時、出ていなかったどうかは現段階で市教委として承知はしていません。そのため、隠す意図があったかのかどうかは答えられません」としている。

(渋井 哲也)

今回、新たに見つかった学校作成資料 ©渋井哲也