法務省・出入国在留管理庁(入管)の収容施設内での外国人への人権侵害や、その根底にある日本の難民制度が抱える問題の改善を目指し、2020年5月に設立された「難民問題に関する議員懇談会」。

今年1月21日に開催された会には、昨年3月に名古屋入管で命を落としたスリランカ女性、ウィシュマ・サンダマリさんの生前の監視カメラ映像(部分開示)を見た議員が参加。収容状況に多くの問題があると指摘した。

このとき、長崎県大村市出身の山田勝彦衆院議員が、ウィシュマさん同様の状況が懸念されると訴えたのが、ネパール人男性Aさんのことだった。

2019年1月末に大村入国管理センター(大村入管)に収容されたAさんは、この年の8月、外部の病院で左大腿骨頭壊死症と診断された。だが、積極的な治療が施されることのないまま時間が経過し、2022年1月下旬の時点で、Aさんは歩くことも、自力で起き上がることもできなくなっている。

いったいなぜAさんは、このような状況になってしまったのか。2005年から大村入管で面会活動を続けている長崎インターナショナル教会の柚之原寛史牧師に、Aさんのこと、大村入管の状況などを聞いた。(取材・文/塚田恭子)

●大腿骨頭壊死症と診断されても治療はなく、鎮痛剤を処方するだけ

毎週火曜日、それ以外の日にも必要に応じて、大村入管で面会や礼拝など、支援活動を続けてきた柚之原さん。もともと普通に歩いていたAさんが、なぜ寝たきりになってしまったのか。面会を通じて本人に話を聞いてきた柚之原さんは、その経緯について次のように話す。

「2019年の春に、Aさんは施設の中庭にある運動場でサッカーをしていて、ほかの収容者とぶつかりました。その際、足に激痛が走り、すぐに受診したいと訴えたものの、医師の診察を受けることができたのは1週間後だったそうです。

事故の態様から骨折も疑われましたが、レントゲン検査がされたのは、事故から1カ月以上経ってからでした。入管はどうしてすぐに適切な治療をしないのでしょうか」

その後もAさんの足の痛みは引かず、2019年7月末にようやく外部の病院の整形外科で受診した。そして、同年8月初旬に長崎市内の病院でMRI検査を受けた結果、左大腿骨頭壊死症と診断された。

「診断後も、1日2回、鎮痛剤が処方されるだけで、Aさんの状況は悪化していきました。Aさんに限った話ではありませんが、センター内では治療が積極的におこなわれることはなく、手術をしたという話も聞いたことがありません。

痛みを訴えても詐病を疑われ、なかなか外部の病院に診てもらえない状況が続く中、昨年12月、背中の痛みがひどくなり、Aさんは1カ月間、外部の病院に入院しました。

ところが退院後、面会に行くと、入院前は車椅子だった彼が、ストレッチャーに寝たままの状態で面会室に来たのです。声もかすれていて、具合がまるで改善されていない様子を見て、病院はよくこの状態でAさんを退院させたと、正直驚きました」

Aさんは昨年の入院以前から、排尿障害のために管をつけている。また排便のコントロールも難しく、現在はオムツを併用しているという。

「ケガを放置されたAさんは、松葉杖、コルセット、そして車椅子を使うようになり、排尿もできなくなりました。今はストレッチャーでほとんど寝たきりになっているように、悪化の一途をたどっています。

1月下旬に面会した際も、右足首は少し動かせるものの、左足はまったく動かすことができず、痛みが走るので寝返りを打てないため、上を向いて寝ることしかできないと話していました」

法務省の発令を機に「仮放免」が出なくなった

入管は、具体的な条件や判断基準を明示することなく、収容期間も、仮放免(一時的に身柄を解く措置)を出すも出さないも、そのときどき恣意的に変える。

18年にわたって支援活動を続けてきて、大村入管の体制が大きく変わった時期はあるか、あるとすればいつだったのか。こちらの問いに、柚之原さんはこう答える。

「大きく変わったのは、2016年ですね。東京オリンピックの開催が決まったのは2013年ですが、その後、法務省は安心安全を標榜し、社会に不安を与えるような外国人を厳しく取り締まるように全国の入管に発令しました。

