ゆっくりと眼鏡を外し、パンパパンと張扇と扇子で釈台を叩いたかと思うとたたみかけるように語り始める。その一瞬で聴く側の脳内には剣を構えた屈強な男たちが浮かび上がり、気が付くと自分自身も果し合いの見物客になっていて……。

この人がきっかけとなって初めて講談を聴いたという人は多いだろう。今最も勢いのある講談師、神田伯山。その伯山の新春連続読み『寛永宮本武蔵伝』公演が、東京を皮切りに名古屋、福岡で上演された。伯山襲名・真打昇進後としては初めての一人で挑む連続物であり、コロナ禍のため1年延期となった待望の公演だ。期間は5日間、内容は「お楽しみ」の「前夜祭」から始まり、『寛永宮本武蔵伝』全十七話を4日間かけて語るという番組だ。

筆者が聴いたのは東京・東池袋あうるすぽっとのB日程で、お客さんは老若男女ほぼ同率に見える。「前夜祭」の開口一番は伯山の弟子・神田梅之丞。『源左衛門駆け付け』をよく通る声で力いっぱい語った。首から顔が次第に真っ赤に染まっていく様子にこちらも思わず姿勢を正す。文楽の源太の首(ルビ=かしら)に似てシュッとしていて人気が出そうだ。そして待ってました、伯山の『陽明門の間違い』、赤穂義士伝『鍔屋宗伴』、仲入りがあって、天保水滸伝『ボロ忠売り出し』。『ボロ忠』の主人公忠吉は、ボロは着ていても賭場で啖呵を切らせるとこれが粋でカッコイイ。また伯山の描く姐さん(勘吉親分女房)が、還暦だというのに仇っぽくてうっとりしてしまう。前夜祭はここでお開きとなったが、姐さんの「果敢だね」という台詞が頭の中でリフレインしっぱなしだ。

講談師 神田伯山 新春連続読み『寛永宮本武蔵伝』完全通し公演 令和四年より

さてお待ちかね、寛永宮本武蔵伝連続読みの初日だ。武蔵といえば、ご存じ二刀流を編み出した剣の達人。初日は、「偽岸柳」「道場破り」「闇討ち」「狼退治」と、佐々木小次郎岸柳との決闘の発端となる四話が読まれた。肥後熊本の剣豪佐々木小次郎岸柳のたくらみにかかり、岳父の石川軍刀斎巌流は無念の死を遂げる。武蔵は手始めに偽岸柳の道場を破り、目黒行人坂でも闇討ちを制し、その足で小次郎岸柳を討つために西へと向かう。白山下や富坂、行人坂など、なじみの地名が出てきて「あのあたりかな」と見当がつくのが嬉しい。当時おそらく真っ暗闇だったはずのあの坂を、武蔵がほろ酔い加減でふらふらと歩いている図がリアルに浮かぶ。かと思うと歌舞伎の『鞘当』で知られる名古屋山三や不破伴左衛門がさりげなく出演するから油断できない。また、箱根山中で登場する怪しい駕籠かきが実は柔術家関口弥太郎で、他の読み物の人気キャラもさりげなくスピンオフしてくる。関口流柔術といえば歌舞伎の『引窓』の南与兵衛もたしか関口流だった。こんなふうにジャンルや作品を越えて人物がシンクロするのは伝統芸能の楽しいところだ。にしても、武蔵が偽岸柳の道場へ持って行った土産物とは何だったのだろう。

二日目は「竹ノ内加賀之介」「山本源藤次」「柳生十兵衛」「吉岡治太夫」の四話。江戸を出た武蔵は、その土地土地の剣豪たちと闘いながら西へと向かう。あるときは旅籠で揉み療治の最中に喧嘩となり、名古屋では御前試合をするはめに。そして狂人との触れ込みなのに滅法強い柳生十兵衛とも一戦を交える。伯山の語りに身を委ねていると、道場の床がミシミシと鳴るのが聴こえ、庭の松の枝ぶりまで見える気がする。目を血走らせた男たちが次から次へと武蔵の前に現れる様は、国芳の武者絵のよう・・・いや二次元どころではない。武蔵が時に尾上松緑、時に中村勘九郎になって所狭しと暴れまわり、片や剣豪たちも、いかにも最強の大敵(ルビ=おおがたき)・市川左團次や、三代目河原崎権十郎のようにニヒルで苦み走った男だったり。筆者の脳内劇場がすばらしく豪華なことになっている。

