「ウェルビーイング」(身体的・精神的・社会的に良好な状態にあること)というキーワードが生み出す大きな潮流は、日本人のライフスタイルをどのように変えるのか? また、どんな新しい産業や市場を生み出すのか? 消費者目線で社会トレンドをウォッチし続けてきた統合型マーケティング企業「インテグレート」CEOの藤田康人氏が考察する本連載前回から、藤田氏と、ウェルビーイングに取り組む実践者たちとの対談を通じて新しいビジネスの形を探っている。

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 通販サイト「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコムの代表取締役、青木耕平氏は、「フィットする暮らし、つくろう。」をミッションに、自社の世界観に共感してくれる顧客にオリジナル商品の販売、日々の暮らしのヒントとなるコンテンツの配信などを行っている。藤田氏と青木氏の対談企画の後編では、「ウェルビーイング的、現代社会の捉え方」について考える。(JBpress)

自分を客観視すると他者との関係が良好になる

藤田康人氏(以下、敬称略) 大学時代、行動科学を専攻していたのですが、人は「こうしたいからこうする」じゃなくて、頭より先に「感じているから行動する」らしいんですね。過去の経験や潜在的なものをベースにフィジカルに判断しているそうなんです。考えるより感じている方が先だということが最新の研究でもわかってきています。

 また、私は子供の頃、海外に住んでいたことがあり、よく「個人の価値観が尊重されるべき」「強い意志を持つことが大事」などと言われていました。しかし日本は、個人より「社会がつくる規範」や「個人がどう思うかの前に集団がどう思うか」を重んじているように感じます。一方、ウェルビーイングは、他人との関係性がすごく大きい。そうすると順番的に「感じること、フィットする暮らしを見つけること」と「社会との関係性、社会の成熟」は、本当はどちらが先なのでしょう?

青木耕平氏(以下、敬称略) ものすごく大きなテーマですね。自分の感覚では頭で考えるより感じるほうが先ですが、ただ思うのは、感じていることに気が付く、感じていることを言語化して認識している、というのは、つまり感じている自分を外から観察している状態に近いのではないかということです。

藤田 なるほど、「メタ認知」ということですね。

青木 はい、いわゆるメタ認知的なものを鍛えるのが、フィットする暮らしを見つけることへの近道なのではないかと思います。例えば、AさんとBさんの関係を良くするにはそれぞれが、ある意味、共通点のあるメタ認知から見ることができれば良いと思うのです。自分の感覚に対して敏感になる訓練は他者とうまくやるための訓練ともいえます。自分の感覚がわからないと、他者を慮ることができないですからね。例えば、他者からどう見られているかを意識しながら話すことも大事だと思います。

藤田 そうですね。共感にもステップがあります。まずはそれぞれの「違い」についてのメタ認知があり、その次にお互いへの尊敬があり、その結果として発生するのが部分的な共感です。それがいわゆる多様性で、それぞれ違うことが前提になっています。その後に、共通の何かを見つけることができます。そうすることで、多様性と共感性を兼ね合わせた成熟した社会になるのではないかと思います。

青木 「メタ認知を鍛えましょう」と言っても難しいので、自分を客観視すること、自分が何を感じているのかを見つめることによって、自然と鍛えられるのではないかと思います。

 例えば、周りの人たちがどう考えるかを想像できることが、社会全体の居心地の良さというか、成熟度を上げていくのではないでしょうか。僕たちの子供時代と比べて、いま中学生である息子の様子などを聞くと明らかに社会全体の居心地が良くなっているように感じます。彼らは今、「自分はこういう衝動があるけれど、他者からしたらみっともないよね」みたいな感じ方をしています。つまり、以前よりもメタ認知の感覚を持った人の数が確実に増えているように思うのです。そういう意味では、社会は良くなっていっているなと率直に感じます。こうした動きの先にウェルビーイングがあるのではないでしょうか。

藤田 「考えるべきだ」「こうあるべきだ」というのが今の時代に合っていないのかもしれませんね。提案していく中で、共通している考えや価値観に相手が気づいてくれるというのが重要ですよね。例えばサウナ好きの人が使う「ととのう」という言葉は1つのキーワードで、このひと言で正確な感覚を表現できて良いですよね。

青木 そうですよね。「ととのう」という言葉はエポックメーキングですよね。この言葉1つで、私と藤田さんとの間で共通認識が生まれるということもすごいことだと思います。例えば、僕はストレッチをするのですが、サウナととのう感じに近いと思います。別の分野でも認識ができるあの言葉は、1つの発明だと思います。

藤田 あらゆる言葉によって、自分らしさを見つけやすくなっていますよね。マーケッターは、究極の顧客視点が求められますが、顧客の気持ちを知った上で売りつけようという感覚も少なからずあります(笑)。しかし本来は、本当にお客様にはどんなものが必要か考えることが、世界を変えていくのかもしれませんね。

これからは、いかにインプットを取捨選択していくか

藤田 今の時代はだいぶ良い世界になってきたと感じておられるかと思いますが、青木さんはこの先、世の中がどのように動いてほしいか、期待などありますか?

