高橋優10th Anniversary Special 2Days「弾き語り武道館~黒橋優と白橋優」
2022.2.8 日本武道館【黒橋優の日】

高橋優が、メジャーデビュー10周年の集大成を、一人、弾き語り日本武道館のステージに立つ必然を目の当たりにした。2日に渡るライブ『高橋優10th Anniversary Special 2Days「弾き語り武道館~黒橋優と白橋優」』を2回に分けてレポートする。

まず1日目は“ダークサイド”をテーマにした「黒橋優の日」。いつものライブでも言えることだが、いわゆる街の風景と同じぐらい多様な世代のファンがステージに眼差しを注ぐ。しかも今回は、観客がステージを360度囲むセンターステージだ。

開場BGMのボブ・ディラン「嵐からの隠れ場所」が鳴り止んだところで暗転し、ステージ上部のスクリーンに、子どもの頃から成長していく様が分かる高橋優の数々のスナップや、これまでリリースしてきた作品のアートワークやアーティスト写真、動画が映し出され、それらが武道館の空の上に舞い散ったところで、ステージ裏にスタンバイするリアルタイムの高橋をカメラが捉える。大きな拍手に迎えられ、センターステージまでの花道を歩き、アコギを構えて、特に挨拶をすることもなく、スッと歌に入っていく。1曲目は「こどものうた」。初っ端から、社会性も毒も、濃厚な幕開けだ。続けて「陽はまた昇る」で、“黒橋優”の濃厚さを予感させる。

一旦、自分もファンも着席させ、最初のMCへ。自分ではわからないが、ヒリヒリした部分のある曲に対して「出た、黒高橋」と周囲に言われることが多く、そう呼ばれるなら、いわゆる黒的なもの、白的なものから選んでやってみることにしたと、今回の公演開催の経緯を話した。「黒いからこそ光が見える、希望を感じるものにしたいと思っています」という言葉が、この日のセットリストを端的に表していた。

生活感のある「風前の灯」は、まるで瓦版。目に入る物事はなんでも歌にする彼らしい。二元論のその先を歌うような「雑踏の片隅で」はトーキングボーカルが小気味いい。会場の部分部分を照らすライトが街を感じさせる演出も、曲に沿った心憎い演出だった。低音から始まる決別の歌「スペアキー」辺りから、サビのボーカルに力強さが出てきた。高橋の歌はとにかく言葉数が多い。聴き込んできたファン以外にも、しっかり聴こえるようになってきた印象を受けた。ギターをストラトに持ち替えての「誰がために鐘は鳴る」では、Aメロの強さが際立つ。変な言葉だが、醒めた温かさのようなもの、つまり高橋優ならではのリアリティが立ち上がった。

ほぼ一気に歌ったあと、先日のバンドツアーからスタッフ全員への差し入れをルーティーンにしていると話す。喋れなくても、会わなくても“高橋がくれたお菓子”と思ってくれるだけでいいのだという。この日も、自分の地元で50個、そして九段下の駅で“いちご大福とか売ってたな”という記憶を頼りに、店を開けたばかりの時間に訪れて50個購入。すると店のおじさんが、“明日はきっといい日になる”と奇跡のような言葉をくれたのだそう。このエピソードに場内は大きな拍手に包まれた。

“黒橋優”ゆえに「明日はきっといい日になる」は演奏できないので、代わりの曲をと「人見知りベイビー」を披露する。リフの味わいで一人でもR&Rを成立せていた。人見知りを超えて、《面倒臭ぇ!》を連発する「ボーリング」へのつながりも同じ人格が続くような妙味を堪能させてくれた。歪むギターと、いい意味でブルージーな表現の垂れ流し感=自由度も弾き語りならではないだろうか。

随所に挟まれるMCも、弾き語りならではの、少し長めで個人的な内容が楽しい。先日の、東京では珍しい降雪の際に“こういう歩き方したほうが安全”というツイートをしただけで“北から目線”“北国マウント”と言われて、そんなつもりはなかったという話から「いいひと」へつなぐ流れも秀逸だ。“笑顔の中の真顔”を下から照らすライトで強調して、笑いを誘いながらもやはり怖いという演出が見事だ。

自分本位で傷つく馬鹿ばっかりだ、でもそれが人間だと最終的に肯定してくれる「オナニー」では、《あなたの声を聞かせてくれませんか》の前に“皆さんの手拍子を聞かせてくれませんか?”と一言挟んで手拍子を促していた。

シニカルだったり、身も蓋もないことの先に真実が光る曲が続いた前半のハイライトは「ほんとのきもち」だったのではないだろうか。やる気だけでやっていけんのかな、理解できない人ともやってかなきゃいけなのかな、でも言えるのは“君が好き”。その意味の大きさにたどり着くまでの逡巡の積み重ねと、どんどん開かれてきた喉による強い歌が、大いに刺さった。

