2022年2月1日(火)に歌舞伎座で、『二月大歌舞伎が開幕した。片岡仁左衛門が一世一代一で勤める『渡海屋・大物浦』平知盛、中村梅玉の徳川綱豊卿と尾上松緑の富森助右衛門で『御浜御殿綱豊卿』、尾上菊之助が初役で勤める『鼠小僧次郎吉』の鼠小僧と、第一部から第三部まで、異なるベクトルで美しさと強さを輝かせる演目が並んでいる。

■次期将軍と赤穂浪士のヒリヒリする心理戦

第一部は、真山青果の新歌舞伎『元禄忠臣蔵』より、『御浜御殿綱豊卿』が上演される。舞台は、徳川綱豊卿の下屋敷。現在の浜離宮恩賜庭園にあたる広大な敷地には、桜が咲き、奥に池が広がる。茶屋には漆塗りの縁台がおかれ、葵の御紋の幔幕が張られている。この日は屋敷の人々が集い、客も招き、皆で上下無しに楽しみ、一芸を披露する恒例行事「お浜遊び」。女中たちの着物も色とりどりで鮮やかだ。そこで繰り広げられるのが、赤穂浪士事件を背景にした、綱豊卿と富森助右衛門の、腹の探り合いだ。

第一部『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』右より、御祐筆江島=中村魁春、徳川綱豊卿=中村梅玉、中臈お喜世=中村莟玉 /(C)松竹

第一部『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』右より、御祐筆江島=中村魁春、徳川綱豊卿=中村梅玉、中臈お喜世=中村莟玉 /(C)松竹

前年、江戸城で赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかる事件が起きた。内匠頭は即日切腹し、浅野家は御家とりつぶしとなった。いま綱豊卿は、「浅野家再興の口添えをしてほしい」と頼まれているが、ためらいがある。御家再興は、赤穂浪士たちから仇討ちの機会を奪うことになるからだ。できることなら、武士として仇討ち成就をしてほしい。浪士たちに、その計画があるのだろうか。

そんな折、赤穂浪士の助右衛門がやってきた。表向きは、お浜遊びの見学希望者だが、実は、吉良が参加すると聞きつけ、その顔をたしかめにきたのだった……。

第一部『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』右より、徳川綱豊卿=中村梅玉、富森助右衛門=尾上松緑 /(C)松竹

第一部『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』右より、徳川綱豊卿=中村梅玉、富森助右衛門=尾上松緑 /(C)松竹

尾上松緑は、助右衛門の心の動きを、戸惑いも覚悟も明瞭に描き出す。血の通った忠義心を、綱豊卿も好ましく思ったに違いない。梅玉の綱豊卿は、つばぜり合いのようなハラの探り合いにも、現実からフィルターを一枚隔てたような余裕をみせ、次期将軍と言われる、品格と豊かな知性を感じさせる。中村魁春の御祐筆・江島、中村東蔵の新井勘解由、中村莟玉による助右衛門の妹で綱豊卿が寵愛するお喜世も、それぞれに思いを巡らせる。クライマックスで綱豊卿が助右衛門に言ってきかす長台詞は、きわめてロジカルであり武士のあり方を説く“お説教”。それを梅玉は、説得力だけでなく、うっとりさせるような艶をもって聞かせた。骨太なテーマに、洗練された華やぎをまとわせた。

第一部『石橋』右より、獅子の精=中村鷹之資、獅子の精=中村錦之助、獅子の精=尾上左近 /(C)松竹

第一部『石橋』右より、獅子の精=中村鷹之資、獅子の精=中村錦之助、獅子の精=尾上左近 /(C)松竹

つづく演目は、舞踊『石橋』。幕が開くと、雄大にそびえる清涼山。牡丹の花が咲き、石橋がかかる。長唄三味線が華やかに力強く盛り上げる中、白い獅子の精(中村錦之助)と、赤い獅子の精(中村鷹之資、尾上左近)が、せり上がり登場。錦之助は、1月の歌舞伎座公演でのはっちゃけたキャラクターの記憶をふっ飛ばす威厳をみせ、鷹之資は長い毛の先まで力に満ちたしなやかさ、左近は若さを迸らせ華やかに踊った。

