ウィル・スミスが主演&プロデューサーを務めた『ドリームプラン』が大ヒット公開中だ。第94回アカデミー賞にて作品賞、主演男優賞、助演女優賞、歌曲賞、編集賞、脚本賞の主要6部門にノミネートされ、第79回ゴールデン・グローブ賞では、ウィル・スミスが主演男優賞(ドラマ部門)を受賞している注目作だ。

【写真を見る】2009年の全豪オープンで、ビーナス&セリーナ姉妹と対戦した杉山愛。ダニエラ・ハンチュコワと決勝を戦い抜いた当時のショット

本作で描かれるのは、世界最強のテニスプレーヤーと称されるビーナスセリーナ・ウィリアムズ姉妹を育て上げた父リチャードと、テニス未経験の彼が、娘たちをテニスチャンピオンにすべく独学で作り上げた78ページの「計画書=ドリームプラン」について。現在も現役でプレーし続けるウィリアムズ姉妹は、テニス界にとってどれだけ衝撃的な存在なのか?

そこで、世界ランキングでシングルス最高8位、ダブルス1位を誇り、グランドスラム(四大大会)ではダブルスで3度の優勝を飾った元プロテニスプレーヤー杉山愛にインタビュー。本作を鑑賞した感想から、実際に対戦したからこそわかるウィリアムズ姉妹の強さ、そんな2人を育て上げたリチャードのすばらしさを解説してもらった。

■「人生において“ビッグ・ピクチャー”を思い描くことはすごく大事なこと」

映画を観て「パパもママも本人そっくりのすばらしい再現度に感動しました!」と語る杉山。コートで相対するウィリアムズ姉妹だけでなく、彼女たちをサポートする父リチャード、母オラシーンの姿も見てきた杉山だからこそ、ビジュアルだけでなく、たたずまいまでが本人そのものであることに唸らずにはいられなかったようだ。

つまようじをくわえて試合を見ているリチャードさんの雰囲気とか、オラシーンさんが細かいところをフォローしている様子はツアー中にもよく目にしていました。当時の光景を思い出しましたし、その時になんとなく感じていたパパ、ママそれぞれの役割が、映画でもそのままでした」と振り返る。

2人そろって単複1位を経験し、グランドスラムのシングルスでは現在までに合計30回の優勝(ビーナスが7回、セリーナが23回)を果たしているウィリアムズ姉妹。しかし、その栄光とは裏腹に、映画でも語られるように子ども時代は決して恵まれた環境だったとは言えない。姉妹が生まれる前から「ドリームプラン」を用意していたリチャードを、杉山はどう捉えているのだろうか?

テニスだけでなく、人生において“ビッグ・ピクチャー”を思い描くことはすごく大事なこと。ただ、リチャードのビッグ・ピクチャーは、普通の人の感覚では想像できないほど大きい(笑)。しかも、1人ではなく姉妹ですから。テニスは激しいコンペティションの世界なので、チャンピオンを育てようとすること自体が大きなチャレンジです。それを実行に移す力もすごいし、それについていく2人もすごい。そしてなにより、家族総出で姉妹をサポートした、その献身さには感服せずにいられません」。

■「“ビーナス・ウィリアムズ”という名前に圧倒されたのを覚えています」

杉山が最初に対戦したのはビーナスだった。1997年にアメリカのインディアンウェルズで行われた大会で初対戦し、2000年にはテニスの聖地、ウインブルドンという大舞台でも相対している。「とにかく話題の選手でしたね。すごい姉妹がいて、いよいよデビューするらしいという噂は耳に入っていました。デビュー当時からオーラがすごくて、私自身、“ビーナス・ウィリアムズ”という名前に圧倒されたのを覚えています。ジュニア時代にあまり公式戦に出てこなかった選手が、いきなりプロの大会に参戦したわけですから」。

