地震、台風、豪雨、大雪といった天災で、ある日突然、日常生活に欠かせないライフライン(水道、ガス、電気など)が絶たれることは、陸上に住む私たちにしばしば起きる。

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 海上を移動する船も、「シケ」「大型海洋生物との衝突」といったアクシデントで損傷し、船中に積んでいる水や食料などのライフラインが突然、奪われることがある。生命の危機に瀕する状況に陥る。

 漂流という絶望的な状況から、勇気を奮わせ希望を持ち生還を果たすのにはどんな能力が必要なのか。生き延びるためにどんなものを口にしたのか──。古今東西の漂流記70冊以上の中から、厳選した書籍を紹介、分析、解説を交え、「食」に焦点をあてた『漂流者は何を食べたか』を上梓した、作家、写真家、エッセイストの椎名誠さんに話を聞いた。(聞き手:関 瑶子、シード・プランニング研究員)

※記事の最後に椎名誠氏の動画インタビューが掲載されていますので、是非ご覧ください。

──前書きで、ご自身を「漂流記マニア」と称されています。「漂流記」の魅力について教えてください。

椎名誠氏(以下、椎名):海、山、川、空、フィールドは限らず、極限状態に置かれた人間がどういう対応をするのかということに昔から興味がありました。僕自身、若い頃から登山、ダイビング、カヌーイングなどをやっていて、どれもひどい目に遭いました。そういう経験もあった上で、世界ではもっとすさまじい極限状態を体験している人がいるということを遭難記、漂流記を読んで知ることができます。

「漂流記」との最初の出会いは、小学生の頃にジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』を読んだ時のことです。世の中にこれほど痛快で胸が躍らされる本があるとは、と感動しました。2年間の歳月を経て、少年たちが故郷に帰り着いた最後の場面では嬉しさがこみあげましたね。それ以降、学校の図書室で海洋冒険モノを読み漁るようになりました。中学・高校に上がると、海にこだわらず山岳、砂漠、川、ジャングルなどの探検・冒険モノにも手を出すようになりました。

 遭難の中でも、海での遭難、漂流というのは一番人目につかず、救助の手立てが少ないので、孤独で壮絶です。漂流者が生きていくために覚悟を決め、海と向かい合って様々な挑戦をしていく。共感したいような苦しい状況、生きるか死ぬかの修羅場。そういったものに打ち勝っていく過程がすごいですよね。

 生還を果たすのに必要なのは、精神力、対応能力、食に対する貪欲さ、食物を捕獲するための勇気、決して諦めない根性。そうしたものの総合力ですね。

 漂流してダメになるのは最初の3日間と言われています。精神がまいっちゃうんですよね。それで、自分から海に飛び込んでしまったりするケースが多いんですよ。複数人で漂流している場合はともかく、一人で漂流している場合は、それでおしまいですからね。生還していないから誰にも知られていない壮絶な体験が、海底に山ほど沈んでいるんです。

アザラシは犬の味

──1782年に伊勢から江戸に向かう千石船「神昌丸」が駿河湾沖で遭難し、乗組員らがアーリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、約10年の歳月をかけて帰国した、という史実が紹介されていました。シーナさんは、乗組員の一人である大黒屋光太夫の足跡をたどる『シベリア追跡』(1987年、小学館より発行。1993年集英社文庫に収録)の旅を敢行されています。旅で感じたことや苦労したことを教えてください。

椎名:あれは極寒との戦いの旅でした。

 まずは、「神昌丸」が漂着したアムチトカ島を目指して、7人チームでアラスカから小型機をチャーターして向かいました。その島は一年中烈風が吹き付ける、すさまじく荒れた天候で、木も生えていないという環境。実際に、テントを張る時には四方から吹き付ける風に邪魔されて、1時間もかかりました。光太夫が漂着した当時、アムチトカ島はアルムト族が暮らす有人島でした。百合の根とアイナメを常食にしていたのですが、よくこの島で4年間も生き延びたなと思いました。

 大黒屋光太夫らは、アムチトカ島の次にカムチャッカを経て、旧ソ連のヤクーツクという都市に向かいます。僕らの取材班も、モスクワから飛行機でヤクーツクに行きましたが、極寒を飛ぶのに飛行機には暖房がない。皆飛行機の中で毛布をかぶって耐え忍んでいましたね。

 降りたヤクーツク空港の気温はマイナス35度。でも、そんなのまだ序の口で、原野でマイナス59度の世界も体験しました。原野には黒毛の馬を走らせて入っていったのですが、30分くらいすると、黒いはずの馬が白く見える。寒すぎて自分の目がおかしくなったのかな、と思ったんですけれど、よく見ると馬のかく汗が全身の毛について凍ってるんです。それで白馬のように見えたんです。馬も大変だな、と思いました。