この方針が出される前に、大村入管のある職員から『仮放免を申請するなら今ですよ』と言われました。私たちの支援は、面会と仮放免の手続きが中心です。具体的な理由は知らされませんでしたが、そう聞いて、東京や関西にいる保証人から委任状をもらって手続きを進め、実際、多い月には10人以上、仮放免が認められました。

そして、職員が言った通り、それ以降、仮放免はパタッと出なくなったのです。それまで大村では、(収容後)1年ほどで仮放免が認められていましたが、以降、収容者は長期収容に苦しめられるようになりました。これが2019年の餓死事件につながっていると私は思います」

ナイジェリア人男性が亡くなった日のこと

柚之原さんが言う2019年の事件とは、長期収容が原因で精神を病み、衰弱した末、ナイジェリア出身の男性が6月に施設内で亡くなったことを指している。

男性が亡くなった当日、大村入管に足を運んでいた柚之原さんは、その日のことをこう振り返る。

「あの日は施設を見学してもらうため、県内のバプテスト教会の牧師15人ほどを午後から案内していました。たしか13時過ぎにサイレンの音を聞いた記憶があるので、男性はその救急車で運ばれたのでしょう。それでも何事もないように、中では施設見学がおこなわれました。

そして、この日の夜、ある新聞記者と、難民支援をしている東京のNGOの方から『センターで誰か亡くなったようですけど、ご存じですか?』と電話が入ったのです。私が一番恐れていた現実がとうとう起きてしまったと、非常にショックを受けました」

法務省が男性の死因を発表したのは事件から3カ月以上経った2019年10月1日。公表の1週間前には、ある新聞が、収容者の4分の1は刑事罰を受けていると報道し、強制退去に従わない側に問題があると世論を誘導する、一種のネガティブキャンペーンをおこなっている。

「男性の死後、残された収容者は怒りと悲しみにかられ、収容所の中では混乱が続きました。彼が大村に来たのは、収容が長期化した2016年です。オリンピック開催の陰で、社会の片隅で苦しめられた人たちがいたことは間違いないと思います」

●夕食の時間は15時半から

面会の受付時間、一度の面会で会える収容者の数、面会室に入る前の金属探知機によるチェックの有無、差し入れできるもの、収容者の朝・昼・夜の食事時間――。全国の収容施設は、それぞれ異なるルールで運用されている。自分が面会活動をしている収容施設の事情は把握していても、ほかの施設のルールまで知る人は少ないだろう。

柚之原さんに聞いた大村入管のルールで、驚いたことが2つある。その1つが、面会に職員が必ず立ち合うということだ。

「大村入管では、面会に必ず職員が立ち合い、話の内容を記録します。私たちは収容者と仮放免の申請などについても話すので、職員がメモを元に、彼らの個人情報を漏洩するのは問題だと思い、担当者が代わるたびに申し入れをしていますが、これはずっと変わりません。

私自身、牧師の立場からするプライベートな話は聞かれたくないですし、立ち合いの職員が本気にして、仮放免に不利な判断をされても困るので、冗談ひとつ言うことができません。

今、大村入管に収容されているのは10人ほどですが、その中に1年ほど前、別の施設から来たスリランカの男性がいます。以前いた施設では面会に職員の立ち合いはなく、最初の面会時、本人は再三、職員に出て行ってほしいと訴えました。

結局、職員の立ち合いを拒否して、面会を望まなくなってしまったので、その後、彼がどんな状況でいるのか、誰もわからなくなっています」

もう1つが、収容者の食事時間だ。

大村入管の食事時間は、朝が7時。昼は10時半か11時半(いずれかを収容者が選ぶ)。そして夜が15時半。この夕食の時間は、誰が聞いても常識外れと感じるのではないだろうか。

15時半というのは、おやつの時間ですよね。8時間半のあいだに3度、食事を出す。この食事の出し方も問題があると思い、入管に改善を求めましたが、経済的理由から改善できないという回答でした。大村センターでは業者が厨房に入るというのがその理由で、食事を出す時間は彼らの就労時間との兼ね合いなのでしょう。

ただ、収容者の大半は、鎮痛剤、睡眠剤、安定剤、あるいは基礎疾患用の薬を服用しています。薬は服用間隔が決められているので、それを考えても食事の時間帯に問題があると思うし、医師はこの状況を把握しているだろうかと思います」