映画にも登場する髪に白いビーズを付けたビーナスのファッションにも驚いたのではないだろうか?「いままで見たことのないファッションで、独特な感じはしました。ジュニアで経験を積み、プロになって下部大会で揉まれながらグランドスラム出場を目指すというのがテニス界の通常の流れ。狭い世界なので、トップジュニアはお互いの顔を知っているし、それこそファミリーみたいな感覚になります。だけど、ビーナスの場合は、センセーショナルでハイレベルなデビューを飾り、さらにファッションでも大きな注目を集めました。初対戦の時にビーナスは最初、チェンジコートでベンチに座らなかったんです。余裕だと見せつけられた気がしましたし、完全に舐められていると感じました(笑)。ファーストセットは私が取ったのになんとも言えない感覚というのかな。落ち着いてテニスをやらせてもらえなかった記憶があります。すごい威圧感でした」と、いまでも鮮明に覚えている初対戦の思い出を明かしてくれた。

スマートなのに圧倒的なオーラで、実際の体格以上に大きく見えるビーナス。杉山はビーナスにしか感じたことのない“大きさ”を教えてくれた。

「2000年のウインブルドンでのウォームアップのことはよく覚えています。5分間のアップは普通ベースライン(コートの一番後ろ側のライン)に立って、ボールを打ち合いながら身体を慣らすのですが、その際『この人、なんで最初からミニテニスするんだろう』とビーナスに感じた瞬間がありました。でもよく見たら、ベースラインに立っていたんです。サービスライン(ベースラインと平行したネット寄りのライン)に立っているように錯覚するほど、ビーナスが大きく見えていたんです。気づいた瞬間、ハッとしました。こりゃいかん、威圧されているって。大きく見える度合いがハンパなかったです。その時点で試合に負けていますよね(笑)。そんなふうに感じたのはビーナスだけ。最初で最後です」。

セリーナについてはビーナスよりも強い印象があると力説。「ピークの時はすべてが突出していました。攻撃力に注目されがちだけど、ディフェンス力も際立っていました。こちらがいいショットを打ったらチャンスボールが戻って来るという常識は、セリーナには通用しません。いいボールを打てば、さらに鋭いところへ返されて劣勢に追いやられる。異次元の選手です。対戦したことのない強い選手もたくさんいるけれど、私が対戦したなかでは間違いなく最強の選手です」。

■「理にかなった動きの追求でテニスをやっていなかったからこそ、改革的な発想が生まれた」

リチャードはテニス未経験だが、最新の技術を取り込もうとする研究意欲はすさまじい。映画のなかで印象的なのが、ビーナスに将来性を感じ、指導することになった有名コーチが、フォアハンド(利き腕側)でボールを打つ彼女に“クローズスタンス”を覚えさせようとするのだが、そこへリチャードが割って入り、「“オープンスタンス”にすべきだ」と譲らないシーン。スタンスとは、ボールを打ちに入る際の左右の足のポジションのことで、(右利きの場合)右側へ踏み出した右足を軸にして、左足をねらいたい方向へ踏み込みながら前から後ろへの体重移動でボールを打つのがクローズスタンス。一方、右足を軸にしたまま体の回転を利用してボールを打つのがオープンスタンスだ。

「あれは、リチャードの研究の賜物だと感じるシーンです。理にかなった動きの追求でテニスをやっていなかったからこそ、改革的な発想が生まれたと思っています。リチャードはコーチを名前で判断するのではなく、なにを教えているのか、内容に焦点を当てて姉妹に合った人選をしていました。信じていることをしっかり教えてくれる人を探し、やり切ったことが成功の要因だと思うし、映画でもそこがしっかり描かれているので、すごくおもしろかったです」。

1990年代テニス界は道具や技術的な面でも黎明期であり、コントロール性を重視した伝統的なクローズスタンスを推すコーチと、パワーショットが打てる比較的新しいテクニックであるオープンスタンスにこだわるリチャードはどちらも正しい。しかし。身体能力の高さを生かしたテニスが得意なビーナスやセリーナだからこそオープンスタンスを使いこなせたと言え、それだけにリチャードには先見の明があったと言えるだろう。

■「リチャードには人生、子育て、それぞれに哲学があります」

本作からは、テニスと家族の関係、特に親の存在の重要性も感じ取れる。杉山も「家族の存在は切っても切り離せません」と強調する。「テニスプレーヤーは、年間250日ほどかけて世界各国で行われる大会に出場しなければならないので、試合や練習以外の日常をどのように過ごすかも大事になってきます。だからこそ、チームのなかに両親や兄弟がいれれば、苦しい時でも精神性に支えられ、戦い抜くことができるのです」。

そんな姉妹を育てたリチャードの指導術はとても極端な事例である。参考にできることはあるのだろうか?