■仁左衛門による、一世一代の碇知盛

第二部は、舞踊『春調娘七種』から始まる。曽我兄弟(中村梅枝、中村萬太郎)の物語は、仇討ちを叶える=おめでたいものとされている。そこへ静御前(片岡千之助)が、春の七種を手に現れる。“縁起ものの詰め合わせ”の一幕だ。『義経千本桜』や『曽我対面』で出会うことのない静御前と曽我兄弟が共演し、実の兄弟(梅枝と萬太郎)で十郎と五郎をみる楽しさもある。梅枝の十郎の流麗な佇まいが印象的で、萬太郎も力強い。千之助は思わず配役を確認しなおしたほど、大人っぽく静御前を勤めていた。

第二部『春調娘七種』右より、曽我十郎=中村梅枝、静御前=片岡千之助、曽我五郎=中村萬太郎 /(C)松竹

第二部『春調娘七種』右より、曽我十郎=中村梅枝、静御前=片岡千之助、曽我五郎=中村萬太郎 /(C)松竹

幕間をはさんで、『義経千本桜 渡海屋・大物浦』。仁左衛門が、一世一代で平知盛の壮絶な最期を勤める。壇ノ浦の戦いで追い込まれ、知盛や安徳帝たちは海に身を投げた。……とみせかけて実は生き延び、打倒源氏の機会をうかがっていた、というエピソードだ。

大物浦とは、兵庫県尼崎市にあった海の玄関口。そこにある渡海屋で、義経(中村時蔵)や弁慶(市川左團次)が船を待っている。その渡海屋の主人・銀平が、実は知盛だった。幼い安徳帝(小川大晴)を銀平の子どもと、乳母の典侍の局(片岡孝太郎)を銀平の女房と偽って、女官たちも漁師の女房に身をやつし、この機会を待っていたのだ。

第二部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』右より、銀平娘お安実は安徳帝=小川大晴、女房お柳実は典侍の局=片岡孝太郎、渡海屋銀平実は新中納言知盛=片岡仁左衛門 /(C)松竹

第二部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』右より、銀平娘お安実は安徳帝=小川大晴、女房お柳実は典侍の局=片岡孝太郎、渡海屋銀平実は新中納言知盛=片岡仁左衛門 /(C)松竹

銀平が、厚司を羽織り、高下駄に傘という出で立ちで、パッと花道から登場すると、はやくも歌舞伎座が大きな拍手に揺れた。その颯爽とした姿、男ぶりで溜息を誘う。銀平は、鎌倉方より義経を追ってきた相模五郎(中村又五郎)と入江丹蔵(中村隼人)を追い払うと、船の支度に出る。義経一行は、いよいよ出発の時間に。見送ったのちに、姿をあらわした銀平は、もはや渡海屋の主人ではなく、新中納言知盛。白装束に鎧をつけ、打倒源氏の思いを語り、戦いに挑む。

劇中で大きな変化を遂げるのは、知盛だけではない。相模五郎と入江丹蔵は、前半のコミカルなキャラクターとうって変わって、厳しい戦況を伝える御注進となり、戦いの緊張感を高める。安徳帝は狩衣となり、典侍の局は十二単となり、芝居の色を時代物に変える。大物浦に辿り着いた知盛は、孤立無援。白い装束は血に濡れて、獣のような凄まじい形相で薙刀を振った。ついに義経、安徳帝、典侍の局が揃うのだが……。

第二部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』渡海屋銀平実は新中納言知盛=片岡仁左衛門 /(C)松竹

第二部『義経千本桜 渡海屋・大物浦』渡海屋銀平実は新中納言知盛=片岡仁左衛門 /(C)松竹

ラストシーンでは、岩場で知盛が碇を持ち上げると、太鼓の音が響き、竹本に導かれるように拍手が湧きおき、悲しみや怨念より、美しさを残して、光になるかのように仁左衛門の知盛は海に消えた。万雷の拍手の残響の中、義経一行の憂いが、源平の戦いのむなしさを添えた。千穐楽には、どのような知盛が最期を迎えるのか。仁左衛門の一世一代の舞台を見逃さないでほしい。