柚之原さんたちの申し入れの効果があったのか、その後、「夕食の時間は16時に変えた」と連絡があったという。

●温かいフライドチキンの差し入れが認められた時期もあった

2016年以降、収容者にとって厳しい状況が続いていることがうかがえる大村入管だが、全国で初めて、施設内での礼拝が認められたように「かつては支援者と職員の関係が良好だった時期もあった」と柚之原さんは話す。

「2009年に初めて施設内での礼拝が認められたように、大村入管はほかにない、開かれた入管づくりを試みていました。今では考えられませんが、クリスマスにケンタッキーフライドチキンを食べたいという収容者の要望を叶えたくて、年に一度でいいから、温かいフライドチキンを差し入れさせてほしいと交渉して、認められたこともあったんです。

問題を抱える収容者について、職員と弁護士と私たち支援者が三者会議をおこなって対応を考えるなど、2011年から2013年ごろまでは、互いに信頼し合える関係がありました。それが、2016年の法務省の発令以降、おかしくなっていったのです」

入管収容施設内で収容者が餓死するという事態を受けて、法務省は2019年10月、収容・送還に関する専門部会を立ち上げた。

長く支援活動を続けてきた柚之原さんは、専門部会からヒアリングにも呼ばれている。

「私に与えられた時間はわずか20分だったので、用意した資料は別に目を通してもらおうと、その20分で収容者の声を伝えることにしました。ヒアリングがおこなわれたのは最高検察庁の大会議室で、参加者は100人ほどいたと思います。

裁判所の被告席のように、前後左右から人に囲まれる場所に立った私は、どんな人が今、ここにいるのかを見てから話そうと思い、まずは自分の周囲に目を向けました。今から収容者の声を伝えるので、資料は使いませんと言って話し始めると、前方から罵声が上がりました。おそらく資料を使わないことへのクレームだったのでしょう。

罵声を聞き流して話を続けましたが、結局、"支援者を呼んでヒアリングをしましたよ"と専門部会が見せるために、私は20分間、ここに呼ばれたのではないか。終わってからそう感じましたし、実際、専門部会がまとめた提言書には、提出した資料も収容者の声もまったく反映されていませんでした」

●寝たきりのAさんは介護施設に移された

柚之原さんへの取材は2月1日の午後におこなった。午前中、Aさんの面会に行くので、その後のほうが彼の状況を詳しく伝えられると思う、という話だったのだが、この日、柚之原さんはAさんに会うことができなかった。

「大村入管の処遇部門で面会の申請をすると、『Aさんはいません。それ以上は保安上の理由で話せません』と言われました。すぐに総務課にたずねると、リハビリ目的でAさんを介護施設に移送したと説明されました。

大村は小さな町で、思い当たる施設があったので、オンライン面会でも会えればと思いましたが、コロナ禍、介護施設では家族も面会ができない状況です。入管からは、Aさんは自分たちが管理している収容者だから、『外の人の面会は許可しない』と言われました」

寝たきりのAさんをリハビリ目的で介護施設に移すことは、本人にとって良いことなのか。この問いに、自身も介護施設の運営に携わっている柚之原さんはこう答えた。

リハビリに必要なのは、本人の意思とやる気です。Aさんは以前から歩ける足に戻してほしい、そのために手術をしてほしいと望んでいました。手術で治したいと、2年以上、痛みに耐えてきました。

入管が、彼にどれだけリハビリを続けるかわかりませんが、大切なのは寝たきりから車椅子で動けるようになりたいと、本人が目標を定めることができるかどうかです。

コロナ以降、大村入管の収容者は10人ほどです。50人用のブロックに1人で収容されていたAさんは『1人はさびしい、何かあったときに助けてくれる人がいないのは心配だから、同じブロックに誰かいてほしい』とよく話していました。

彼にとって、人との関わりが心の支えになっていたので、どんな思いで生活しているか。今、Aさんに面会できるのは遠方にいる弁護士だけなので、不安はあります」

【プロフィール】 ゆのはらひろし/1968年千葉県生まれ。大学卒業後、企業に勤務。その後、JTJ宣教神学校を卒業し、長崎インターナショナル教会を設立。2005年から大村入管の収容者への面会活動を始める。2018年秋にはNHK Eテレこころの時代』で、その活動が紹介された。

大腿骨壊死のネパール人、放置されて「寝たきり」に…餓死事件後も「大村入管」改善みられず