──極地の漂流では、アザラシやクマがよく食べられています。現地に住む人たちも日常的に食べているのでしょうか。

椎名:アザラシもクマもなかなか捕れないですね。エスキモーと一緒に何度かアザラシ狩りに行ったことがあります。アザラシは30分に1回くらい、呼吸のために空気穴から頭を出すんです。そこを狙って猟銃で打つんですけれども、一発で仕留めないと逃げてしまう。なかなかテクニックが必要なんです。

 僕はアゴヒゲアザラシとハイイロアザラシを食べたことがありますが、結構好きですね。アザラシってもともと犬なんですよ。犬が海に入って海水動物になった生き物なんです。解体すると、犬っぽい足の部分の骨が出てきます。肝臓がおいしいですよ。犬っぽい味です。犬の肝臓は食べたことがありませんが・・・。

 漂流記を読んでいるとアザラシよりもクマのほうがおいしい、という記述も見ますね。クマも食べましたが、僕はあまり好きではなかったです。雑駁な味ですね。

 北極の陸地では、トナカイの一種カリブーがよく食べられています。7年ほど前にお世話になったイヌイットの村で、日本から持参したカレー粉と、イヌイットが用意したカリブーで、カリブー・カレーを作ったことがあります。「おいしい!おいしい!」と大好評でカレー粉をどこで手に入れたのか散々聞かれました。

『大西洋漂流76日間』は何がすごいか?

──『大西洋漂流76日間』(スティーヴン・キャラハン著、長辻象平訳、早川書房)の著者であるスティーヴン・キャラハンは、本船であるナポレオン・ソロ号が沈没した瞬間から、絶望することなく気持ちを切り替えて目の前の困難に対応していました。なぜ彼はそのような冷静な行動をすることができたのでしょうか。

椎名:『大西洋漂流76日間』は、世界で一番売れている漂流記だと思います。キャラハンは、漂流した当時(1982年)はまだ30歳くらいでしたが、既にヨットセーリングの世界では有名人でした。過去に友人二人とヨットの旅に出ていて遭難した体験があり、その教訓から事故が起こる可能性を想定して、サバイバルキットなどを詰め込んだ非常用袋を用意していたんです。救命ボートも通常よりも大きい6人乗りのものを搭載していました。

 クジラとの衝突でヨットが轟沈すると、海に飛び込んで、非常用袋や漂流生活に役立ちそうなものを水没した船から取り出しています。嘆いている暇はないとばかりに、次々に起こるトラブルを解決したり、いろいろなものを発明したりしていく。読んでいて心地の良い漂流ですね。本当に、強靭な精神の持ち主だな、と思います。

 面白いことに、キャラハンとは逆に最初から諦めて何もしないからこそ生き延びて帰還できたというケースもあります。日本人漁師の話です。漂流時、船に水や食料をほとんど積んでおらず、彼はただひたすら寝て、体力を温存しました。漁師だから釣竿を持っているのに、釣りもしないんです。10日間程度流されて発見されて生還したんですけれども、性格がのんびりしているのと、肝が太い、ということが功を奏したみたいですね。

 僕は「怪しい探検隊」の後に「怪しい雑魚釣り隊」を友人と結成して、国内外の海に10~15人くらいで釣りに行っています。釣り好きが乗っているので、流されたら流されたでこれ幸いと釣りを始めるんですよね。みんな、欲があるんです。

実は史実だった『無人島に生きる十六人』

──キャラハンが船に寄って来たシイラと友情を築きながらも、容赦なく捕食するというエピソードが紹介されていました。太平洋、大西洋の漂流記にはよくシイラが登場しますが、漂流とシイラは切っても切り離せない関係なのでしょうか?

椎名:シイラは、イルカと同じように漂流物に近寄る性癖があります。ダイビングをしていても近寄ってくるんです。かわいいですよ。こっちは漂流しているわけではないので、食べませんけどね。シイラは死んで流された人の死肉を漁ると言われていて、縁起が悪いから食べない民族もいます。刺身にするには硬く、淡白な味の魚です。もし漂流して何も食べるものがなかったら、シイラを食べようとするでしょうね。

──明治31年に龍睡丸の乗務員16名が漂流し、無人島生活を経て生還したお話も登場します(『無人島に生きる十六人』 須川邦彦著、講談社新潮社)。なぜ彼らは仲違いすることもなく、平和に秩序を守って全員無事に帰還することができたのでしょうか。

椎名:無人島に生きる十六人』は戦前の話で、乗務員である帆船練習生の中にも、軍隊的な上意下達の精神があったんだと思います。本当はもっとネガティブな出来事もいっぱいあったんじゃないかな。でも、本が出版された当時は出版前の事前検閲が当たり前だった時代なので、そういった表現は削除された、もしくは最初から書かなかったのではないか、と思います。だから極限にあるのに、食べ物をめぐる争いもないし、みんなハッピーなんです。ちょっと嘘くさいので、初めて読んだ時に実話なのかフィクションなのか区別がつきませんでした。