五夜をコンプリートした達成感と武蔵の鮮やかな勝利が重なる爽快感

三日目は「玄達と宮内」「天狗退治」「吉岡又三郎」「熱湯風呂」「桃井源太左衛門」の五話。武蔵は京大坂でも玄達ら名だたる武芸者に次々と挑み、彼らから秘術を会得していく。伯山自身は「ダレ場」というが、むくつけき侍からビクビクしている町人まで、声質も姿勢も所作もスパンスパンと使い分け、物語はハイテンポで進む。極端に猫背にした低い姿勢から、右手に張扇、左手に扇子でスッと天地陰陽活殺の構えになるや、伯山の目に狂気が宿った。「いやこれ武蔵が乗り移っているでしょ」と息を呑むと、パン!と人懐っこい笑顔に切り替わる。あるいは「さあここからが大勝負か」と身構えた瞬間、フッとなぜか寄席の楽屋ネタを挟んでくる。緊張が一気に解けて客席もドッと湧く。物語のまっただ中と現実を行ったり来たり、ジェットコースター感がすごい。そうか、この2時間弱、完全に伯山にこちらの呼吸をコントロールされていたのだと気づく。ちなみに今のところお通は出てこない。どちらを向いても少々ナルシスティックでむさ苦しい男たちだらけである。

講談師 神田伯山 新春連続読み『寛永宮本武蔵伝』完全通し公演 令和四年より

連続読みも楽日を迎えた。前夜祭含めて五日間の運命共同体というかクラスメイトというか、客席にも何となく一体感が生まれている。「甕割試合」「山田真龍軒」「下関の船宿」「灘島の決闘」の四話。ついに豊前小倉の灘島で小次郎と対決の時がきた。武蔵といえば遅れて決闘の場へやってきて小次郎岸柳を焦れさせたというイメージがあるが、神田派の『寛永版』では「オンタイムに到着するんです」と伯山。小次郎岸柳は七十がらみだが、さすがにラスボス、圧倒的に強い。全十七話のクライマックスらしく武蔵は最大のピンチに陥る。固唾を呑んで観戦する舟客と、シーンと静まり返ったあうるすぽっとの客席が一つに重なった。しかし武蔵、すでに昔の彼ならず。これまで闘ってきた剣豪たちから、命がけで盗み教わり、身に着けてきた技の数々を駆使して、ついに小次郎をしとめる。そうか、これは武蔵が西へ西へと旅をしながら成長していくビルドゥングスロマンでもあったのだ。五夜をコンプリートした達成感と武蔵の鮮やかな勝利に、なんともスカッといい気分だ。これは劇場に5日間足を運んだからこその醍醐味に違いない。

講談師 神田伯山 新春連続読み『寛永宮本武蔵伝』完全通し公演 令和四年より

東京公演の会場となった東池袋あうるすぽっとでは、これまで神田伯山とともに様々な企画を立ち上げ公演を行ってきた。伯山が講談の骨子と最も力を入れる『慶安太平記』などの連続物は、神田阿久鯉との公演を含めると今回で5度目。300人というキャパシティとブラックボックス型の空間は、「講談を集中して聴いてもらうのに大変優れている」と伯山からも折り紙付きだ。また「寄席や演芸場は常連さんが多そうで敷居が高い」という人でも気軽に立ち寄れるというメリットも。いつかまたあうるすぽっとで伯山の連続読みを堪能できる日がくることを楽しみに待ちたい。

取材・文:五十川晶子
撮影:橘 蓮二 提供:公益財団法人としま未来文化財団

公演情報
講談師 神田伯山 新春連続読み『寛永宮本武蔵伝』完全通し公演 令和四年
【東京公演】
2022年1月6日(木)~1月16日(日)
会場:あうるすぽっと[豊島区立舞台芸術交流センター]

名古屋公演】
2022年1月19日(水)~2022年1月~23日(日)
会場:西文化小劇場<

【福岡公演】
2022年1月26日(水)~1月30日(日)
会場:福岡市科学館6Fサイエンスホール

講談師 神田伯山 新春連続読み『寛永宮本武蔵伝』完全通し公演 令和四年より