青木 ひとつ思うのは、歳を重ねてきたことと、それなりの情報を得てきたこと。それに加えて情報伝達の技術が高まってきたことで、自分自身の情報の処理能力が格段に上がってきているということです。その結果、世界中の出来事で他人事に思えることが少なくなったということがあります。

 これは良いことではあるのかも知れませんが、1人の人間としてのキャパシティ的にはもう限界なので、ウェルビーイングという意味ではどうなんだろうと思います。自分の事業としても、世界のどこかで起きていることでも自分自身を脅かす可能性があるということに、個人的には危機感を感じています。

 例えば、僕が中学生の時に「円安になった」ということをニュースで聞いても自分自身のウェルビーイングは1ミリもゆらぎませんでしたが、今は海外とも取引をしているので、それは僕自身を脅かす可能性のある情報になっています。その他、気候変動や、紛争、テロやサプライチェーンの中になにか問題が起きるというようなこともそうなのですが、世界中の出来事が他人事ではなくなってしまったように感じます。

 そして、我々人間は今、認識できるキャパシティの限界までいろいろなことをインプットしている状態になっていて、さらには「数年間の計画を立てなさい」「ゴールから逆算して計算しなさい」など長期視点を強制されているように感じることもあります。

藤田 そのような状況は「感じる」のとは対極ですね。

青木 対極なんですよね。どうやって、無責任にならないように自分のフォーカスする範囲に折り合いをつけていけるかというのは、ウェルビーイングを追求していくには必要な議論だと個人的には感じています。

 よく中高年の調査結果などで「憂鬱」や「希望が持てない」と回答する方が多いといいますが、実はそれだけその人が広い範囲を自分事として見ているのかということも関係しているのではないかと思います。例えば、自分が15歳の時に親父が会社で上司から怒られたと聞いたとしても、なにも気にならなかったのですが、今は逆に15歳の息子が学校で何か問題があったかと思うと気になります。これがつまり、フォーカスする範囲が広がるということで、今は人間の機能に対して広がりすぎたのではないでしょうか。

藤田 そうすると、今は人生100年時代、さらに気になる範囲は広がっていきますね

青木 インプットだけの何十年は確かに、しんどい感じはしますよね。これからは、どうやって自分のキャパシティに合わせてインプットのフォーカスの範囲をせばめていけるのか、という議論に進んでいくのではないかと期待しています。もう、誰しもが情報でお腹いっぱいですからね。情報のダイエットをしていきたいですよね。

藤田 昔の人のように、学校や私塾を作ったりする形でもいいので、インプットしてきたものを自分の中だけで消化するのではなく、意味のある吐き出し方をしていかなければならないのでしょうね。この消化の仕方も大切ですよね。

青木 それが、個人的にはチャレンジだなと思っていますね。僕は今年50歳になります。人生100年時代と言われていて、まだ半分なのですが、この調子で負担が増えていくとなると、寿命が延びても心が折れそうになる部分も正直ありますからね。社会で起きているほとんどのことに対して「関係ねーよ」の一言で排除できていた15歳のときのキャパシティや、負っているものの小ささと比べて、今は社会についてのいろいろな理解が進んでしまうし、そうなると負担もどんどん増えてしまいますよね。そのためにも、フィットするという感覚を大切にしていくことが、社会を良くしていくことにつながっていくのかも知れません。

藤田 結局、どのようにうまく捨てるかということではないでしょうか。今で言うと、デトックス? いや、コンマリさんかな? つまり、自分の中にあるいろいろなものを上手く片付けていくことなのでしょうね。ある歳になるとウェルビーイングが難しくなっていくのかもしれません。

 そんなことも含めて、言葉としてのウェルビーイングの理解を深めつつ、その言葉を人間がどう生きていくのかを考えるきっかけにしていくことが必要だということですね。そういったことに関われているというのは、本当に幸せなことだと思います。今日は、とてもいいお話をありがとうございました。

対談を終えて(藤田)

 青木さんが「『フィットする』という感覚は『お気に入りのシャツを着ているという感覚』に近いと思います」と言っていたのが、個人的に非常にすっと入ってきました。

 ウェルビーイングという大きなテーマに関して今いろいろな場面で様々な読み解きがされています。「幸せ」はなろうとしてなるものではなくて自分らしく生きていく中で結果的に感じるものなのでは? と常々思っていた自分からすると、世の中で語られる“ウェルビーイング論”は少し重たい感じもしていました。その中で、考えるよりも感じるのが先で、外から自分をメタ認知することでマインドフルな状態を得られるとする青木さんの読み解きは、今の若者たちがサウナソロキャンプで“ととのう”を求めてリトリートする感覚との相通じる部分が大きいのではないでしょうか。

「フィットする暮らし、つくろう。」というミッションを掲げる青木さん率いるクラシコムは、今の時代にフィットした最も本質的なウェルビーイングをごく自然に感じられてくれる存在と言えるのでしょう。

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