(舛添 要一:国際政治学者)

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 立憲民主党菅直人元首相は、1月21日、<橋下氏をはじめ弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的。しかし「維新」という政党が新自由主義的政党なのか、それとも福祉国家的政党なのか、基本的政治スタンスは曖昧。主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす。>とツイートした。

 これに対して、日本維新の会(以下「維新」と書く)は猛反発し、26日、立憲民主党に対して、抗議文を提出し、投稿の撤回と謝罪を求めた。

 この維新の行動について、菅は、<維新は私の発言について政党である立憲民主党に抗議をするという。しかし、私の発言は党から指示されての発言ではない。私自身の考えを述べたもの。抗議するなら私自身に対してすべきだ。しかし日本は自分の考えを表明することができない社会ではないはずだ。>とツイッターで反論。維新と菅の批判の応酬は現在も続いている。

橋下徹をヒトラーに重ねるのはナンセンス

 ヒトラー研究者として、このやりとりを見て私が最初に感じたのは、第一次世界大戦後のドイツと今の日本を単純に比較するのは間違っているということである。また、維新という政党のアピールポイントナチスとは全く違うということである。つまり、菅は、比較できないものを比較したのであり、その点で説得力を持たないのは当然である。

 もう一つ付け加えるなら、橋下徹も維新も、ヒトラーナチスとは「雲泥の差」があり、ヒトラーが今甦ったら、「そんな小物と比べないでくれ」と一笑に付すであろう。

 まず、第一次世界大戦に敗退し、ヴェルサイユ講和条約によって領土を減らされ、巨額の賠償金を課されて困窮する当時のドイツと、今日の日本とは全く違う。ドイツの屈辱的な状況を打破すべく、ヒトラー政治家になる決意を固め、ナチス党を創建する。

 ナチスの25箇条の綱領の主な内容は、ドイツの領土を回復し「大ドイツ国」を実現する、ドイツ人の血を引く者のみをドイツ人とする(ユダヤ人から公民権を剥奪する)、徴兵制の復活、再軍備財閥の国有化など、ナショナリズムが盛り沢山である。そして、労働者や中間層に訴えるために、小企業の保護、貧困家庭の教育費国庫負担、幼年労働の禁止などをうたっている。

 さらにドイツに課せられた苛酷な賠償支払いによって、ハイパーインフレが引き起こされ、ドイツ国民はパン一個を買うのに何十万マルクも支払わねばならないような状態に追い込まれた。失業者も増大した。

 今の日本は、このような状態ではない。コロナ禍でたいへんだとはいえ、デフレ状態であり、国家による生活支援も行われている。ヒトラーのようなデマゴーグの扇動に大衆が乗るほど、不満が高まっているわけではない。日本が国際紛争に巻き込まれたり、在外日本人が弾圧されたりしているのでもない。

ナチスの政策は明確だったが維新は・・・

 またナチスの政策は明確であった。それに比べて、維新については、その重要政策が何かを国民が認識しているわけではない。

 維新は「日本大改革プラン」を掲げ、<我が党では、現在の低成長や社会保障危機など平成30年間で常態化していた課題に加え、コロナショックで日本のセーフティーネット脆弱性明らかになったことに対する打開策として、社会保障・税制改革と成長戦略に一体的に取り組み、可処分所得の増加を目指す「日本大改革プラン」を発表した。政府が国民に一定額の現金を毎月、無条件で支給する「ベーシックインカム(BI、最低所得保障)」の導入や消費税法人税の減税をはじめとする税体系の抜本的な改革プランである>と説明している。

 だがこのような政策は、他の与野党でも提言しているものであり、本当の意味で維新の目玉政策が何かが国民には伝わっていない。一番知られているのは「大阪都構想」であるが、それは大阪市民によって葬り去られている。

 橋下徹大阪維新の会を創設したとしても、現在の維新は、全国規模の政党となっており、もはや橋下個人の政党ではない。

 昨年の衆議院選挙で、維新は大阪を席巻し、自民党をはじめ他党の候補者の多くは討ち死にした。立憲民主党の看板政治家、辻本清美もそうである。

菅直人ではなく立憲民主党に謝罪を求める理由

 菅直人ツイートに対して、維新は立憲民主党に抗議し謝罪を求めた。菅の投稿の内容はともかく、抗議すべき対象は菅個人であり、立憲民主党という政党に抗議するのは筋違いではないか。

 その意図は何か。

 夏には参議院選挙が控えている。ライバル政党の立憲民主党に抗議することによって、維新は選挙戦を始めたと解釈してよかろう。しかし、今回の抗議によって、立憲民主党支持者の票が維新に流れる保証はない。選挙目当てのパフォーマンスは大衆に見透かされてしまうからである。