 実はこの本、僕と新潮社サウジ君(あだ名)とで発掘・調査して、講談社の協力を得て再生を実現したものなんです。

 いろいろな漂流記を捜しもとめていた頃、古い広告チラシにボロボロの本の写真が載っていたのに目がとまりました。それが『無人島に生きる十六人』でした。出版元である講談社の資料室に一冊だけ残っていた門外不出扱いの本で、一冊丸ごとコピーして送ってもらいました。

 あまりの面白さに一気に読了。「面白い漂流記があるんだけど、ちょっと胡散臭い」と新潮社サウジ君に話すと、彼は国会図書館で当時の新聞を調べ、龍睡丸遭難の記事をみつけてくれました。サウジ君はさらに、龍睡丸の乗務員の親族を調べて連絡をとってくれたんです。それでようやく、龍睡丸の遭難が史実だということが判明。出版元の講談社にも承諾を得て、新潮社から文庫本で復刊することができました。

離岸流を知らずにおぼれかけた若き日

──ご著書の『怪しい探検隊』シリーズの第一弾『わしらは怪しい探険隊』(1980年、北宋社より発行。1982年角川文庫に収録)で、椎名さんご自身が三重県の神島で遠泳中に、友人の沢野ひとしさんと漂流しかけたエピソードを書かれていました。その時の体験についてお聞かせください。

椎名:神島で二人で漂流しかけた時は、友情も何もなかったですね。沢野と逆流に逆らって、がむしゃらになって泳ぎました。もう、競泳でしたね。若い頃のことで、二人とも水泳が好きで体力があったので良かったですが、離岸流の知識がなかったんですね。離岸流というのは海岸に打ち寄せた波が沖に戻ろうとする時に発生する強い流れのことで、島には必ずあります。横に50メートルくらい離れれば避けられるものなのですが、当時はそういうことも知らない大馬鹿者でしたね。最終的に神島までたどり着けて助かったので良かったんですけどね。

 他に僕自身の漂流体験というと、私小説『モヤシ』(2003年、講談社より発行)に書いた「計画的漂流」があります。この時は、いかだを作って隣の島へ渡る、ということをしたんですが、あれもキケンでしたね。

 漂流ではないですけれども、ダイビング初心者の頃、伊豆諸島で溺れて流されかけたこともあります。11キロのウエイトをつけて上裸で飛び込んだんです。気づくと、シュノーケルがない。落ち着いてウエイトを外していれば何とかなったんですけれども、息がしたくて息がしたくて、もがいているうちに船から離れていってしまって。あとあとすごい頭痛になって、船の上に寝っ転がって、もう動けなかったですね。去年、たまたま同じ海に行ったんですけれども、PTSDで船の上でへたり込んで立ち上がれなかった。本当に怖かったですね。

──椎名さんは、ご自身が主催する野外キャンプの会「東日本何でもケトばす会」や「いやはや隊」「雑魚釣り隊」などで、食料を現地調達していらっしゃいますが、一番おいしかったものはなんでしょうか。

椎名:一番おいしかったのは、伊豆七島の島で食べたサバですね。竿を出すとすぐに魚が獲れる。サバもカツオも釣り放題でした。休む暇もないくらい釣れるんです。サバの刺身は、手巻き寿司にして、缶ビールを飲みながら、飽きるほど食べました。これだから釣りも野外キャンプも止められませんね。

忘れてはならない「漂流記」や「遭難記」に残らなかった人々

──一般人でも宇宙や深海に旅行感覚で行ける時代が到来しつつあります。宇宙や深海をフィールドとした新たな「遭難」「漂流」体験記も今後、出版されるかもしれません。「漂流記マニア」として、そのような新たな「漂流記」に対する期待や、ご自身の宇宙や深海への冒険に関する意欲をお聞かせください。

椎名:僕は閉所恐怖症なんですよ。だから、いくらお金もらっても宇宙にも深海にも行きたいと思いませんね。考えただけでも、息苦しくなっちゃう。

 これからますます宇宙や深海へ行く時代になりますから、事故も起き、探検記も書かれるようになるとは思います。でも、読むことができるのは最終的に帰還した人の手記だけです。宇宙にしろ、深海にしろ、無事に帰って記録や記憶を持ち帰らなければ人に伝えられません。

 生還者の「漂流記」や「遭難記」が残る一方で、世界中のどこかあちこちに眠っている記録も沢山あるはずです。すさまじい状況に追い込まれ、果敢に立ち向かったけれども、運悪く命を落とした漂流者、遭難者たち。そういう人たちがいるということを、僕らは忘れてはいけないと思うんです。

『漂流者は何を食べたか』を上梓した椎名誠

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『漂流者は何を食べたか』を上梓した作家の椎名誠氏(写真:今井 康夫/アフロ)