エクストリームな例だから難しいかな。ビーナスとセリーナの場合は身体的能力も特別だったし、リチャードの教えはそれを活かしたものだったので。リチャードには人生、子育て、それぞれに哲学があります。最初はレールを敷いたけれど、押したり引いたりがすごく上手だと思います。子どもから大人への転換期ってすごく重要で、成長の度合いによって変わってきます。映画のなかで、ビーナスのプロデビューを巡って夫婦で言い争っていたように、とても難しいことなんです。用具契約のシーンもそうでしたけど、大事な選択をビーナスに決めさせたこともすごく大きいと思います。一人の人間として尊重し、いい距離感を取っていると感じました」。

杉山がプロデビューしたころについても聞いてみた。「私も割と自由にやらせてもらいました。高校2年生、17歳でプロになりました。15歳でワールドジュニアランキング1位になり、翌年国内トッププロも参加する全日本室内選手権大会にて高校1年生の終わりに優勝しました。高1の時、マルチナ・ナブラチロワ(グランドスラムでシングルス18勝、ダブルス31勝、混合ダブルス10勝の名選手)との対戦で1セット奪い、『将来が楽しみ』と周囲から言われたことも私のなかでは大きく、プロになろうという気持ちのあと押しにもなりました。プロへの転向は早かったけれど、自分で決めたことだったので、迷いはありませんでしたね」。

■「テニスの歴史のなかでもトップに君臨する2人の強さは、言葉では言い表せません」

映画を観て姉妹の印象に変化はあったのか聞いてみると…「まったくないです」とにっこり。「海外メディアのなかにはかなりキツい質問をぶつけてくるところもあって、(ウィリアムズ姉妹に対する)ひどい取材も目にしてきました。だけど、彼女たちは毅然とした態度でチャンピオンとしての対応ができるのは、家族の支えがあったからこそ。すばらしい人間性の基盤があるからだし、リチャードとオラシーンの教えがあったからなのだと改めて思い知らされました」。

ウィリアムズ姉妹がテニス界に与えた影響について「ものすごく大きい」と力強く語る杉山。「女子テニスにおけるパワーテニス、スピードテニスは彼女たちが築いたもので、スケールの大きいプレーでハイレベルな試合を提供してくれました。テニスの歴史のなかでもトップに君臨する2人の強さは、言葉では言い表せません。セリーナは結婚して、出産も経験しながら、いまもママさんプレーヤーとして活躍しています。(出産後は)グランドスラム優勝こそ、あと一歩のところで逃しているけれど、相変わらずの強さで楽しませてくれます。プレーヤーを取り巻く環境にも様々な変化をもたらしてくれました。グランドスラムの託児所がより充実したのは、トップ選手がママさんだったから。テニス界にもたらした影響の大きさは計り知れません」。

■「成熟したアスリートの強靭さは、日常が作り上げるものと気づかせてくれる」

また、テニスにあまり詳しくない人でも、映画からウィリアムズ姉妹のすごさを実感できるという。

「実際の強さやプレーのすごさは実感できなくても、チャンピオンになる人物のメンタリティがどうやって身についたものであるかを知れるのも貴重な体験だと思います。グランドスラムをいくつか勝つと、モチベーションを保つのに苦労したり、プレッシャーに押しつぶされたりするものだけど、姉妹の記録を見ればわかるとおり、真のチャンピオンであることは明らかです。

すごく高いところに目標は置いていると思いますが、ビーナスビーナス、セリーナはセリーナ、それぞれの“らしさ”を追求していて、正直、ほかの選手をライバル視していないのではないでしょうか。技術的、体力的なことはもちろんだけど、メンタルや人間性の磨き方がハンパない。成熟したアスリートの強靭さは、日常が作り上げるものと気づかせてくれる映画です」。

ウィリアムズ姉妹の“強さ”の秘訣には、強い絆で結ばれた家族の愛が隠されていた。杉山愛も驚いたリアルな描写の先には、心揺さぶる感動のドラマが待っている。

取材・文/タナカシノブ

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