「次の曲は、部屋で作った曲。部屋で作ってるといろいろ変なこともやってしまうんで」というMCが示唆していたのは、弾き語りの中にループステーションを導入するブロックの説明にもなっていた。ギターのボディを叩いて、ビートループさせ、少しパラノイアックな側面を見せる「room」。ループステーションを使ったリアルタイム一人多重演奏は曲ごとに難易度を増して、シェイカー、ギターの1フレーズ、もう1フレーズをループさせ、ジプシー音楽っぽいアレンジで聴かせた「CANDY」では曲の途中でステージを囲んで炎が灯り、曲調に色を添える。そして再びストラトに持ち替えての「旅人」では多重演奏もだんだんマイペースを掴んできた感じで、高橋もオーディエンスも演奏への没入感が凄まじい。このスタイルは、バンドアレンジ以上に生身でささくれだった感情がむき出しになる。そもそも後半に緊張感のあるリアルタイム多重演奏を持ってくる辺り、Mっ気すら感じるし、新しい何かにチャレンジしなければ、ここに一人で立つ意味を感じなかったのかもしれない。

「誰もいない台所」では声の伸びや発声が自在になって、歌いだしの《名前を呼ばれたような》がゾッとするような温度を伴う。音数の少ないアルペジオも歌にとってちょうどいい。あの日に戻りたいけど戻れない、その感情の機微に、最も繊細な伴奏が効果を上げていた。

終盤は、弾き語りのイメージを逸脱する音の厚みと熱量で、「みんなそろそろお尻が痛いんじゃないですか?」と観客に立ち上がるよう促し、ビート+2つのフレーズで作る「(Where's)THE SILENT MAJORITY?」、息苦しいほどリアルな言葉が連射される「象」。そして、高橋が高橋であるゆえんを感じる「ルポルタージュ」で、《君がいる限りこの世界は素晴らしい》と歌い、誰も傍観者になれない空間を作り上げる。

鬱憤を晴らすためにタオルを回して風を起こそう、と高橋が観客に促す。モッシュ&ダイブをするようなライブでは感じられないのが不思議なのだが、実際、武道館の空気が動いていた。さらにいい緊張感を維持したまま、ラテンフレーバーもあるアレンジで「太陽と花」を披露。弾き語りでありつつテクニカルなバンドサウンドを想起させるギリギリのテンションで演奏しきった。

19曲を歌いきり、「僕はすごく楽しいです、ありがとうございます。こうして上からも後ろからも手拍子を浴びられるのが、なんて幸せなことか。その一つひとつが僕の宝物です。それぞれの人が今の主役です。僕にとってもあなたにとっても、大事な日に、最初に書いた曲です」と謝辞を述べ、ラストに歌われたのは「素晴らしき日常」で、反則級に涙腺も感情も突き動かされる。人を簡単には信じられなかったり、自分にもあるから黒い部分も見逃せなくて、でも白黒つかない人間のことを愛してやまない――高橋優はここから始まったんだな、と認識させてくれる歌だった。アウトロでマイナーキーに変わる部分で、彼の音楽人生のスクリーンに“つづく”の文字が見えたような気がした。

アンコールは早々に登場し、インディーズ時代から大事に大事に歌ってきた歌、と「駱駝」を歌い始める。そして正真正銘のラストはリリックが映し出された「プライド」だった。人を励ましているようで、自分自身への座右の銘のような曲である。《君ではダメだと言われてしまったか?》という歌詞にドキッとし、《何もしないでそれをあざ笑う人ばかりなんだ》という歌詞に少なからず怒りを覚える。まさに今こそ必要な歌だ。

エンディングで、眩しい太陽のように会場中が明るいライトで照らされたのが「黒橋優」の答えなのか、「白橋優」への橋渡しなのかはまだこの時点ではわからなかった。だが、人間の内面にある狡さや弱さと、それを自覚するからこそ、強く誠実でありたいと希求する気持ち。この日の選曲は、高橋優というシンガーソングライターの忖度なしの人間の解剖であり、そこで生まれる共感がつなぐ希望だった。

東西南北、それぞれの方角の観客に向かって深々とお辞儀をし、オフマイクで謝辞を述べたあと、「明日、ここで歌わせてもらいます。何があってもまた会いましょう、高橋優でした!」と、花道を歩いてステージを後にした。

奇しくも声を出せないこのご時世において、心の中で血を流し、回復、再生していくようなこの日の選曲は、高橋優という表現者と私達をより深い部分で共鳴させたのだ。


取材・文=石角友香 撮影=新保勇樹

 

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