 維新はよく「ゆ党」だと言われる。「与(よ)党」でも「野(や)党」でもないからで、鵺(ぬえ)のような存在だと思われている。安倍・菅政権とは蜜月で、維新の幹部はよく首相官邸に足を運んでいた。しかし、選挙の時には豹変する。自民党政権に不満を持つ有権者は、小党分立で不甲斐ない野党には票を入れたくない。そこで、消去法で「ゆ党」の維新が選択肢に浮上するのである。昨年の衆院選での躍進には、そのような要因があることを忘れてはならない。

 その点では、明確な政策を打ち出して国民の支持を得たナチスとは大きく違う。ただ、支配層への擦り寄りという点では共通点もある。ヒトラーは勢力を拡大する過程で、「労働者のための政党」と謳いながら、政治資金を調達するために財界に接近する。

 相対的安定期で経済が好調なときには、ナチス共産党という左右の両極端の政党は退潮するが、1929年の世界大恐慌以降、経済が悪化すると、この左右の全体主義政党が躍進する。ドイツ国民の不満がそうさせたのだ。財界から見れば、共産党よりもナチスのほうがましである。反共の砦としてナチスに期待したのである。

 今の日本は、政権党の自民党が退潮し、極右や極左の政党が跋扈するような状況ではない。ただ、財界から見れば、「立憲民主党共産党よりも、維新のほうがまだ良い」という点では立ち位置は似ているのかもしれない。立憲民主党は、共産党と選挙協力を行ったことで、先の衆院選での敗北につながった。逆に言えば、この選挙協力が維新の躍進に貢献した。

俳優をコーチにし演説時の身振り手振りを研究したヒトラー

 橋下徹の弁舌の巧みさは皆が認めるところだが、何度も選挙を経験した政治家は皆演説が上手くなる。しかし、ヒトラーほどの演説の名人には、海外でも日本でも私はまだ会ったことはない。

 ヒトラーの時代と現代との最大の違いはテレビの存在の有無である。テレビがなかった時代、ヒトラーナチスの勢力を伸ばすための武器にしたのは街頭演説であった。俳優をコーチに雇って演説の振り付けを研究し、演説する時間帯、場所なども詳細に設定して名演説を繰り返し、大衆を虜にしていった。

 一方の橋下徹であるが、彼くらい演説が上手い政治家は、日本にもヤマほどいる。そういう政治家とどこが違うかというと、橋下にはテレビがついているということである。テレビの人気者としてスタートする、タレントとしてスタートする、それだけで政治家としては最初から大きな財産となる。「テレビに出ている○○さんを観に行きたい」というのが、大衆が街頭演説会場に出向く理由である。そこでは演説の内容などあまり関係ない。

 ヒトラー時代にはテレビはない。ラジオまでだ。だからナチスヒトラーの演説風景を撮影して、それを映画ニュースとして全国を巡回させたのである。また、飛行機を使って1日に何カ所も演説をしたのもヒトラーが初めてである。まさに、ヒトラーにとっては演説こそが政権獲得の手段であった。

 詳細は、拙著『ヒトラーの正体』に譲るが、ヒトラーは「演説は書物より影響が大きい」と喝破している。今の時代は、「テレビは演説や書物よりも影響が大きい」と言ったほうが正しいかろう。テレビを制する者が、世界を制するのである。

 橋下徹や維新は、その成功例であり、とくに大阪においてそれは顕著である。極論すれば、大阪では全テレビ局が維新の意向を忖度すると言ってもよい。維新は、大阪のメディア戦略で成功している。

生産性なき「菅直人vs維新」の対決

 最近では、元日に放送された毎日放送トーク番組「東野&吉田のほっとけない人」に、橋下徹氏、松井一郎吉村洋文の3人がそろって出演し、政治的中立の観点から問題視された。この件に関して毎日放送は社内調査を行っているが、それほどまでに在阪のテレビ局は橋下をはじめとする維新関係者に席巻されている。

 この調子で、全国のテレビ局を支配するような状況になれば由々しき事態であるが、今のところ、まだそこまでは行っていない。何よりも、維新の一丁目一番地である大阪都構想が2回も大阪市民によって拒否されたことは、大衆扇動術のみでは動かない「大阪ナショナリズム」が健在であることを示しているということだろう。

 いずれにしても、菅直人立憲民主党と維新の睨み合いは、日本の政治を刷新するためには、あまり生産的なものではない。喜んでいるのは自民党だけという現実を直視し、さっさと生産性のある政治活動にエネルギーを振り向けてもらいたい。

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