■ヒーロー大活躍! だけではない、鼠小僧の人間ドラマ

第三部『鬼次拍子舞』右より、白拍子実は松の前=中村雀右衛門、山樵実は長田太郎=坂東彦三郎 /(C)松竹

第三部『鬼次拍子舞』右より、白拍子実は松の前=中村雀右衛門、山樵実は長田太郎=坂東彦三郎 /(C)松竹

『鬼次拍子舞』は、京の都の洛北を舞台にした舞踊劇だ。白拍子実は松の前は中村雀右衛門が勤め、山樵実は長田太郎は中村芝翫に代わって坂東彦三郎という配役(4日からは坂東亀蔵が代演)。「拍子舞」は、俳優が台詞を言いながら踊るタイプの舞踊。大切な笛を巡る攻防で、平家の武将である長田の大きさ、闊達さに、松の前は上品な色気といじらしさで対抗する。後半は立廻り、ぶっかえりと見どころが続いた。

『二月大歌舞伎』を結ぶのは、菊之助の『鼠小僧治郎吉』。江戸時代、庚申の夜に生まれた子は、泥棒になると考えられていた。菊之助が勤める主人公の稲葉幸蔵は、世間的には易者だが、いざとなれば人助けのために盗みを働く鼠小僧なのだ。

第三部『鼠小僧次郎吉』稲葉幸蔵=尾上菊之助 /(C)松竹

第三部『鼠小僧次郎吉』稲葉幸蔵=尾上菊之助 /(C)松竹

ある日、刀屋の新助(坂東巳之助)は、大切な刀と金百両を騙し取られ、恋仲の芸者お元(坂東新悟)と心中を決める。このやり取りを耳にした幸蔵は、彼らのために鼠小僧としてお金を調達するのだった。感謝されて別れるも、辻番小屋にいた与惣兵衛(中村歌六)と、鉢合わせ、盗みがバレてしまう。自宅に戻ると、蜆売り三吉がやってきて、新助とお元がピンチを知らされる。幸蔵は、「庚申の生まれ」という悪縁を断ち切るべく、生まれてすぐに親に捨てられた。にも関わらず、拾い育てた義母・お熊(嵐橘三郎)は小悪党。幸蔵に盗みを教えたのもお熊。鼠小僧という庶民の味方のヒーローでありながら、自分の宿命に思い悩むのだった。さらに、かつて恋仲だった松山太夫(中村雀右衛門)が訪ねてきて……。

第三部『鼠小僧次郎吉』右より、稲葉幸蔵=尾上菊之助、蜆売り三吉=尾上丑之助 /(C)松竹

第三部『鼠小僧次郎吉』右より、稲葉幸蔵=尾上菊之助、蜆売り三吉=尾上丑之助 /(C)松竹

歌六、雀右衛門たちベテラン俳優が情緒を作り、若手がまっすぐにストーリーを運び、菊之助の長男・尾上丑之助も、大事な役どころを丁寧に勤めあげた。各世代の見事な調和が、舞台に血を通わせる。その心臓部となる菊之助が、幸蔵を律儀で情深い魅力的な人間として立ち上げる。手ぬぐいをかぶれば鼠小僧となり、驚くべき忍び足でお屋敷に潜入、アクロバティックに逃げる。鮮やかな立廻りはテンポよく、遊び心も垣間見せ、幸蔵に戻るときの一連の所作は思わず見惚れる美しさ。幸蔵が魅力的だからこそ、現代では意識することのない「宿命」や、幸蔵をとりまく理不尽や不条理にも、共感が生まれる。大詰めでは、早瀬弥十郎(彦三郎、4日から河原崎権十郎)のお裁きに光を感じた。鼠小僧、大活躍! で楽しませながら、幸蔵の心にライトを当てる物語に、幕切れは明るく爽やかな拍手がおくられた。

『二月大歌舞伎』は、2022年2月1日(火)から25日(金)まで、歌舞伎座での公演。

取材・文=塚田史香